大好きな読書ができない。趣味を楽しめなくなったので、実家に帰る決意をした。

コラム 趣味 五四

本が読めなくなった。

私はもともと、本が好きな子供だった。堅物な親の教育方針により漫画を買ってもらえなかったので、絵本と児童書と図鑑を読んで育った。学生の頃は、教科書や教材の本を、授業そっちのけで読んでいた。

けれど、高校生になったあたりから、徐々に読めなくなっていった。特に進学のために上京してから、著しく読書量が減った。

今まで主に読んでいたのは、小説、図鑑、雑誌に載っている好きな作家やミュージシャンのインタビュー、歴史書、デザインの参考書(前はデザイン関係の仕事をしていたため)などだ。東京の部屋にも実家の自室にも、たくさんの本がある。でもその半分ぐらいは未読の本だ。参考書の類は読む必要のあるページだけ読んだが、小説は1ページも読んでいないものが大量にある。図鑑の写真すら、なぜか見ていると興味がなくなってくる。

数ヶ月前に諸事情で無職になったので、「この際だから休養しよう。ゆっくり本でも読もう」と思った。けれど実際は、本棚の背表紙たちを眺めていただけだった。読みたくて買って並べた本たちなのに、手に取って表紙を開くことすらできなかった。

いつの間にか、私は本が読めなくなっていた。

 

「本が読めない」と一口に言っても、いくつかパターンがある。

(1)読んでいても集中できず、だんだん内容が頭に入ってこなくなるので読み進められない。
(2)数行前に出てきた用語や登場人物名をすぐ忘れるので読み進められない。
(3)読み始めて3行ぐらいで急に読みたくなくなり、読み進められない。
(4)読むつもりで本を手に取ったのに、なぜか読む気力が無くなって読めない。
(5)読みたいのに、本を手に取ることができない。
(6)本に対して興味を持つことができない。

私の場合はこんな感じだ。「読めない」より「読もうとするけど読み進められない」のパターンが多い。

数年前までは(1)だったが、今は持っている本に対しては(2)〜(4)、本屋や図書館などに行くと(5)か(6)の状態だ。なんとか読みきった本もあるが、明らかに本を読むことが苦行になった。好きな作家の本すら数ページで内容が頭に入らなくなり、栞も挟まず本を閉じる。

「もしかして自分は無気力なのか」と思い無気力について解説した本を買ったが、いざ本を開くと急に読む気力が無くなり読めなかった、というおもしろくないギャグみたいなこともあった。それでもなんとかして読み進めたが、だんだん上記の(2)の状態になり、結局本を閉じた。

「紙の本がダメなのか」と思いKindleを買ってみたが、紙の本以上に内容が頭に入らなかった。

「読みたくない本を無理やり読もうとする。けど読めない」というケースなら当然だし諦める。でも今の私は「読みたい本を読もうとする。けど読めない」という状態だった。

なんで読めないんだろう。本を読むのって、こんなに面倒なことだったっけ。スマホ中毒の弊害ってやつかな。もしかしたら私は、本が読めなくなるぐらい頭が悪くなったんだろうか。

部屋の本棚が視界に入るたび、そんなことばかり考えた。

 

一方で、中学生の頃から徐々に心身の具合が悪くなっていった。原因は明らかに不摂生と運動不足、そして幼少期からのストレスだ。

物心ついた頃から「真面目で優しい良い子」のフリをしていたため、息をするようにストレスを溜め込んでいたと思う。自分では好き放題やってきたつもりだったが、他人を基準にしてきたので、自分の軸みたいなものが無かった。気づけば「どうやって周りに迷惑をかけずに死ぬか」なんてことばかり考える20代になってしまっていた。

けれど心療内科では病名を言われなかったし、一人暮らしもできていたので「自分の症状はたいしたことない」と思っていた。実際たいしたことはないと思うが、自分にとってはかなりの痛手だった。他人を基準にしていても、他人様の骨折より自分の擦り傷のほうが何百倍も痛かった。

そして無職になり、「いい機会だからとりあえず休養しよう」と思ったのに、休養どころかストレスが増えるばかりで、いつの間にか、働くどころか生きているのも嫌になっていた。「何がしたいの?」と誰かに聞かれても自問自答しても、「死にたい」としか答えることができなかった。

上記のことを洗いざらい親に伝えたら、「休養も兼ねて実家に帰っておいでよ」と言われた。ものすごく嫌だった。家族と暮らしたくなくて一人暮らしを始めたのだ。「私をこんな生きづらい人間に育て上げたお前らの元に帰って休養もクソもあるか」と思った。だからといって、東京で働き一人暮らしを維持する元気も経済力もない。

「もうどこにもいたくない」という自棄な気持ちと、「自分はまだ東京で頑張れるはずだ」という意地と、「東京でも実家でもいいからとにかく休んで立ち直りたい」という願望とで、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

ぐちゃぐちゃになりながらも、漠然と「1回実家に戻ってみよう」という気持ちはあった。それと並んで漠然と東京が(というか東京の友達や一人暮らしの楽しさが)名残惜しかった。

実家と東京は新幹線で3時間以上の距離だ。時間があっても金がない無職が気軽に行くには難しい距離だし、一人暮らしを再開するとなったらきっと今よりいろいろ厳しい。「それでもいいから実家に帰ろう」と決意できるだけの理由を見つけられなかった。

けれど「本が読めなくなった」と気づいた瞬間、そのためらいがスーッと消えた。

「本が読めないのはヤバい」と、頭のどこかで誰かが呟いた。五臓六腑が一斉に同意した。

とりあえず「本が読めない」とググってみた。ヒットしたページをいくつか見ていたら「環境を変えてみよう」と書いてあった。五臓六腑が、もう一度同意した。

環境を変えてみよう。実家に帰ってみよう。読みたかった本が読めるようになるかもしれない。五臓六腑が、「そうだね」と口々に呟いた。

とりあえず実家の母に「帰ることにした」とメールした。快くOKしてくれた。

本が読めなくなったからといって、決して死ぬわけではない。本が読めなくてもネットの記事やSNSは読んでいたし、映画やゲームにハマっていたし、数少ない友達と遊ぶことがとても楽しかった。

それでも、本が読めなくなったことが嫌だった。気になる情報やおもしろそうな物語は、ほとんどが本の中だった。昔みたいに、好きな本を好きなだけ読みたかった。

本と自分の世界に閉じこもって、足らない想像力で必死に書かれた景色や人物を妄想して、わからない言葉や用語を調べて、新しい知識を得て、物語の展開に感情を左右されて、結末の余韻に浸りたかった。

心身の具合が悪くなったことより、無職になったことより、本が読めなくなったことのほうがずっとずっと悔しいし悲しかった。

入浴や歯磨きが数日間できないとか、20時間起きて20時間寝る生活をしているとか、食べ物が食べ物以外の気持ち悪い何かに見えてしまうとか、そんなもの、目の前の本が読めないことに比べたらヤバくもなんともない。

なんだかんだで、本を読むことは、自分にとってすごく大切なことだった。

 

かなり支離滅裂だが、以上の理由で実家に帰ることにした。

ここまで読んでくださった方は「こいつどんだけ本の虫なんだ」と思われるかもしれないが、私は決して本の虫でも書痴でも活字中毒でも何でもない。

話をわかりやすくするため「本を読むこと」についてだけ書いたが、それ以外にも、映画、ゲーム、旅行、観光、イベント、ショッピング、友達とのお出かけなどなど、いろんな「好きだった物事」に対して徐々に興味がなくなってきている。

要は「好きだったことが次々と苦行になってきてヤバい」のである。本はその境界線の上にあっただけだ。

ここでヤバいと気づいていなかったら、この話は来年1月頃に「映画が見れなくなったので、実家に帰ることにした」という内容で投稿されていただろう。

引越すのは少し時間と手間がかかるけれど、実家で家族にブチ切れて余計心身がダメになるかもしれないけれど、どうせこのまま東京にいたって何も変わらない。もし実家に帰ってもダメなら、その時はその時だ。

だから、実家に帰ることにした。

どうしてさっきから自分が泣いているのか、書き終わった今でもよくわからない。

 


【執筆者】
五四 さん

【プロフィール】
心もお先も真っ暗なゆとり世代。特技は長時間睡眠。


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1件のコメント

k 返信

初めまして。
「趣味がなくなった」となんとなくググッたところヒットしました。
僕は高校生ですが、情熱を注いでいた読書とゲームに一切身が入らなくなり半年ほど無気力な生活を送っていました。
ですがこのコラムをみて環境を変えてみようと、図書館やファストフード店を転々として勉強したり本を読んだりしたところまた人間らしい生活に戻れた気がします。
僕にとっての恩人です。ヒントを下さりありがとうございました。

きっと五四様にも良い未来が開けると思います。

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