自分と他人の境界線がわからない 自分の人生を生きている実感が持てない日々
私は人と関わることが苦手な社会人一年目の女です。
人見知りで、初対面の人と上手く話すことも出来ないし、度々会ってる人とも上手く距離を縮めることが出来ません。いわゆるコミュ障です。
中学時代までは、問題は抱えていてもまあまあ楽しく毎日を生きることができていました。地元の公立学校に通っていて、周りの人間はほとんど小さい頃からの知り合いだったからです。そのため、友達の数は少なかったですが、なんとか普通に生活していました。
高校に進学し、初めて地元を出て周りの人間が知らない人だらけになったとき、私はクラスに馴染むことが出来ず、友達も作れず、不登校になって退学しました。通信制高校に入りましたが、登校日は少なかったため、引きこもり生活に突入しました。
中学時代の友達は、ごく普通に学生生活を送っていたため、引きこもりコンプレックスになった私は連絡を絶ってしまい、高校三年間は本当に友達ゼロで、寂しい日々を送りました。
ネット上に居場所を見つける手もあったと思いますが、当時の私はそれをしませんでした。今思うと、親が怖かったのです。中学時代から私は携帯を持っていましたが、私がいない隙に私の携帯を親が見ているのを知っていました。ガラケーだったため、パスワード設定もできず(もしかしたら設定できたかもしれませんが、当時の私は知らなかった)、親に「見ないで」と言っても見続けていることもわかっていたため、私は常に自分の行動が親に監視されている気分だったのです。
監視してるとはいえ、親は私の行動を厳しく制限したりはしません。比較的自由にさせてくれたようにも思うのですが、私は監視されていることを知っていたから、親に怒られるような行動を自主的に慎んでいました。
厳しく言われなくても、親が「こうあるべきである」という私への理想を持っていたことを知っていました。私が高校を辞めたときにメンタルがかなり落ち込んだのも「こうあるべきである」という理想の高校生(というよりは普通の高校生)からあまりにも逸れすぎてしまったからというのもありました。
私の親は学歴コンプレックスで、私を有名な大学に入れようと高校受験からとても熱心でした。私は親と喧嘩しつつも、受験勉強を頑張り、そして第一志望の高校に落ちました。
滑り止めの私立に進学して、最初はそこで勉強を頑張ろうとしていましたが、結局は辞めてしまい、それからは勉強を一切していません。毎日毎日、私には本当に何も価値がないと思う日々でした。
通信制高校三年生のときに、自己推薦入試で偏差値が低い大学に受かりました。中卒程度の学力でしたので、一般入試は最初から親も私も諦めていました。入試に受かった時、親は泣いて喜んでくれました。私はその時、親の学歴コンプレックスから初めて解放されました。私は親のコンプレックスを肩代わりして、苦しみ続けていたのです。
高校までの人生で、私は今まで、誰かと同一化する人間関係しか形成できていなかったことに初めて気付きました。
親のコンプレックスを肩代わりする必要もないし、親の子への理想を追い求める必要もない、ということに高三から大学生のときに気付きましたが、まだ「良い子」からは抜け出せていません。
友達関係でも、同一化に近いようなことが中学時代にあったことに気付きました。私には、他人と自分の境界線をはっきり引けないところがあるのです。
今の私は誰かと仲良くなることがものすごく怖いです。他人と自分の線引きが苦手なので、過剰に線引きをしてしまうし、その線からはみ出ないように生きることしか出来なくなりました。
それだけならまだ良いのですが、前述したように私はコミュニケーションが苦手です。性格が暗いとよく言われます。自分でも暗いと思っています。元気に生きようと過剰に装ったこともあったのですが、めちゃくちゃ疲れてしまい、長くは続きません。他者との関わり方がわからないまま、生きています。
大学はいろいろありながらも4年間通いました。就活を挫折しながらも、なんとかギリギリ内定が決まって無事卒業しましたが、最近は仕事を辞めたくて仕方がない日々です。選択肢が無くて向いてない職業に就いてしまったのが地獄でした。向いてないのは分かりきっていたため、初めからすぐ辞めようとは思っていましたが、「辞めます」と言う勇気が持てないまま、体調が悪くなる一方です。
精神科には行ったことがありませんが、高校の不登校時から、心の中にある自己否定感情は全く消えることがありません。私は結局、自分の人生を生きることが出来ていないのです。だから、自分のことを肯定なんて絶対できないのです。
しかし、「自分の人生」ってなんだ?と思ってもわかりません。
だって、私はなんだかんだいって自分の人生の選択を自分で決めてきたんです。誰かに強制されたことなんてありません。それなのに、自分の人生を生きている実感が持てない。自分と他人の境界線がわからないからなのでしょうか。
「誰かと接することが楽しい」と少しでも思えるようになりたいと考えながらも、現状一人が楽すぎます。
誰かと依存せずに、離れすぎずに、適切な距離感で信頼関係を構築できたら、そんな幸せなことはないです。
【執筆者】
いちご さん
【プロフィール】
社会人一年目の女です。コミュ障で友達がとても少ない。
人見知りで、初対面の人と上手く話すことも出来ないし、度々会ってる人とも上手く距離を縮めることが出来ません。いわゆるコミュ障です。
中学時代までは、問題は抱えていてもまあまあ楽しく毎日を生きることができていました。地元の公立学校に通っていて、周りの人間はほとんど小さい頃からの知り合いだったからです。そのため、友達の数は少なかったですが、なんとか普通に生活していました。
高校に進学し、初めて地元を出て周りの人間が知らない人だらけになったとき、私はクラスに馴染むことが出来ず、友達も作れず、不登校になって退学しました。通信制高校に入りましたが、登校日は少なかったため、引きこもり生活に突入しました。
中学時代の友達は、ごく普通に学生生活を送っていたため、引きこもりコンプレックスになった私は連絡を絶ってしまい、高校三年間は本当に友達ゼロで、寂しい日々を送りました。
ネット上に居場所を見つける手もあったと思いますが、当時の私はそれをしませんでした。今思うと、親が怖かったのです。中学時代から私は携帯を持っていましたが、私がいない隙に私の携帯を親が見ているのを知っていました。ガラケーだったため、パスワード設定もできず(もしかしたら設定できたかもしれませんが、当時の私は知らなかった)、親に「見ないで」と言っても見続けていることもわかっていたため、私は常に自分の行動が親に監視されている気分だったのです。
監視してるとはいえ、親は私の行動を厳しく制限したりはしません。比較的自由にさせてくれたようにも思うのですが、私は監視されていることを知っていたから、親に怒られるような行動を自主的に慎んでいました。
厳しく言われなくても、親が「こうあるべきである」という私への理想を持っていたことを知っていました。私が高校を辞めたときにメンタルがかなり落ち込んだのも「こうあるべきである」という理想の高校生(というよりは普通の高校生)からあまりにも逸れすぎてしまったからというのもありました。
私の親は学歴コンプレックスで、私を有名な大学に入れようと高校受験からとても熱心でした。私は親と喧嘩しつつも、受験勉強を頑張り、そして第一志望の高校に落ちました。
滑り止めの私立に進学して、最初はそこで勉強を頑張ろうとしていましたが、結局は辞めてしまい、それからは勉強を一切していません。毎日毎日、私には本当に何も価値がないと思う日々でした。
通信制高校三年生のときに、自己推薦入試で偏差値が低い大学に受かりました。中卒程度の学力でしたので、一般入試は最初から親も私も諦めていました。入試に受かった時、親は泣いて喜んでくれました。私はその時、親の学歴コンプレックスから初めて解放されました。私は親のコンプレックスを肩代わりして、苦しみ続けていたのです。
高校までの人生で、私は今まで、誰かと同一化する人間関係しか形成できていなかったことに初めて気付きました。
親のコンプレックスを肩代わりする必要もないし、親の子への理想を追い求める必要もない、ということに高三から大学生のときに気付きましたが、まだ「良い子」からは抜け出せていません。
友達関係でも、同一化に近いようなことが中学時代にあったことに気付きました。私には、他人と自分の境界線をはっきり引けないところがあるのです。
今の私は誰かと仲良くなることがものすごく怖いです。他人と自分の線引きが苦手なので、過剰に線引きをしてしまうし、その線からはみ出ないように生きることしか出来なくなりました。
それだけならまだ良いのですが、前述したように私はコミュニケーションが苦手です。性格が暗いとよく言われます。自分でも暗いと思っています。元気に生きようと過剰に装ったこともあったのですが、めちゃくちゃ疲れてしまい、長くは続きません。他者との関わり方がわからないまま、生きています。
大学はいろいろありながらも4年間通いました。就活を挫折しながらも、なんとかギリギリ内定が決まって無事卒業しましたが、最近は仕事を辞めたくて仕方がない日々です。選択肢が無くて向いてない職業に就いてしまったのが地獄でした。向いてないのは分かりきっていたため、初めからすぐ辞めようとは思っていましたが、「辞めます」と言う勇気が持てないまま、体調が悪くなる一方です。
精神科には行ったことがありませんが、高校の不登校時から、心の中にある自己否定感情は全く消えることがありません。私は結局、自分の人生を生きることが出来ていないのです。だから、自分のことを肯定なんて絶対できないのです。
しかし、「自分の人生」ってなんだ?と思ってもわかりません。
だって、私はなんだかんだいって自分の人生の選択を自分で決めてきたんです。誰かに強制されたことなんてありません。それなのに、自分の人生を生きている実感が持てない。自分と他人の境界線がわからないからなのでしょうか。
「誰かと接することが楽しい」と少しでも思えるようになりたいと考えながらも、現状一人が楽すぎます。
誰かと依存せずに、離れすぎずに、適切な距離感で信頼関係を構築できたら、そんな幸せなことはないです。
【執筆者】
いちご さん
【プロフィール】
社会人一年目の女です。コミュ障で友達がとても少ない。
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