廃人だった過去の僕へ。何も得られなかったと嘆いた数年間も、全くの無意味なんかじゃなかった
今の僕は破産した当時の父よりも多額の借金を抱え、身体が弱くて働けないと言っていた母よりも重篤な虚弱になり、そして離婚した両親それぞれから勘当を言い渡された。
昔住んでた家は、今は他の誰かが住んでいるらしい。
それでも、「今の僕は大丈夫だよ」って昔の自分に言ってあげたい。
大学に入ってから、自分の身体の違和感に少しずつ気付き始めていた。まともに起きられない。うつうつとして外に出られない。当時はずっと自分を責めていた。なまじ元気なときもあるから余計に。常にぎりぎりの生活だった。いつの間にか、身に迫る危機感がなくては満足に日中起きられない身体になっていた。金がなかった。夕方のバイトなのに、直前にしか起きられないから毎度猛ダッシュだった。それ以外のときはほとんど1日中部屋で横になっていた。
あるとき、バイト先で人の話していることが頭に入ってこないことに気付いた。なにかを言っていることはわかるが、なにを言っているのかが拾えなくなってきていた。自分が内側から崩れていっているようで、なにもできなくなっていくかのようで怖くてたまらなかった。そのバイト先は辞めた。
病院に行くのは怖かった。病気だと診断されることが怖かったのではない。「あなたは病気でもなんでもありません」と言われるのがどうしようもなく怖かった。もし病気でもないなら、僕は自分の”甘え”のせいでこうなっているのであって、誰も救ってくれないし、僕はずっとこの先もこうやって満足に起きて活動することすらできないのだと確定してしまいそうだったから。もしそうなったら、僕は終わりだと思っていた。
身体はいよいよままならなくなった。目が覚めるたびに「どうしてまた目が醒めてしまったのだろう」と悲しくなった。焦燥感でいっぱいいっぱいで、何も感じなくなっていった。見える情報から色彩がなくなって、僕から見える世界は灰色だった。「死んだほうがいい」「自分は生きる価値がないから死んだほうがいい」。口をつくようにそんな言葉が出た。最後まで言わないようにと思って、でも口から溢れ出すから「しに」「しに」とだけこぼしてはつぐんだ。「お前なんて生きる価値がないから死んだほうがいい」という言葉が頭のなかで何重にも反響していた。
自分の身体がねじきれるようなイメージが鏡越しに見える気がした。視界の端になにか黒いものがいるような感覚に囚われた。緊張で身体はこわばって歩いたりペンを持つことも徐々に難しくなっていった。電車に乗るのが困難になった。知り合いを見かけても喉が締まって声にならなかった。起きているのにうわ言が漏れるようになった。上体を奇妙に揺らしながら徘徊するようになった。
震える手でペンを握って…でも何もかけなかった。もう言葉が、単語でさえも頭に思い浮かべられない自分がいた。少し思考力を取り戻したとき、仮に身体が動いても、理性を失ってしまったらそれは自分ではないと、身体は生きていても自分の頭で思考ができないなら、生きているとは言えないと思った。僕は、廃人だった。
大学の保健センターに掛かった。うつ状態で、よくなるには短くとも半年はかかると言われた。半年! そんな長い間もこんな状態でやっていけるわけがない! 半年なんて信じられないほど長い時間もかけている場合ではない。”甘え”さえ捨てれば”本当は”2週間位でよくなるはずなんだから…。当時の僕は大真面目にそう考えていた。
だが実際、保健センターにつながっても2、3年は生きると死ぬの間に揺れていた。「死のう」という意志ではなくて、「ああ自分はホームに(こうやって)飛び込んで死ぬんだな」ということが感覚として腑に落ちてしまっていた。高所から飛び降りたときに見える風景、線路に飛び出す自分自身。どちらも日常的に”見えて”いた。22歳まで、生きている予定ではなかった。就職に失敗した折に僕は死ぬんだと、”知って”いるつもりだった。自殺は予定調和として、少し先に”そうあるべくしてある”というふうだった。
―――そして冒頭に戻る。
もう保健センターでの初診から7年が経とうとしている。僕は来年で大学8年目になる。幸運なことに、まだ生きて、生活を営んでいる。障害者手帳を取って、障害者就活をしようとしている。今は薬で少しずつコントロールができるようになってきた。アルバイトをしながら、なんとかぎりぎりで生活をつないでいる。
自分の体験を綴ってみて、やっぱり自分がぐらつくような感覚はあって、生々しい部分は未だに多い。物語として語るのに意図的に省いている部分があるとも思う。自分が辛かったという物語を語るのに、妙な異論を挟まれたくはないのだ。
自分のある種の不幸を語るとき、それを補強するようなデータを探してしまう。電気も水道も止まるようなとても貧しい家庭で育ったこと。幼い頃から両親のヒステリックな争いに巻き込まれていたこと。酒を飲んだ父母に常に怯えながら育ったこと。いじめを受けたこと。不登校になったこと。ずっと家族から馬鹿にされてきたこと。障害を負ったこと。親の理解を得られず勘当されたこと。
不幸を並べることには、ある種の快楽が伴う。ここで語ったことは別に虚偽ではない。でもこれだけを並べても僕の人生の”本当”は組み上がらない。
過去の僕に言おう。
君がこの身体と向き合うのに「やってられない」と思った半年なんて、本当にあっという間だということ。2年や3年でもなくて、かれこれ7年目の付き合いになろうとしていること。それでもなんとか生きていること。君が何も得られなかったと嘆いた数年間も、全くの無意味なんかじゃなかったこと。今につながっていること。奇跡のような巡り合わせで今があること。どの”不幸”ひとつ欠けても今の自分はないこと。今の自分を好きになれていること。人一倍自分への期待が大きい僕だからすぐ拗らせちゃうけど、自分もやっぱり捨てたもんじゃないってこと。「人に求められたい」と思って人を求めたことが、間違いじゃなかったこと。
自分の辛さを伝えるための言語がないコミュニティに居ると辛いよね。でも、”辛くなくちゃダメ”っていう同調圧力のあるところも、怖い。今の僕は元気で、病気だから、健常な人に伴走するには息が切れるし、ひどく具合が悪い人から見たら妬ましいかもしれなくて、それはそれでちょっとだけ困っています。だけど当時の僕は、もう少し周りに心を開いても、よかったのかもしれません。人生で大事なひとなんてそんなにたくさんはいないから、大事だなって素朴に思える人が周りにいるならその人ともっと関わっておいてください。
僕は今でも正直2、3年後には死んでいるんじゃないかと普通に思うのですが、でももう少し生きていきそうな予感が強くなってきたので、なんとかいい仕事を見つけて社会に軟着陸したいなと考えています。
君から何年か後の僕は、たくさんの人から支えてもらって今生きているから、何の保証もできないけど、どれだけ自分にできることが小さくても、”微力だけど無力ではない”と思って、自分にできることをしようと思っているよ。
それを聞いて元気になってほしいとは思わない。でもそういう可能性もあるんだってことをただ知っていてほしいような気がする。あの時の僕は、他の人の語りがもっとそばで聞けたらきっとよかったんだろうね。
読んでくださりありがとうございました。
【執筆者】
清水 さん
【プロフィール】
Twitter:@27432m
昔住んでた家は、今は他の誰かが住んでいるらしい。
それでも、「今の僕は大丈夫だよ」って昔の自分に言ってあげたい。
大学に入ってから、自分の身体の違和感に少しずつ気付き始めていた。まともに起きられない。うつうつとして外に出られない。当時はずっと自分を責めていた。なまじ元気なときもあるから余計に。常にぎりぎりの生活だった。いつの間にか、身に迫る危機感がなくては満足に日中起きられない身体になっていた。金がなかった。夕方のバイトなのに、直前にしか起きられないから毎度猛ダッシュだった。それ以外のときはほとんど1日中部屋で横になっていた。
あるとき、バイト先で人の話していることが頭に入ってこないことに気付いた。なにかを言っていることはわかるが、なにを言っているのかが拾えなくなってきていた。自分が内側から崩れていっているようで、なにもできなくなっていくかのようで怖くてたまらなかった。そのバイト先は辞めた。
病院に行くのは怖かった。病気だと診断されることが怖かったのではない。「あなたは病気でもなんでもありません」と言われるのがどうしようもなく怖かった。もし病気でもないなら、僕は自分の”甘え”のせいでこうなっているのであって、誰も救ってくれないし、僕はずっとこの先もこうやって満足に起きて活動することすらできないのだと確定してしまいそうだったから。もしそうなったら、僕は終わりだと思っていた。
身体はいよいよままならなくなった。目が覚めるたびに「どうしてまた目が醒めてしまったのだろう」と悲しくなった。焦燥感でいっぱいいっぱいで、何も感じなくなっていった。見える情報から色彩がなくなって、僕から見える世界は灰色だった。「死んだほうがいい」「自分は生きる価値がないから死んだほうがいい」。口をつくようにそんな言葉が出た。最後まで言わないようにと思って、でも口から溢れ出すから「しに」「しに」とだけこぼしてはつぐんだ。「お前なんて生きる価値がないから死んだほうがいい」という言葉が頭のなかで何重にも反響していた。
自分の身体がねじきれるようなイメージが鏡越しに見える気がした。視界の端になにか黒いものがいるような感覚に囚われた。緊張で身体はこわばって歩いたりペンを持つことも徐々に難しくなっていった。電車に乗るのが困難になった。知り合いを見かけても喉が締まって声にならなかった。起きているのにうわ言が漏れるようになった。上体を奇妙に揺らしながら徘徊するようになった。
震える手でペンを握って…でも何もかけなかった。もう言葉が、単語でさえも頭に思い浮かべられない自分がいた。少し思考力を取り戻したとき、仮に身体が動いても、理性を失ってしまったらそれは自分ではないと、身体は生きていても自分の頭で思考ができないなら、生きているとは言えないと思った。僕は、廃人だった。
大学の保健センターに掛かった。うつ状態で、よくなるには短くとも半年はかかると言われた。半年! そんな長い間もこんな状態でやっていけるわけがない! 半年なんて信じられないほど長い時間もかけている場合ではない。”甘え”さえ捨てれば”本当は”2週間位でよくなるはずなんだから…。当時の僕は大真面目にそう考えていた。
だが実際、保健センターにつながっても2、3年は生きると死ぬの間に揺れていた。「死のう」という意志ではなくて、「ああ自分はホームに(こうやって)飛び込んで死ぬんだな」ということが感覚として腑に落ちてしまっていた。高所から飛び降りたときに見える風景、線路に飛び出す自分自身。どちらも日常的に”見えて”いた。22歳まで、生きている予定ではなかった。就職に失敗した折に僕は死ぬんだと、”知って”いるつもりだった。自殺は予定調和として、少し先に”そうあるべくしてある”というふうだった。
―――そして冒頭に戻る。
もう保健センターでの初診から7年が経とうとしている。僕は来年で大学8年目になる。幸運なことに、まだ生きて、生活を営んでいる。障害者手帳を取って、障害者就活をしようとしている。今は薬で少しずつコントロールができるようになってきた。アルバイトをしながら、なんとかぎりぎりで生活をつないでいる。
自分の体験を綴ってみて、やっぱり自分がぐらつくような感覚はあって、生々しい部分は未だに多い。物語として語るのに意図的に省いている部分があるとも思う。自分が辛かったという物語を語るのに、妙な異論を挟まれたくはないのだ。
自分のある種の不幸を語るとき、それを補強するようなデータを探してしまう。電気も水道も止まるようなとても貧しい家庭で育ったこと。幼い頃から両親のヒステリックな争いに巻き込まれていたこと。酒を飲んだ父母に常に怯えながら育ったこと。いじめを受けたこと。不登校になったこと。ずっと家族から馬鹿にされてきたこと。障害を負ったこと。親の理解を得られず勘当されたこと。
不幸を並べることには、ある種の快楽が伴う。ここで語ったことは別に虚偽ではない。でもこれだけを並べても僕の人生の”本当”は組み上がらない。
過去の僕に言おう。
君がこの身体と向き合うのに「やってられない」と思った半年なんて、本当にあっという間だということ。2年や3年でもなくて、かれこれ7年目の付き合いになろうとしていること。それでもなんとか生きていること。君が何も得られなかったと嘆いた数年間も、全くの無意味なんかじゃなかったこと。今につながっていること。奇跡のような巡り合わせで今があること。どの”不幸”ひとつ欠けても今の自分はないこと。今の自分を好きになれていること。人一倍自分への期待が大きい僕だからすぐ拗らせちゃうけど、自分もやっぱり捨てたもんじゃないってこと。「人に求められたい」と思って人を求めたことが、間違いじゃなかったこと。
自分の辛さを伝えるための言語がないコミュニティに居ると辛いよね。でも、”辛くなくちゃダメ”っていう同調圧力のあるところも、怖い。今の僕は元気で、病気だから、健常な人に伴走するには息が切れるし、ひどく具合が悪い人から見たら妬ましいかもしれなくて、それはそれでちょっとだけ困っています。だけど当時の僕は、もう少し周りに心を開いても、よかったのかもしれません。人生で大事なひとなんてそんなにたくさんはいないから、大事だなって素朴に思える人が周りにいるならその人ともっと関わっておいてください。
僕は今でも正直2、3年後には死んでいるんじゃないかと普通に思うのですが、でももう少し生きていきそうな予感が強くなってきたので、なんとかいい仕事を見つけて社会に軟着陸したいなと考えています。
君から何年か後の僕は、たくさんの人から支えてもらって今生きているから、何の保証もできないけど、どれだけ自分にできることが小さくても、”微力だけど無力ではない”と思って、自分にできることをしようと思っているよ。
それを聞いて元気になってほしいとは思わない。でもそういう可能性もあるんだってことをただ知っていてほしいような気がする。あの時の僕は、他の人の語りがもっとそばで聞けたらきっとよかったんだろうね。
読んでくださりありがとうございました。
【執筆者】
清水 さん
【プロフィール】
Twitter:@27432m
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