友人の自殺。遺された者の悲嘆と苦しみ

体験談 自殺 自死遺族 こいわい みうら

ぼくとその友人「A」は元々インターネットで知り合いました。

10年前、ぼくは東京のブラック企業で精神をやられて病気になり、地元に戻って療養生活を送っていました。

恥ずかしくて言いづらいのですが、少し体調が良くなってきたところで、ニコニコ動画にゲーム実況動画や生放送などをアップしていました。それを見に来てくれている一人に、その友人Aがいました。このニコニコ動画の活動でその友人A含め、数人の友人ができました。当時は夜から朝までみんなでゲームしていたのを覚えています。

4,5年ほどの療養という名の無職期間を経て、ぼくはドラッグストアで契約社員として働くようなりました。

そのころにはただのネット友だちというより、頻繁にゲームしていたこと、そうでなくともただ雑談したり、たまにはみんなで集まって旅行したりなどしていました。また、友人Aは発達障害を抱えており、偶然ですが自分と同じ共通点がありました。

ということで、出会いはインターネットだけど、みんな普通の友だちと変わらない存在になっていました。病気によってリアルでの友人の多くを失った自分にとって、彼は大切な存在でした。いや、元々友だちなんか多くなかったのですが・・・。

 

さて、時は流れて、いろいろ大変なこともあったドラッグストアでの仕事も、比較的安定して働けていることや年齢などを考えて、正社員として転職しようと転職活動を開始。

9月、転職を決めたぼくは再び田舎から上京してきました。

12月5日、2ヶ月間のハードな研修を終え、現場に配属された初日、簡単な説明と見学を終えて家に帰って、いつもどおりパソコンの電源を入れました。それが夜6時半頃だったかな・・・。

そして、メッセージが届いていました。

「ご家族の方から連絡がありまして、Aくんは思い詰めて亡くなったとのことです」

本当に頭が真っ白になることなんてあるんですね。

最近、友人Aがゲームに誘っても来ない。LINEで話しかけても既読にすらならない。こういうことは今までに何度かありましたが、多分また元気になったら出てくるだろうと思っていました。ただ、今回は期間が長すぎた。

そろそろ彼の自宅に何か送ってみようかという話が出始めたところ、仲間の一人が実際にお菓子などを送り、それでご家族もこちらの連絡先が分かって連絡できたとのこと。パソコンやスマホはロックがかかっていて、連絡の取りようがなかったそうです。

実際に亡くなったのは昨年の10月5日でした。ぼくが新しい会社に転職してすぐの段階で、友人Aは自ら命を絶っていたのです。ぼくはもちろんそんなことも知らず、日々の研修についていくので必死でした。

友人が自殺したことを知った夜、ぼくは意外にも冷静に、今後自分の精神状態が悪化することを予想し、会社に電話をかけて現状を報告していました。

ひと通り報告し終わって落ち着いたら、「なんでこんな時に・・・」とか「どうしていいか分からない」という困惑した気持ちが湧いてきました。初めての経験にただひたすら、どうしていいのか分からず混乱していました。「なんで死んでしまったんだろう」という気持ちもありました。

ぼくもAと同じく発達障害があり、そして私自身はブラック企業で精神を壊して死にたくてどうしようもない日々を送ったり、生きづらさというものはずっと感じてきました。自殺未遂もやらかしたので、死んでしまう気持ちも分からなくはないのですが、実際に友人に自殺されると「なんで死んだの」って気持ちが出てきます。というのも、死ぬときの気持ちなんて本人が直接語るわけじゃないからです。彼は一人で死にました。本心は謎のままです。

「仕方ない、仕方ない」

とにかく事実が受け入れがたく、そして悲しかったので、ぼくは「仕方ない」とつぶやいていました。仕方ないと言うのは、つらいことがあったときのぼくの口癖です。世の中理不尽なことだらけで、どうにかしたいけれどどうにもできない。だから一種の諦めとして、仕方ないと言うようになりました。

夜の9時頃、こういうときこそちゃんとごはんを食べようと思って食事を摂るのですが、吐き気を催してあまり食べることはできませんでした。このあたりから身体にも異常が表れ始めます。

夜中、眠れるはずもなく、ただひたすらに悔しい気持ちと悲しい気持ちがありました。このあたりから涙が溢れるようになってきました。

助けてあげることができなかった悔しさ。生きづらい世の中に対する恨み。実はまた戻ってきて、一緒にゲームができるんじゃないかというかすかな希望。いろんな感情が混ざっていました。

ぼくは病気を乗り越え、発達障害の部分についてもいろいろ勉強したり実践したり、とにかく諦めたくない気持ちがあって生きてきたわけです。昔の自分と比べると強くなったなという思いもあったのですが、結局は知識や経験によって外側は強くなりましたが、中は弱い自分のままでした。だから、少しでも突っつかれると、破れた水風船のように中身がドバッと出てしまうのです。今回の出来事に限らずですが。

なので、友人が自殺したとなるとそれはそれでショックなのに、さらに自分自身が元々抱えていた負の感情がどうしても溢れてきます。

12月6日、朝を迎えました。意外にも6時間くらい眠れたと思います。しかし、起きた瞬間から、自分は強くないこと、死んだ友人に会いたいこと、いろんな思いが溢れてきます。また、何かの冗談だろうという現実逃避もありました。そして、頭が痛い。

11時頃、会社の人がぼくの自宅最寄り駅まで話を聞きに来ました。喫茶店でいろいろ話をし、ぼくも現場の人に友人が自殺したという事実は伏せつつ、友人が亡くなったので仕事を休むという連絡を入れました。

「そこは割り切って仕事に来れないか?」と言われたとき、一気に怒りが湧いてきましたが、「割り切れるわけないでしょう」と冷静に、なおかつ少し笑いながら返しました。つらくても笑ってしまうのは自分の悪い癖です。

帰宅して一人になりました。

「今日ほど世の中がクソだと思ったことはない。いや、あったとは思うけど。本当に生きるのにも値しないゴミみたいな世の中だ」

世の中に対する怒りがまた湧いてきました。

この日はずっと、世の中に対する怒り、自分に負けそうになる気持ち、悲しみ、また会えるんじゃないかという希望、そしてとにかく、また会って話がしたいという気持ちがループしていました。特にまた会って話がしたいというのは二度と叶わぬ夢です。それが分かっているからこそ、どうしようもなく悲しかったです。

薬は飲んだはずですが、頭痛も治まりません。吐き気もずっとあるので、何も食べていないし、食べる気にもなれません。

再び夜になりました。

一度精神を病んだことのある人にとって、死というのは魅力的に見えます。死ねば今の苦しみから逃れられるのです。線路に飛び出せば終わる人生。しかし、それだけのことがやはりできないものです。

吐き気は酷くなっていって、トイレに行ったりもしましたが何も食べていないので出すものもない。さっさと寝よう。そう思って布団に入ったのですが、1時間ぐらい経って強い吐き気に襲われました。夜中の1時頃だったと思います。

トイレで吐こうと思って籠もったのですが、やはり何も食べていないので、出てくるのは水と胃液のみです。しかも段々と手足が痺れてきて、目の前がかすみ、呼吸が乱れてきました。これも初めてのことなので、これは倒れてしまうのかどうかの判断もつきません。救急車を呼ぶ? しかし、こんなことで? そう思ってためらいました。結局、これもまた恥ずかしながらTwitterでフォロワーさんからアドバイスをいただきました。

「ペットボトルにお湯を入れて、それを抱いてじっとしているといい」

なんとかペットボトルにお湯を入れ、それを抱いて椅子に座りました。そのまま3時間、何をするでもなくただじっとしていました。

「生きるも自由なら死ぬのも自由なのではないか。気軽に死んでもいいんじゃないか」そういうことをぼんやり考えていました。

午前4時、落ち着いたので眠れるかと再び布団に入ります。3時間ほど寝て、目が覚めました。

病院に行くために外へ出ます。冬の日の青空は爽快なはずなのに、全くいい気分にはなれない。死にたい気持ちを抑えて駅まで歩く。ブラック企業で精神を壊したときと同じだ。歩くのがとても重く感じる。

病院で先生に話をしました。しかし、ぼくは分かっているのです。医者にだってどうしようもできないことだと。話の内容も重いので、先生もどう声をかけるか気を遣っている感じでした。

「それはつらかったですねぇ・・・しばらく休んでくださいね」

そんなことは分かっている。今すぐ解決できないのか。分かりきったことしか言ってもらえなくて、医者にもどうしようもできないと分かってはいたけど、悔しい気持ちでいっぱいになります。

帰りの電車にちゃんと乗れるか自信はありませんでした。線路に飛び出してしまう気持ちというか、衝動が起きる可能性もあります。

お会計の際、受付のおばちゃんに、「ちょっとすみません、こっちにいいですか、他の患者さんに聞こえると影響が・・・」そう言って受付のおばちゃんと脇の廊下へ・・・。すでに涙が溢れそうでした。

「ちょっと話したいことがあるので・・・」と絞りだすと、別室に連れて行かれました。そこで、受付のおばちゃんが話を聞いてくれました。

ここで一体何年ぶりなのか、どうしようもなく一気に感情が溢れて、声を上げて泣いてしまいました。いい歳した大人なのに。受付のおばちゃんが慌ててティッシュを持ってきてくれて、「みうらさんは優しいですね、ちゃんと他の患者さんに気を遣ってくれて・・・」「つらかったね、大変だったね」と慰められ、落ち着くまでここにいていいからねと言われました。

我慢していたものが一気に出てきました。いま思い出しても、悲しかったから泣いたのか、悔しいから泣いたのか、このときの感情がよく分かりません。ただ、一気に何かが押し寄せてきて泣いてしまいました。

泣いたりいろいろ話を聞いてもらったりして落ち着いたので、帰ることにしました。帰り道、自分の情けなさにふふっと笑いが出てきました。2日間何も食べてなかったので、ゼリーを買って帰りました。

病院に行くだけでかなりしんどいのに会社から連絡があって、いろいろ話したいから会社に来て欲しいと・・・。体力的にかなりきつかったですが、再び電車に乗って会社へ行きます。

会社ではいろんな人と話をしました。小さい会社なのでみんな仲がよくて、人生のレールから外れた人ばかりだからこそ、その辺はとても優しいです。社長まで出てきて、ぼくの話を聞いてくれました。

今回の友人の死とは関係ないですが、半ばやけくそになっていたので、自分の障害についても話をしました。自分一人で不安を抱えたまま働くのは不安でした。クビになってもいいから、とりあえず話しておこうと思いました。

 

さて、この2日間でいろんな人に相談をしましたが、その多くは「時間が解決する」という分かりきった答えばかりでした。いや、皆さん親切心からそう答えてくれているのは分かるのですが、この答えを聞いたときのイライラは半端ではないです。どことなく無責任な感じがするのです。

ぼくの病気が酷かったときも、時間が解決すると言われたことがあるような気がしますが、それはその人が頑張って困難を乗り越えたからで、決して時間が解決したわけではありません。だから、時間が解決するというのはなんのアドバイスにもならないのです。

そんな中、社長からは違うアドバイスが出てきました。それらが皆さんの役に立つのか分かりませんが、ここに記しておきます。

・人間はいつか死ぬ。あの世でまた友人と再会するから、そのときに楽しい話ができるように生きてほしい
・自分たちが死んであの世に行ったとき、なに勝手に死んでるんだよって説教してやれ
・自分の身に降りかかる災難は自分で解決できるものしかない

これはとても納得できました。結局、人間はいつか死にます。その時にあの世で友人に会えばいいわけです。そして、その時に楽しい話ができるように、遺された人は生きるしかないのでしょう。あの世があるかどうかは別として。ぼくは神も仏も信じていないので。

3番目の「自分の身に降りかかる災難は自分で解決できるものしかない」というのも、社長曰く、ぼくたちに北朝鮮問題が直接降りかかってくることはないよね? そういうのは外交関係とか、そういう仕事をしている人に降りかかってくるわけだし。だから自分に起こる災難は自分で解決できることしかないんだとのことでした。正直なところ、納得できたと言っても悲しみから逃れることはできず、つらい気持ちのままでした。ただ、少しは気持ちが楽になりました。

会社を出ると、「何かあればそっち行くけど」と友人からメッセージが届いていました。お言葉に甘えて、夕飯を食べに行くことにしました。

渋谷の喫茶店でスパゲッティを食べました。普段なら軽く平らげる量ですが、まだ胃の調子が悪かったので最後の方はきつかったです。これが2日ぶりの食事でした。やっとまともな固形物を胃に収めることができました。

食後は友人といろいろ話をしました。普通に雑談して、笑うことができて嬉しかったです。

友人が自殺したという知らせを受けて3日目以降は省略します。というのも、体調は相変わらず悪いままでご飯も1日1食、吐き気も酷いのでペットボトルにお湯を入れて抱いて寝るということを繰り返していました。人に頼った分、その親切がプレッシャーになったりもしました。

ただ、少しずつ余裕が出てきて、これを書いている今でも悲しい気持ちはあるし、自分も人生諦めてしまいたい、それができたら楽なんじゃないかという気持ちはありますが、とりあえずなんとか生きています。

 

今回の出来事は自分の人生にとって初めてのことでした。

大事なことをまとめると、

・体調が悪化したときの暖かいペットボトルは偉大だということ
・とにかく人と話すこと
・友だちの写真はたくさん撮っておこう
・スマホやパソコン以外の連絡手段を確保しておこう
・怒りも悲しみも全て事実だと認めてあげよう
・友だちともっと普段から会話しておこう
・友だちが悩んでいれば積極的に相談に乗ろう

特に3つめは大事ですね・・・。

ぼくたちオタクという人種はまずお互いの写真を撮りません。旅行はしても、自撮り棒なんか持って写真を撮るようなことはまずしないです。10年間の付き合いがあって、出てきた写真がわずか3枚しかありませんでした。とても悲しいです。それに、遺された家族の方も、どのようにぼくたちと過ごしていたのかとても気になるようでした。だから、そういう意味でもお互いの写真は撮っておかないといけないと痛感しました。

あとは連絡先の交換もそうですね。家族の方がまず困ったのは、パソコンもスマホもロックがかかっているので、連絡の取りようもなかったということでした。

だから、いくら出会ったきっかけがネットと言えども、旅行したりお互い誕生日プレゼントを贈ったりするような仲であれば、住所や電話番号など、何かあった際の連絡先をパソコンやスマホ以外にも記しておいた方がいいと思いました。

以上になりますが、少しでも不幸を減らせるように、そして、みんなが生きやすい世の中になることを祈っています。

 


【執筆者】
こいわい みうら さん

【プロフィール】
プロフィール:ブラック企業で精神を破壊された発達障害者
Twitter:@miura84


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2件のコメント

島川修一 返信

貴重なお話をありがとうございました。
お話を読ませて貰って感じたことがあったのでコメントさせて下さい。
8年も前になりますが、大学4年の冬に僕の友人が命を絶ちました。彼は大学で初めて友達になり、その後同じサークルで活動もした大切な友人でした。
彼は社交的な人間でしたが大学3年の後期頃から急に来なくなり、半年以上連絡もつかず、結局大学のゼミの先生からその知らせを聞きました。
最初はなかなか彼の死を受け止める事ができませんでした。心を乱し、疑問や救えなかった罪悪感を感じたこともあります。
彼の家に友人と行ってご両親と話をしたりもして、少し落ち着いて彼との出会いと別れの意味について考えるようになりました。
そしてこう考えるようになりました。
「人は離れ難い別れと出逢うために生きているのではないか」と。
人は人生の中で相当な数の人と出会います。
そしてその中で気がつかないうちに今生の別れをしている人が圧倒的多数を占めているにも関わらず気にも止めません。
でもあなたにとってその友人は「急にいなくなったら心を乱す」ほどの大きな存在であり、そんな人と出逢えたという事自体がすでに大きな意味を持つのであり、残された者に出来ることは自分の人生に価値があると思って亡くなった生きていく事だと思います。
余計なお世話だったらすみません。
お元気になられることを祈っています。

こいわい みうら 返信

こんにちは。
この記事を書いた本人です。
掲載されるとは思っていなかったので、しばらく見ていませんでした。

コメントありがとうございます。

私もこの文章を投稿したあと、彼の家族に共通の友人たちと会いに行きました。
家族が知らなかった彼の姿を知ることができて、ご家族の皆さんには喜んでいただけたのと、こちらも知らないことを知ることができてよかったです。

川島さんもご友人を亡くしているんですね。
コメントを読んで、見えて来た答えは違えど自分なりの答えを見つけていることが面白いと感じました。話が話なので、面白いというのは変ですが・・・。
立ち直るまでには苦労されたと思います。
友人の死から立ち直るという経験をして、見つけ出した答えが違う。だからこそ、川島さんの答えに感心しました。離れがたい別れと出会うために生きているとは考えたことはありませんでした。
別れがつらいなら出会わなければよかったのにと思うことは、今回のことに限らずよくありました。
ただ、そうは思ってもいつも思い出というものができて、それが自分の人生の記録として自分の中に残るんだなと思っていました。
だから、残念なことになってしまいましたが、彼と出会ったことは後悔してないです。

ぼくははっきりとした答えは出ていませんが、自分ができる範囲で少しでも生きやすい世の中を作れたらと思います。
心配してくださいましてありがとうございます。
もう元気になって、いつも通りの日々を送っています。
川島さんもお元気で。

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