「こころ百科」に関する記事につき、一部不確定な事実に基づく表現がありました、読者の皆様にお詫び申し上げます。

幸せなメンヘラはエセメンヘラなのか

コラム 双極性障害 403

こんにちは。403と申します。

私は家庭内に問題を抱えており、双極性障害を患っています。他にもメンヘラ的な問題は山積みですが、割愛します。

私は今まで、自分がメンヘラであるということにアイデンティティの拠り所を置き、自分がメンヘラであることをあまり包み隠さない言動をしてきました。もちろん、極力他人に迷惑をかけないよう気を使ってはいましたが、大いに迷惑をかけただろうし、甘えもありました。

不謹慎ではありますが、私は特別な存在でいたかったのです。家庭内に問題があることも、双極性障害を患っていることも、普通の人を見る目では見られませんでした(それらを積極的に公言してきたわけではありませんが)。なので、どういう意味であれ、確かに私は特別な存在であると感じていました。

ところが、というのも変ですが、客観的に見て、私を取り巻く事態は好転しました。家庭内の問題は、両親が離婚したことにより、一気に解決しました。家族の絆が深まる出来事さえありました。いつのまにか、あんなに嫌いだった家族のことが好きになっていました。

また、私の双極性障害は、自分に合った薬が見つかったことで、嘘のように良くなりました。誰彼構わず怒鳴り散らしたり、そうかと思えば鬱でずっと寝込んだりするというようなことが劇的に少なくなりました。もちろん、一生薬を飲み続けなければなりませんが、毎日を比較的穏やかな気持ちで過ごせるのです。

今、私はささやかに幸せです。しかし、私がこの状況を手放しに喜んでいるかというと、実はそうではありません。

先にも述べた通り、私のアイデンティティはメンヘラであることだという思い込みから今も抜けられず、ただでさえ何もない私がメンヘラを自称することをやめてしまったら、本当に何も残らないと思ってしまうからです。

今まで、あまり普通には体験できなさそうな、辛くて過激な話ばかり面白おかしく話のネタにして生きてきました。そんな私が普通の話をして面白いでしょうか。そのようなことばかり危惧しています。

一番恐ろしいことは、この文章を書いていても思うのですが、「幸せなメンヘラは存在しない、そんなものはエセメンヘラだ」と言われることです。今までにあった辛いことを書き連ねなければ、私が本当にメンヘラであると信じてもらえない気がしています。

また、共通の生きづらさをきっかけに知り合った、私と同じメンヘラの方にこそ、そう思われるのが怖いのです。私の生きづらさが薄れることは、つながりが切れてしまうことを意味する気がしてなりません。

私は、まだ時間はかかりそうですが、堂々と幸せなメンヘラを自認して生きていけたらいいと思っています。


【執筆者】
403 さん

【プロフィール】
メンヘラ(20代)


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2件のコメント

うずなか 返信

誰しも心も体も少しずつ病んでる部分と健康な部分があるものだと思います。
病んでれば不幸せ(それをネタにもできる)だと思うこともあるかも知れませんが、
健康なら必ず幸せなことも無いように自分が不健康だと思うからといって必ず不幸でなければならないなんてことないと思います。
自分が幸せに思えること以上素晴らしいことは無いと思います。そう、シンプルに感じられることを祈ります。

403@Bipolar_star(TwitterIDです) 返信

読んでいただき、また、コメントありがとうございます。
そして、この場を借りて、私の拙い文を掲載してくださったメンヘラ.jpに感謝いたします。

うずなかさんがおっしゃるように、自分が幸せに思えること以上に素晴らしいことはないはずなのに、それに対して自分で疑念を持ってしまうという悩みがこの文章を書く原点だったと思います。
ですので、改めてそう言っていただいたことは、私にとってそれを信じる力になります。ありがとうございました。
文章が下手で申し訳ありません。本当にありがとうございます。

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