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統合失調症を発症して10年。世界中を恨んでいた私が、自分も他人も愛せるようになるまで

コラム 統合失調症 おき編み

はじめまして。私は統合失調症歴10年です。

だいぶ寛解していて、お薬は飲みながらもクローズで正社員として働き、恋人には打ち明けたうえで結婚前提に交際してもらっています。友だちは病気のことを知っている人も知らない人もいますが、仲良くやれています。

私が良くなってきた経緯によって、一人でも絶望から希望に近づけたら、と思い執筆しようと思いました。

 

1.統合失調症になった経緯

思い起こせば、子どもの頃から私は常に不安かつ不快でした。

記憶の一番底は幼稚園のとき。両親がバラエティ番組を観せてくれなかったこと、ゲームは全面禁止で、おもちゃもあまり買ってくれなかったこと……などが原因で、園の子たちと話題が合いませんでした。もちろん、私がウケの良くない性格なのも一因でしょう。よくいじめられました。昨日の友は今日の敵、なんてザラ。

いじめられ仲間が、次の日にはいじめる側に回ってることも。記憶にないだけで、もしかしたら私もいじめる側に回った日もあったのかなぁ。今思うと、幼稚園なのにかなり荒れてましたね。男の子たちがベタベタ触ってくるのと、女の子たちが完璧な無視をしてくるのは、今でも嫌な記憶として残っています。

けれども、家ではリラックスして過ごせました。某公共放送の教育番組やアニメーションは観られたし、絵本も家にたくさんあり、父母ともに可愛がってくれたのです。ただ、自分の望むものは常に手に入りませんでした。望む、ということもよくわかりませんでした。

スーパーに連れて行ってもらえても、買ってくれるものと買ってくれないものがあります。それは、断絶とも言えるほど。コマーシャルでやっているものや可愛く売られている「お菓子」はほとんどがだめ。その代わり、とくにほしくもない菓子パンがいつもおやつでした。

別に珍しくもない話です。けれども、おそらく元々統合失調症の資質(嫌な言い方ですけども)が強い私は、周囲との差違から「自分と世界は断絶しているのだ」と強く思い込みました。

そして、その思い込みは20年続きます。

 

小学校・中学校では、いじめられることもありましたが、アニメを通して友人もできました。中学一年生のときには「ちょっとズレてるのが面白い」と言われて「不思議ちゃん」として、なぜがクラスで人気者になれました。ちなみに翌年は「調子に乗ってた」と言われて一層嫌われ、どこのグループにも入れませんでした。

私は自分を好かれている同級生と比べました。そして「自分は性格が悪くて好かれないんだな」と劣等感を抱きました。けれども、常に不安と不満にまみれ、性格を良くしようとしても、あさっての方向に行くばかりでなかなか改善しませんでした。

私は勉強ができたので、高校はいわゆる進学校に進みました。すると、ピタッといじめは止みました。小・中を通して本が好きだった私は、ヤングアダルトやライトノベルも含めて児童書や漫画、小説をよく読んでいました。

常に死にたい気持ちがあり、それから逃れるために、できるだけ物語のなかに浸ることが生き延びる術だったからだと思います。同じ理由で勉強が好きでした。常に何かに没頭していたため、自分の人生より、何かに浸っている時間のほうが長かったです。

そんなフィクションの世界が好きな子は、なぜか高校の方が多くいたように感じました。数は多くありませんでしたが、物語を通して大切な友人ができます。「友だちっていいな」と思えたり、人のことを信用できるようになったり、自分を少しずつ認められるようになったり。高校ではたくさんのことを学ばせてもらいました。

もはや「没頭」自体が趣味の私は、周りの流れに乗り、勉強依存と言えるほど受験勉強に勤しみました。おかげで、いわゆる有名私学に進学します。

 

さて、大学進学のために都市で一人暮らしを始めた私は、あっけなく病みました。

友だちができない。どこのサークルに入ればいいのか分からない。アルバイトは何をすればいいのか。服はなにを着ればいいの? 恋人をつくらなくちゃ。部屋の家具は、家電は、インテリアは……。そして、膨大な時間。

今振り返れば、好きなことはだいぶ偏っているんだから、その方向に進めば全ては解決できたんじゃないかと思います。けれども、自分が嫌いだった私は別の人間になろうと、あらぬ方向へ向かいました。

服もメイクも派手に。サークルはテニサーへ。人の目線に晒されるのが嫌いなくせに、なぜかコンビニやカフェでレジに立ちました。どんどん病んでいって、自分だけでなく周りの人間もがんがん否定するようになりました。当然、そんな人間に友人や恋人ができるわけもありません。

病んで病んで、意味のわからない買い物をぐちゃぐちゃして。人のいるところだと見られていそうな気がして、講義には行けなくなりました。

何年か粘りましたがついにダメになり、母に迎えにきてもらって休学の手続きをしました。

 

実家ではひたすら引きこもります。

清潔にすると、ありのままの自分が晒されたように思えて怖く、髪を5日ごとに洗うようになりました。汚れが自分を隠してくれるって思ったんです。みんなが寝る頃に起きだし、親の財布から抜いたお金で、コンビニでジャンク菓子を買って、それを食べながら、ひたすら当時の2ちゃんねるで誰かの悪口を延々と見て安心していました。そして明るくなるころに寝ます。光が私のダメさを照らすのが耐えられなかったのです。明るいときは、布団のなかでひたすら固まっていました。身じろぎをすることが、すごくこわかった。少しでも動くと空気が刺してくるんじゃないかと思っていました。

はい、完全に統合失調症の症状です。けれども病院では、症状に嘘をつきました。本当の自分なんて、医師に知られるのも怖かった。これは良くなかったですね。結果として躁うつ病の診断をもらい、そのための薬を飲んだことで回復が遅れました。

自殺未遂もしました。オーバードーズです。薬を全て、父のウイスキーで流し込んだのです。突然叫びだしたり、逆にずっと口をきかなかったり。視界はぐんにゃり歪んで、音も近くなったり遠くなったり。恐怖があったかと思うと多幸感。悪夢のような状態になりました。激情に追いつかなくなり、思いつく限りの人への呪詛を吐き、自分に性経験がないことを親のせいだと恨み、全部ぶちまけました。家族はよくその間面倒を看てくれたと思います。ちなみに、私はその間のことを覚えてないことになっています。

そして、大規模病院の精神科に入院します。そのころには叫び散らしたことでスッキリしたのか、もうどうでもよくなり、洗いざらい話しました。カウンセラーさん?がホッとできる女性だったこともあったと思います。症状名は無事に(?)統合失調症になり、私も納得して治療にあたりました。

いまでは誰とも連絡が取れませんが、入院中におじさんやおばさんと仲良くなって、少し、自分を取り戻せました。

 

2.寛解してきた私

そして私は、月に一度、地元の入院した病院に通いつつ、大学生活へと戻りました。

幸い、出席さえしていて、毎回感想を書けば単位を取れる講義があったため、そういうものを選び、働かない頭と格闘しながらなんとか卒業しました。ぼーっとしていて暗かったので、苦手に思われているのは自分でも感じましたが、おとなしい人が多い文化系サークルでなんとか輪に入れてもらって孤独から免れました。

服は当時流行っていたパーソナルカラーを自己診断して、ダサくてもなんとかパッと見はまともに見えるようにしました。お店には行けなかったけど、通信販売で買いました。自分は何が好きで何をしたいのか、全くわかりませんでした。薬の副作用なのか、病状なのか、頭は常に重く、薄い膜が張ったように、情報は常にワンテンポ遅れて、脳に届きました。常に恨みつらみ、劣等感が頭のなかを占めて、他のことはあまり考えられなかった。

そんな状態でもなんとか卒業して、学校のネームバリューもあり、なんとか就職できました。けれども、うまくいくはずもなく、仕事を辞めたり、転職をしたり。病院も、職場の近くが良かったので転々と変えました。薬も合うものが見つからずに変わっていきました。

 

あるところで、一番合う薬に出会います。そして、医師の指導のもとに、量を減らしていき、頭のなかが少し晴れやかなことに気がつきました。そんな状態は物心つく限り初めてでした。良くなって初めて、私はずーっとずーっと、しめった下着を身につけてるような不快感を持っていたんだな、と気づけました。死にたい気持ちがないことが、こんなにスッキリした気持ちだなんて!

発症して5年で、やっと糸口が見つかったのです。それからも、少しずつ少しずつ良くなっていきました。

自分が何をしたいのか、何を好きなのか。少しずつ「自分」を集めだしました。言い忘れましたが、私は病状が悪かったときに、部屋の中のものをほとんど捨てていました。そんな空っぽの部屋の中を少しずつ自分が好むもので埋めていきます。

体重が減ってきて一般的に買いやすいサイズになったため、ちょっと心ときめくデザインの服をそろえました。もちろん、本当に少しずつです。寝込んでいる日も多くありました。段々と活動できる日が増えました。頭がぐちゃぐちゃのときは、紙に書き出して一生懸命考えました。

そしてビックリすることに、私のことを好いてくれる人が現れます。その人自身は健康的なのですが、ちょっと痛い異性が好きらしいです。正直、痛いという評価はいやなのですが(笑)、男女の関係で愛されると「一人しか選べないなかで私のことを選んでくれる」というとてつもない満足感を得られました。

そんな訳で、部屋やファッション、メイクなど、自分の外側はなんとか自分で納得できる状態に持ってこれました。次は内面です。恋人の飲みコミュニティに私も入り、おっかなビックリ、知人を増やしていきました。酒の席ということもあり、細かいところは気にされません。また、おじさんが多いこともあり、比較的若い私は可愛がってもらえました。

まず、とにかくニコニコしていることを覚えました。そして、できるだけ話を聴く側に回りました。飲み屋でおじさんが相手だったこともあってなんとか認めてもらえて、それで自己承認ができるようになりました。「私は長いこと愛されたかったんだな」とここで気がつきました。できれば、周囲の人に愛される環境にいたかったのだ、と。

そして、「性格を変えたいな」と思いました。コミュニケーションの本などを読みあさり、できるところからコミュニケーションそのものを、もっと人に受け入れてもらえるように変えていくよう努力しました。自分が感じることに間違いはない。けれども、表現の仕方が大事なのだと思いました。そして、人がどう思うのかもまたその人の自由なのだ、と。

まだまだ発展途中ですが、段々と周囲の人が優しくしてくれると気づけるようになりました。気づくたびに自己肯定感がアップしていきます。自分も少しずつ、気づいてもらえなくても、できるだけ人に優しくしようと思えるようになりました。自分だけが不幸なんだ、という思いは消えていきました。

 

そして、私は今まで周りの人を恨んでばかりいたけど、そうじゃなくて、周りの人が優しくしてくれたからこそ、生き抜いてこれたんじゃないか。そう言えば、あの時のアレやコレは彼ら彼女らの優しさだったんじゃないか、と思うようになりました。

インターネットで悪口を見ながら、世界中を恨んでいた私はもういません。それどころか「そんな状態でもよく頑張った」とあの頃の自分を受け入れることすらできるようになっています。

心が安定してきたことと、昨今の人手不足で、自分の好きな仕事ができる会社に入れました。将来を悲観して死にたかった頃では考えられません。

仕事、恋人、仲間。気に入った部屋、ファッション。段々と環境が整いつつあります。いまは、言動を改めて、もっと自分を愛せるように、もっと人に愛されるようになりたいです。

でも、症状が現れる前も含めて、寛解していくまでは、常に不安で、自分にも他人にも不満ばかりだった。あの状態は、ホルモンの状態のせいもあったんじゃないかなって思います。自分のことを愛したくても、人のことを愛したくても、そのためのスイッチがかたくて押せなかったのです。でも、お薬のおかげでそのスイッチが楽に押せるようになった、そう思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

これを読んでくださった人も、そうじゃない人も、悩んでいる人が一人でもラクにいきられる世の中になってほしいです。


【執筆者】
おき編み さん

【プロフィール】
大学入学時に統合失調症を発症し、10年かけて寛解させてきた。アラサー。趣味は没頭系。


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