「まあ、生きててもいいか」と思うための2つの考え方

コラム めひかり

11才から現在24才にいたるまで、うっすらとした自殺願望が続いてきた。なにか辛いことが起きると死にたい気持ちは加速し、どのように自殺するか考えるところまで行っていた。

最近、二つの考え方に行き着いて、「まあ、生きててもいいや」と思うようになったのでそれらについて書きたい。

 

1.生きてやってる思考

いま生きている人は全員、自分の意思に関係なく強制的に親により生まれさせられている。そして、一般的には寿命まで生きなくてはならないとされている。

人生は強制的にカードゲームをプレイさせられるのに似ている。強制的にテーブルにつかされるとすでにゲームは始まっており、自分の手札も、ゲームのルールも分からず、参加する意思もないままプレイすることになる。そんな理不尽極まりない糞ゲーで勝とうが負けようが知ったこっちゃない。プレイするだけで精一杯。だから、生きているというだけでオッケー、義務は果たしたと考えることにした。

それは誰のためか。私の生を望んだ人、私が死んだら困る人(警察や大家さん含め)のためだ。

こんなに苦しい生を、こんなにめんどくさい生を、わざわざ生きてやってるのである。中身など問わないでほしい。内容はどうであれ生を継続させる、それだけで満足してほしい。

 

2.死んでもいい思考

私は、死ぬことを自分に禁じていない。死にたくなったら死ねばいいと思ってる。

「何があっても死んじゃだめだ」という考え方、それ自体が私を死にたくさせる。逃げ道を確保しないと生きられない。逆に言えば逃げ道があるから生きられるのである。

絶対に何があっても生きなければならないという考え方は、死にたい人への批判につながる。死にたいと言うのは甘えだ、という考えに行きがちだ。

 

死にたいと生きたいの間には、「積極的に生きたくもないけど、まあ、死ななくてもいいや」という状態があると思う。

それには、生きることの義務と禁止をできるだけ取り除き、生きることのハードルを地面すれすれまで下げる必要がある。生きることをそんなに難しくないこと捉え直して、初めて「生きててもいっか」と思えるのだ。

ハードルを低く低く設定して自分にほとんどなにも課さずに生きるのは、もしかしたらカッコ悪くて無様かもしれない。

でも、もう、生きてたらそれでいいじゃないですか。


【執筆者】
めひかり さん

【プロフィール】
24才。不安障害や非定型うつ等と診断されてきた。来世は猫になりたい


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