今しかできないことってなんだろう。「大学を休学する」という前向きな選択について

コラム 休学 汐祇

読者投稿2度目です、汐祇と申します。
今回は、わたしが大学に入ってから休学に至るまでのいきさつについて、そしてその結果どうなったかについて、個人的な主張を書いてみようと思います。

高卒認定試験を経て大学に無事合格し、晴れて大学生活と下宿を始めたわたしは、音楽オーケストラの部活に入りました。このときは症状も落ち着き、授業のほかに何かやってみたいと思い始めていた頃でした。

しかし、思いのほか練習量が必要であったこともあり、だんだんと体調的にも気力的にもきつくなっていきました。

11月にある定期演奏会の数週間前にはすでに力尽きたような状態で、授業にも部活にも行けないという事態が続きました。保健管理センターのベッドに横になったまま起き上がれず病院に送られる、ということもありました。そして、なんとかかんとか秋の定期演奏会を終え、転院先のメンクリでうつ病と診断されました。

休養を言い渡され大学の後期の授業も満足に受けられず、取れたのは1単位のみでした。こんな状態で部活ができるはずもないので、そちらも休み休みでした。

 

休息することに日々を費やし、すこし回復してきた春季の休暇の間、わたしはひとりで(ほんとうは誰かに相談すべきだったのかもしれませんが)考えに考えました。そして、ひとつの決断をしました。

比較的元気なときに部活に入って、学業との両立を目指したけれど、たぶん無理だということがわかった。でも、大切な仲間ができて、やり遂げたいこともできた。これを捨てたくない。だから、部活を先に完遂する。それが終わってから、勉強をする。

そのために、「部活の運営を任される年の終わりまで休学する」

この決断をするうえでわたしが考慮に入れたのは、部活と学業、どちらが「今しかできない」か、ということです。同じ年に入った友達と一緒に学年を上がっていけないことは少し痛手でした。それでも、部活の仲間たちは学部以上に大事だったし、演奏会を成功させるという目標もわたしの中でとても大きなものでした。今しかできないのは部活のほうだ。そう思いました。

いま、わたしは病気を半分オープンにして部活をしています。知っている人は知っているし、知らない人もいる、という状況です。具合が悪くて行けなかったり途中参加したり逆に途中で抜けたりということが多々あります。他のメンバーとの練習量の差が如実に実力に表れて、悔しい思いをすることもあります。イベントにいつも行けたらどんなに楽しいか、とも思います。

でも、休学を決めてから2回生も終わりを迎える現在まで、今のところ一度も後悔はしていません。なくて困るのは休学年分の生活費くらいです(なんとかやっていかせてくれている周りに感謝しなければなりません)。それは、やりたいことをやれているという満足感や達成感があるからだと思います。

 

こういう休学の仕方もあるのだということが広く知られて欲しい。

やむにやまれぬものであったとはいえ、「学業を先にやるべきでは」といった言葉はわたしには無意味に思えます。そのとき部活で苦楽を共にした友人とは一度しか出会えないのだから。どちらもおろそかにしたくなかったからこそした決断です。

いまのわたしは充実しています。部活をやめていたら今より楽かもしれないけれど、きっと虚無感に襲われていたでしょう(今もないとはいえないけど、それはたぶん病気が思わせるもの)。

18〜23で大学を終えなきゃいけないなんてことはないのです。何年かけて青春したって、誰にも文句は言わせない。多様な大学生活があってしかるべきだと思います。

お読みくださりありがとうございました。ただの主張ですが、どこかのどなたかに響いてくれればと願っております。


【執筆者】
汐祇 さん

【プロフィール】
休学中の大学2年生。
Twitter:@mmktkaij
ブログ:人影のない冷い椅子は


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