「死にたい」まま生きるために 希死念慮と共に生きる人々のストーリー

コラム 死にたい 自殺未遂 希死念慮 メンヘラ.jp編集部

「死にたい」「消えたい」「希死念慮」、どう表現してもいいと思います。

そういう理屈を超えた感情を、人間は時として抱きます。そしてそれは、他人に否定されるようなことではありません。

ひとりの人間が抱えるには大きすぎる「死にたい」という巨大なブラックホール。それを、時に抱え、時に飲み込まれ、時に克服しながら、ひとは生きていく。

このページは「死にたい」と共に生きる人々の声をまとめたものです。

 

あなたはきっと「死にたい」と検索してここに来たことと思います。

ここには、たくさんの「死にたい」を抱えながら生きる人たちの声があります。それらを読むことは、あなたが独りではないことを知る手掛かりになるかもしれません。

わたしたちには、あなたの「死にたい」を否定する権利はありません。でも、あなたの「死にたい」を全力でぶつけられる場を、提供することができます。

自分の「死にたい」を「つぶやき」「相談」として表現すること。

また、あなた自身の体験談を「読者投稿」として投稿すること。

メンヘラ.jpには、あなたの「死にたい」を全否定したり、嗤ったりする人はほとんどいません。

このページを読んでちょっと落ち着いたら、”死ぬ以外の選択肢”のことを少しだけ思い出してくれたら嬉しいなと思います。

 

目次
「死にたい」と検索したら「死んではいけません!」と言われるのが嫌だった
・死にたくて死にたくて一度死んだあの時の私は、「死」に執着していた
・自殺未遂で脊髄を損傷してから10年。それでもなんやかんやと生きている私
・練炭自殺に失敗した私があなたに伝えたいこと
・友人の死から考える自殺対策と、死にたい人に寄り添う人たちへ
・首吊り・服毒・ガス自殺 様々な自殺方法を試した末の結論
・母から繰り返される「死にたい」という言葉
・元カノが歩道橋から飛び降りて死んだ。そして、私も同じ場所で自殺未遂をした
・妹の自殺。自死遺族の嘆き。
・プロが教える自殺対策 身近な「死にたい」にどう向き合うか
・「死ぬ権利は奪えない」希死念慮と向き合う電話相談員たちの声
・死にたい気分の時、どうしてる?わたしがやってる18の対処法

 

当たり前の話だが、「死にたい」というキーワードは「検索」ではない。

「死ぬ方法」ならわかる、検索だ。「死にたい気持ち うつ病」も検索だ。検索とは何らかの知識を得ようとする行為であり、よって当然すべての検索には(曖昧な場合もありうるが)目的というものが存在する。

しかし、繰り返すが「死にたい」は検索ではない。

それは単なる感情の吐露だ。知識を検索することを目的とした文字列ではない。どこにも吐き出せない感情が、検索エンジンの検索窓という虚空に表出したものだ。

つらい感情を抱えつつも、それを友人や知人や公的機関に吐露できない者だけが「死にたい」と検索エンジンに打ち込む。


 

とりあえず身体が動かす、指くらいしか操作できない時、指しか動かないので大抵スマホをいじっているのだが、ソーシャルゲームもSNSも全くやる気が起こらず、とりあえず画面を見つめているうちになんとなく検索窓に「死にたい」と打ち込む。

この時ぼくは何も考えておらず、完全に自動で指が動いている。恐らく独り言のようなものなのだろう。インターネットにあまりに長くハマりすぎると、口を動かすよりスワイプで文字を入力する方が楽になるのだ。


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「死にたい」と検索したら「死んではいけません!」と言われるのが嫌だった

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あなたは、RPG、やったことありますか?某ポケのモンとか、なんとかファンタジーとかなんとかクエストとか。やったことがある方にはわかると思うのですが、敵と戦う時、自分が操作するキャラクターの行動を決めるため、幾つかの選択肢の中から一つ選ばなければならないんですよね。

例えば、敵と戦うなら、

XX が あらわれた!
・たたかう ・アイテム
・まほう  ・にげる

みたいに。

私が「死」に執着していた時って、この「たたかう」とか「にげる」が全部「死」になっていたんです。だから、

職場の人達が、私に聞こえるように陰口言ってる!
・死 ・死 ・死 ・死
・死 ・死 ・死 ・死

仕事ができない!
・死 ・死 ・死 ・死
・死 ・死 ・死 ・死

遅刻確定の時間に目が覚めた!
・死 ・死 ・死 ・死
・死 ・死 ・死 ・死

っていう感じで、もう死ぬしかなかったんです。どれを選んでも死。

選択肢、つまり目の前のことに対処する時に選ぶべき自分の行動のパターンが「死」だけでした。裏を返せば、「死ぬ」ことで、すべての問題に対処できると盲信していた、ということでしょう。また、「死ぬ」以外の行動、例えば「誰かに愚痴る」「叫ぶ」「戦う」「にげる」といった対処方略(いわゆるコーピングですね)が皆無になってしまっていたのでしょう。

そしてある時、私はついに「死」を選んで、◯ボタンを押しました。


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死にたくて死にたくて一度死んだあの時の私は、「死」に執着していた

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私の体は10年前から、胸から足にかけて自力で動かせなくなりました(腕や手を除く)。

ずっとずっと死にたくて、飛び降りたけれど助かってしまったケースです。

飛び降りる前は精神科に入退院を繰り返し、「境界性人格障害」と言われていましたが、自殺未遂後はいわゆる「脊髄損傷」と言われる身体障害者一級になりました。

今でも痛みを抑える為の医療用麻薬の副作用などにより、落ち込みなどの症状は出ています。なので精神的にも解放された訳ではありません。しかし、それなりに生きているのは奇跡かなとも思います。


飛び降りた。歩けなくなった。それでも生きている事実

私は、死を選びました。
気がつけば、喉に穴を開けられて太い管で呼吸をしていたようです(記憶が薄い…)。
意識が戻ってもしばらくは、幻覚も見ていたようです(母親談)。
声を発しようとするものの、喉の穴から息が漏れる為に声が出ませんでした。
自分の状況を全く把握していなかったように思います。
でも、確実に生きていました。

徐々に

「歩けない」
「麻痺をおこした部位は感覚もない」
「気づけば右手もバッキリ折っていた」
「友人は全員、去っていた」

など色んな事実に気づかされました。
それでも生きていかなければ。生きる以外の選択肢はありません。
だって、歩けないんだもの。自殺も出来ないさコンニャロメ。

冷蔵庫を開けることも、ちょっとトイレで用を足すことも出来ません。
とりあえず、生きてみました。


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自殺未遂で脊髄を損傷してから10年。それでもなんやかんやと生きている私

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練炭自殺はもう想像を絶する地獄でした。

ほんとうにほんとうに地獄でした。実行開始から1時間ほどが経ったとき、大切なひとの色んな表情が、走馬灯のように私の中を駆け抜けていきました。

会いたい、会いたい会いたい会いたい!!もう疲れた!もう嫌だ!癒しが欲しい!お願いだから助けて!私を全てから連れ出して!もう頑張らなくていいよって抱きしめて!!無理だ!もうダメだ!生きていけない!死ぬしかない!!

とにかく、私は「死ななければいけない」!!!

もはや意地でした。「絶対に死んでやる…」と、前日に用意した遺書を睨みつけていました(実際は力がなく、ぼーっと眺めていたのだろうと思います)。

それからしばらくして、私はついに気づいてしまったのです。

「死にたいんじゃない…逃げたいんだ……………もしかして……私……楽に生きたい、のか……?」


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練炭自殺に失敗した私があなたに伝えたいこと

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「あの子が死んだ」

6月のある日、自宅で朝食を済ませ一息ついていると、高校からの友人Nから連絡が来た。それは私とNの共通の友人である女性の突然の訃報だった。

私は「え?え?」と聞き返しながらも、心のどこかで「ついに」と思っていた。Nはぽつりと「これで何人目だろう」と呟き、私は「近々、どこかで会えないかな」と切り出していた。私はこの現実味のない喪失感と奇妙な納得が入り混じった感情を、誰かと共有して整理したかったのだ。


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友人の死から考える自殺対策と、死にたい人に寄り添う人たちへ

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メンヘラ.jpを見ている方の多くは「死にたい」と思ったことはあるのではないでしょうか?私も毎日のように「死にたい」「(自分に向かって)死ね」って言ってますね。意識的にではなくほとんど反射的にです。「熱いやかんに手を触れると勝手に手が引っ込む」みたいな、そんなレベルです。

さて、私は死ぬ可能性の高い自殺方法を3つ試しました。首吊り・服毒・ガス自殺です。これを書いているということは、当然いずれも失敗しました。

様々な自殺方法を試した末の結論について、それぞれの体験から書いていきたいと思います。


【関連記事】
首吊り・服毒・ガス自殺 様々な自殺方法を試した末の結論

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はじめて「死にたい」と言ったのはいつですか?
最初に「死にたい」と聞いたのはいつですか?

皆さんは、覚えているでしょうか?

覚えている限り、わたし「死にたい」とはじめて触れたのは小学四年生でした。

夕方の台所は薄暗く、ただいまー!と言いながらいつものように帰宅したわたしの目の前には、椅子に座り、頭を抱えうなだれた母がいました。母のか細い声の「おかえり」にわたしは、今まで感じたことのない恐怖や不安に襲われました。いつもはそんなことしないにも関わらず、母の近くで、学校であったことなどを、べらべらと話しました。話が途切れ、シンとした空気の中、どれくらい沈黙が続いたのか、わたしを視界に入れていない母が、「死にたい」と言いました。

死ぬということがどういうことなのか、死ということが年齢的になんとなくわかっていたわたしは、珈琲をいれて隣に座り、根拠のない「大丈夫だよ」を繰り返しました。

「わたしがいるのに死ぬの?わたしがいるから大丈夫だよ」


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母から繰り返される「死にたい」という言葉

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フった彼女が歩道橋から飛び降りて死んだ。

私自身まだ彼女のことが好きだったから立ち直れていなくて、これから彼女と前みたいに友達の仲に戻れるだろうか、とかそういうことを考えていた。

別れ方もなんだか微妙で、私が別れたいこととその理由を書いた手紙を送って、彼女も手紙で返事をくれた。私はその手紙を読んで、LINEで再度別れを告げた

LINEで別れを告げたとき、手紙にはびっしりと「別れたくない」と書いてあったのに意外とあっさりしているんだなと思ったが、今思えばそのときからもう、彼女は死のうと決心していたのかもしれない。


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元カノが歩道橋から飛び降りて死んだ。そして、私も同じ場所で自殺未遂をした

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妹が死んだ。首を吊っていた。

妹と一口に言っても筆者の年齢によっては高齢って場合もあるだろうが、残念ながら僕は23歳だ。大学4年生の夏休み。妹は浪人中の18歳で自殺を選んだのだ。

よくテレビなんかで大事故のニュースがあったり、また明日ねって分かれて曲がった角の先で誰かが攫われたりしては、今朝までは元気だったのになんでって言う。

僕は自殺なんかはそれに含まれないと思ってた。だって僕は高校生の頃如実に成績が下がって段々元気なくなって静かになっていって静かに自殺未遂のつもりだったオーバードーズによる錯乱でバレて病院に運ばれてたし。

だけど妹は傍目から見れば元気だった。浪人つらいなしにたいなとはよく言っていたし、高校生見るの嫌だなどと言っていたけど、鬱病的なものではなく、女の子特有(?)の軽いノリで言っていたように思ったので大して気にかけていなかった。ただ浪人の辛さは僕も知っていたから、どうしたら寂しさが減るかとかをよく話してた。「死にたい」って漢字で言ってきたらもっと気にしただろうけど、妹は頑なに「しにたい」と顔文字付きで愉快に話しかけてきた。僕もわかるわーなんて答えてね。


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妹の自殺。自死遺族の嘆き。

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「死にたい」「死ぬしかない」

そう考えるようになったとき、私たちはどうすればいいのだろう。

死にたいと考えたことがある人にはわかると思うが、ほとんどの場合、「死にたい」は急にどこからかやってくるものではない。自殺を考える人には、死にたくなるほどの事情がある。

例えば、どんな事情があるのか。2015年の自殺の原因・動機を見てみよう。


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死ぬ権利は奪えない

Cさん
「私は、自分が人を助けられるとは全く考えていないんです。お話を聞いても、本当に『私でも死にたくなるよ』と思ってしまうような背景を抱えた方ばかりで。そんなつらい方に『生きて』なんて言えない。だから、私は”話を聞く”、”気持ちを受け止める”以外はできません。」

Bさん
「よく言われるよね、『なんで死んじゃいけないの?』って。」

Cさん
「そうなんですよ、死ぬっていうのはその人の最後の権利なんですよ。それを奪うなんてことは私にはできないから……。」


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生活の中には、死にたいがそこかしこに存在しています。インターネットだけでなく、会話の中でも、それこそ日常のありとあらゆるところに、誰かの「死にたい」が散らばっています。簡単に拾える、知らない誰か、知っている誰かの「死にたい」。年齢が上がるにつれ、人の「死にたい」が見えるようになっていきます。子どもは自ら死ぬということを、誰かから聞くまで、教わるまで、知る事はないでしょう。そう、しらないから。

この記事を読んでいる皆さんの周りには、どれくらいの「死にたい」が落ちていますか?自分自身も入れて構いません。

そこらじゅうに散らばった「死にたい」は、もうありふれた日常の1つになってしまい、誰も数を数える人はいないでしょう。もちろん、わたしも含め。

投げられた死にたいは、たまに誰かにキャッチされたり、踏み潰されたり、無視されたり、キャッチアンドリリースされたり、様々だと思います。

それくらい、近くにある死にたい。

皆さんは「死にたい」と思った事はあるでしょうか?自ら死にたいと、望んだ事はありますか?

読んでいる方の中には、そんなことを考えた事はない、という人も中にはいらっしゃるかと思います。しかしそんな人の床にも、誰かの死にたいが転がっていたり、いなかったり。


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「死にたい」を抱えながら生きる人たちの中の、ほんの一握りを紹介させていただきました。

「死にたい」を抱えるあなたは、独りではない。

そしてあなたには、たくさんの選択肢があります。

メンヘラ.jpには、

悩みを相談できる「お悩み相談」
自分の心のうちをぶちまけられる場「つぶやき」
自分の体験を形にして編集を経た上て世に出せる「読者投稿」

などの選択肢があります。

それらの場があなたにとって有用であればと、切に願っています。

 


【執筆者】
メンヘラ.jp 編集部


【募集】
メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
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2件のコメント

自意識 返信

ありがとう。居場所を、心のよりどころを、ありがとう。

ネコ 返信

昼間のパートを終え、家ではスマホ、
子どもは、黙ってテレビを見ています、私にはもはや話しかけてきません、
夫が帰ったら二階へ引きこもります、そのまま朝まで。
朝ごはんを作ってこどもを学校へ送り出したら、スマホ。
夫は私の存在など知らないかのように、ひっそりと出かけて行きます。
それでいい。私は私の存在をどんどん消して行きたい。
私がいなくなっても、大して気にならないように。

夫にも相談できない。負担をかけてはいけない
子どもからも笑顔をうばいたくない。パパ大好きでいて欲しい
夫には、こどもを可愛がってあげてほしい


発病してもうすぐ10年、鬱の暗闇を彷徨い続けています
おそらくはもう治らないでしょう
毎日死にたい つらい うぎきたくない
でもすぐには死ねない
身辺整理をして自分の荷物を処分して
離婚の手続きして、ちゃんと家を出てからじゃないと。
この家で死んだら迷惑になる

夫も子どもも大切な人だから、私は消えるようにいなくなって、
2人で幸せに生きて欲しい
私にはもう、一緒に生きていくだけの気力がない

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