「不幸」に対する捉え方 たのしい人生を送るために

コラム 酢酸鉛

他人の不幸は蜜の味ってよく言うじゃないですか。他人の幸せ話なんか聞くと正直イラッとするけど、不幸な話を聞くと相対的に自分が幸せになった気がして快感だって。

私の場合は他人の不幸を聞くと自分の精神もダメージを負うけど、そうって自分の精神を傷つけて悦んでるタイプの人間なので、やっぱり蜜ですね。中毒性があって止められないタイプの蜜です。それに、不幸な人間ってどことなく親近感沸きますしね。「あ、この人お仲間さんだ」って。私が一方的に認定してるだけですけど。

とまぁ、他人の不幸についてはこんな感じで私に益しかもたらさないんですけど(ひどい)、なら自分の不幸は果たしてどうなのか。不幸を享受してるのは自分自身なんだから、やっぱり苦い苦い毒でしかないのか。

結論から言うと、私にとっては自分の不幸すら「蜜」なんですよね。仮に自分に不幸としか形容しようのない出来事が襲いかかった場合、私は十中八九それを笑いながらネタにしてると思います。そして、そうやって不幸のネタが増えてゆく毎に、何となく自分の価値が上がったような気がするんですよね。

例えば、私は一昨年の四月の地震で実家が全壊して色んなものを失っちゃったんですけど、その知らせを受けて真っ先に浮かんだ感想が「マジパネェ」で、やがて私が語彙力を取り戻した後も、「これからの生活は果たしてどうなるんだろう」なんて事を考える前に、真っ先に「やった、これは格好のネタになるぞ!! そして私の『不幸度』も上げられる!!」なんて事を考えていました。本当、最低ですよね。自覚はあります。

でもまぁ、それが私なんですよね(開き直り)。不幸こそが私を輝かせるんです。鈍色に。幸せなんて寧ろ毒です。別に、エヴァの加持さんみたいに「私は幸せになってはいけない人間だ」とか思ってる訳じゃなくて、単純に私がその幸せを許容出来ないんですよね。寧ろ不幸に塗れていた方がよっぽど「私らしい」ように感じる。不幸でいる方がよっぽど満足できる。

私が育った家庭は、両親がカルト教の信者な事以外は割と普通でした。両親はいつでも私を愛して(そもそもその宗教自体愛の押し売りが激しかったんですけど)くれたし、少し貧しめではあったけど、最初から色々と諦めていた私が育つには何の不自由もない家庭でした。

だからこそ、思うんですよね。「虐待されて育ちたかった」って。

「何て事を言うんだ。実際に虐待されて育った人達に失礼じゃないか」と言われる方も多いと思います。というか、私自身そう思います。でも、それが私の正直な気持ちなんです。具体的に言えば、「虐待という分かりやすい不幸のカタチが私の構成要素の一部として欲しかった」んです。以前とある方のブログで「恵まれて育ったわたしコンプレックス」という言葉を目にしたんですけど、多分私もそうなんですよね。その方とは方向性が随分違いますけど。

それに、もし私が親から愛されていなければ、私がこの世に留まる理由も無くなりますしね。

そんな私ですが、承認欲求は人一倍にあります。そりゃもう滅茶苦茶あります。でも、私は自分のプラスポイントを褒められた所で、それを素直に享受する事が出来ません。何故なら、前回投稿した記事(自己肯定感が足りない。自己肯定感を高める方法も実践できない)でも書きましたけど、私は私を承認出来ていないからです。寧ろ大嫌いです。もし私のドッペルが目の前に現れたら真っ先に殺しにかかるであろう位には嫌いです。

そんな私が自分の承認欲求を満たす為の手段。それが、「不幸な自分が肯定される」って事なんですよね。私がどれ程可哀想な人間なのかを多くの人間に知ってもらい、そしてそれをすんなり受け入れられる事。そうなって初めて、私の承認欲求は満たされ始めるのです。

ただ、ここでミソなのが、「私は決して同情を欲している訳ではない」という事。私が期待している反応はそのような共感ではなく、寧ろ笑い飛ばして欲しいんですよね。「アハハ、そんな事があったんだねw ウケるw」みたいな。

以前大学の同級生に「いや、この前の自身で家潰れてさー」なんて笑いながら話したら「ごめん、どんな反応を返したらいいか分かんねーわ」とか言われて勝手に失望してたんですけど、きっとあの瞬間にこそ使うべきだったんでしょうね。

「笑えばいいと思うよ」という、シンジ君の有名なセリフを。

……ただ、一言添えておきたいのは、私にこんな「メンヘラ芸」が可能なのは、単に私が自分の不幸に対してあんまり拘泥していないからなんですよね。「別にどうだっていいや」なんて思っているからこそ、私は自分の不幸をネタに出来る訳です。そうやって私の不幸に対して「笑い」という肯定がもたらされてゆく度に、私の人生に少しずつ価値が付与されてゆくような気がして。

結局、私が何が言いたいかと言うと。

私、別に変な事を求めてるつもりはないんですよね。ただ私の吐いた自虐や不幸自慢を軽く笑い飛ばしてくれたらそれでいいんです取り敢えず。それとも、それだけでもウザいですかね?? 「構ってちゃん乙w」とか言われて否定されるだけなんですかね?? ぶっちゃけこういう不幸自慢って「やっべぇ、今月金欠だわw」とか「鍵失くしたw 家入れんw」みたいな「健常者」の方々がよく言うセリフとあんまり変わんないんじゃないかと私は思うんですけど。だって現代日本って元々自虐がネタとしてウケるような文化があるじゃないですか。なのに何で「今ブロン1瓶入れたわw」とか「手首切り過ぎたw 病院なうw」とか言うとすぐ叩かれたりするんですかね。

……いや、分かってますよ? 程度の問題だって事は。あぁいう「不幸自慢」って、特に不自由なく現実を生きている「健常者達」が「敢えて」不幸なフリをするからウケるんですよね。だからメンヘラがあれこれ言っても「うわ、これはガチだ」って引かれてしまうんですよね。

……世の中、世知辛いのじゃー(白目)

それでも、私は私を色んな人達に受け入れて欲しい訳です。私が生きている限り、この承認欲求から私が解放される事は無いでしょう。進んで独りになるのはいいけど、独りに「される」のは死ぬほど嫌なのです。

と、いう訳で。

私はこれから、「謎に楽しそうに不幸自慢を繰り広げてくる子がいてどうにかしたいけど、どうしたらいいか分からない」なんて実は思っているタイプの人間……。そう、あなた。あなたの事です(断定)。私はそんなあなたの為に、少しだけアドバイスを送らせていただこうと思います。

私が「不幸自慢は軽く笑い飛ばしてくれると嬉しい」なんて言ったところで、あなたはきっと「え、どんな感じでやればいいの??」なんて戸惑ってしまっている事でしょう。

なので、軽く具体例を挙げてみようと思います。

具体例、その1。

「私、昔リスカしてたんだよねw」

相手の子がそう言ってきたとします。きっとあなたはびっくりするでしょうね、そんな重い話をいきなりブッ込まれて。でも相手の方は自分が重い話をしているという自覚はあんまり無いと思います。ただ構って欲しい一心なのです。

では、返答例を挙げます。

「うわぁ、それメンヘラじゃんw ヤバw」

こんな感じで軽く言えば充分です。加えてサラッとメンヘラ認定してあげると、相手の子はきっと凄く喜びます。メンヘラという生き物は色々拗らせてはいても案外単純なものなのです。

具体例、その2。

「私、小さい頃宗教上の理由でお小遣いの一部を巻き上げられて勝手に寄付されたり食べるものもかなり制限されたり強制的に教会通わさてたせいで友達と遊べる時間も少なくて、それが普通だと思ってたけど、アレが異常だったんだね」

……明るく「どんまい」と笑ってやって下さい。それだけが私の望みです。

とまぁ、私個人の見解というか欲望がかなり混ざってしまいましたが、私が言いたかったのは大体こんな所です。相変わらずの駄文でしたが、ここまで読んだ下さった方、本当にありがとうございました。

不幸も糧に、良きメンヘライフを!!


【執筆者】
酢酸鉛 さん

【プロフィール】
全然ウェイウェイしてない慶応生。いつかおそらのおほしさまになって、この世をただ俯瞰していたい。


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1件のコメント

o 返信

自分の不幸に拘泥していない、というくだりでハッするものがありました。
大学の時の知り合いに、そういう人が結構いたのです。中にはとんでもなくおバカな時間を共有していたりする人もいましたが、ふとした時に昔話が始まると「えっ」と困惑するようなエピソードが出てきたり。それでもその人たちは「まぁこんなもんでしょ」と、特段気にしているようには見えませんでした。
実際は色々悩んでいて、在学中に病んでしまったりとか、トラブルを抱えてしまうという感じにはなっていましたが……それでも、こちらが病んでしまった時に話を聞いてもらったり、自棄気味にまたおバカな時間を共有したり。
私にとって、その頃の思い出は過度に美化されているようなものなのですが、単純につらい時にそれらに縋るという場合よりも、鮮明に蘇っている感じがしています。アハ体験みたいなものなんでしょうかね。

面白いコラムでした。ありがとうございます。どこかでまた。

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