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「リスカバングル事件」から考えるメンヘラのファッション化

コラム メンヘラ 日和下駄

本稿の前編となる

「病みかわいい」が生まれるまで メンヘラとKawaii文化

では、以下のような点を確認した。

「かわいい文化」は自らが生み出した規範からの逸脱さえも肯定する「カウンター性」と、他文化を取り込むことで新しいトレンドを生み出す「ミックス性」を持つ。

その両者が顕著に現れトレンド群を「アンチかわいい」と呼び、その中に「病みかわいい」がある。「病みかわいい」は「フェアリー系」と「グロかわいい」の影響を受けて生まれた「ゆめかわいい」の中でも、特に「病み」要素が強いものを指す。

現在、「病みかわいい」と「メンヘラ」の結びつきは強いが、その直接的な原因は「メンヘラチャン」というキャラクターが生み出されたことにあると思われる。

「メンヘラチャン」は「かわいい文化」に「メンヘラ」という言葉を持ち込んだとともに、メンヘラの側にも大きな影響を与えた。その影響の一つが「メンヘラ」という言葉に対する外面イメージ(見た目、行動など視覚可能なイメージ)の強調であり、その結果相対的に内面イメージ(性格など視覚不可能なイメージ)は希薄化された。

その結果「メンヘラ」のイメージは「メンヘラチャン」以前とは多少変化し、外面イメージがより強い影響を持つことになった。

ここでは、そのような外面イメージが強調されたメンヘラを「かわいい化されたメンヘラ」と呼ぶ。

今回は前回の議論を踏まえ、かわいい化されたメンヘラがメンヘラ文化に与えた影響を、「リスカバングル事件」を取り上げ詳しく見ていこう。

 

リスカバングル事件

読者のみなさんは「リスカバングル事件」をご存じだろうか

2015年6月後半に、その名の通りリストカットをモチーフとしたバングルの再販に際して、批判が集まり炎上した結果、販売中止に至った事件だ。

当時の状況に関しては以下のまとめが詳しい。

【閲覧注意】「リスカバングル」に非難あつまる

この事件での論点を、サークルクラッシュ等をフィールドに研究活動を行うホリィ・セン氏は以下の4つに分類している。

①やむを得ずリストカットをしてしまっている人をバカにしているという点で、リストカット当事者に失礼である

②リスカバングルのせいで「メンヘラ」がファッションになってしまう

③リスカバングルというファッションで済ませるのはヌルくて恥ずかしい(リスカバングルをつけるぐらいなら実際にリストカットをしろ)

④単純に気持ち悪い

http://holysen.hatenablog.com/entry/2015/07/22/051758

ホリィ・センはこの中で、②の論点を「メンヘラのファッション化」という言葉でまとめ最重要視している。ファッション化はメンヘラを消費の対象として「流行化」し、衣服として「着脱可能化」すること含意するのだという。そして、このことはメンヘラのオワコン化を促すであろうと結論づけている。

さて、事件からまもなく3年の月日が経過するが、現状はどうだろうか。あくまで僕自身の観測範囲の中でではあるが「かわいい文化」側でのメンヘラと、メンヘラ文化側でのメンヘラは別々の道の中で発展しているように思う。

では、両者が同じメンヘラという言葉を用いているにもかかわらず、道を分かつことができた理由はなんなのだろうか。そこで注目したいのが、リスカバングルが「かわいい文化」の中で問題とならず、商品化され再販に至ったという当時は触れられなかった事実である。

 

想像力の方向

前回の記事の中で「かわいい文化」の中で「かわいい化」されたメンヘラは外面イメージを強調し内面イメージを希薄化させたと述べた。このことが端的に表すのは「かわいい文化」の中でのメンヘラの発展は、主に外面イメージの拡張に重きを置いて行われるということだ。そのことはリスカバングルが「かわいい文化」の中で問題とならなかった理由ともなる。

リストカットという行為をメンヘラ文化側で考えるとき、その想像力はその行為が行われる理由、つまり内面に対して向けられる。

例えば、いかなるトラウマがあったのか、どのような疾患やパーソナリティゆえ行われてしまったのかといったことだ。だからこそ、「やむを得ずリストカットをしてしまっている人をバカにしている」といった批判が生じうるのである。

しかし「かわいい文化」側ではそのことは問題とならない。なぜなら、そこでは行為により必然的に現れる傷こそが重要であり、そしてその際に用いられる道具、カミソリやカッターナイフ、といった外面イメージを拡張していく方向に想像力が行使されるからだ。つまり図にするとこうなる。

「かわいい文化」が外面イメージを拡張する方向へ想像力が働くことは、ファッションとして商品化することを目的とすることや、その文化を発信するツールとしてTwitterよりもinnstagramが好まれることなどにより、特徴付けることができるが詳しい理由はわからない。

しかし「かわいい」は感情であり、感情は我々からいかなる説明をも拒む暴力性を持つことが理由として考えられるかもしれない。

また、このことは両者の議論が噛み合わないことも表すだろう。

なぜなら、そこでは「メンヘラ」という言葉の見ているイメージが違うし、「メンヘラ」という言葉を用いる理由を探す想像力の方向も異なるからだ。

そしてここでは、メンヘラのファッション化には二義ある。

メンヘラ的な内面イメージを持つかのように装おうという意味でのファッション化と、メンヘラの外面イメージを拡張していくという意味でのファッション化だ。

この事件の後、両者の中で目立った争いが起きていないのは、両者が各々方向にイメージを拡張していった結果、関心分野が重ならなくなったゆえではないだろうか。

 

メンヘラのポピュラー化とカジュアル化

最近メンヘラがメディアで注目を集めるようになったのは「かわいい化」されたメンヘラの発展が一つ大きな理由であると言える。

なぜなら、その発展により拡張された外面イメージは、ファッションから始まり、病みかわいいアイドル「ぜんぶ君のせいだ」や、アプリ「マジヤミ彼女」によるプロモーションで注目を集めた「ミオヤマザキ」など、ファッションと関係性の深い音楽分野にも広がっていき、わかりやすく目にする機会は増えていくからだ。

その点「かわいい化」されたメンヘラは、メンヘラのポピュラー化を促したとも言えるだろう。

また、それまでにもメンヘラのテンプレイメージは多くあったが、その多くは内面イメージによるものが多かった。

しかし「かわいい化」されたメンヘラは、ぱっと見の印象だけでメンヘラと判断する際の参照項を増やした。そのことにより、ますます容易に人をメンヘラと名指すことができるようになったと言えるだろう。その点で、メンヘラのカジュアル化もまた促した。

このことによって、メンヘラという言葉の間口は爆発的に広がり、ある意味誰しもがメンヘラと名乗れる時代が到来した。

それが良いのか悪いのかそれはわからない。例えば、メンヘラ的なファッションを着ている人が、メンヘラ的な内面イメージであると決めつけられたり、あるいはその逆に、メンヘラ的な内面イメージを持つから、特定のファッションが好きである、と誤解を生むことがあるだろう。しかし、反対に自分の病性を日常と接続した形で表明することができたりもする。

今後、ひょっとすると、それぞれの方向の中で、別々の言葉が現れるのかもしれない。今後も動向を注目していきたい。

 

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【執筆者】
日和下駄 さん

【プロフィール】
普段は大学生をやったり、演劇をやったりしています。

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