「助けて」と言えない。合わないデイケアを退所して、やっと手に入れた就労支援施設での平穏

体験談 統合失調症 デイケア 就労移行支援 pb

「助けて」と言えない人間に生まれました。
どうすれば助けてもらえるのかわかりませんでした。

それでも周囲は「助けてほしかったら助けてと言え」と言い続けていました。
どうすればいいのか、今でもわかりません。

 

自分がなんとなくおかしいことに気づいたのは、中学から高校の頃でした。相手と会話が噛み合わないのです。

そもそも、「恋愛感情」というものがさっぱりわかりませんでした。肉欲は自慰で解消していましたが、女性を肉欲の対象としてはとらえられても、精神的に「愛しい」と思えなかったのです。無論、男性が愛しいとも思えませんでした。わたしの知識では、普通の若者というものは、思春期に入ると、「誰かを愛するもの」になるらしいということだったのですが、自分には完全にそのようなことはありませんでした。

わたしは焦りました。これは、自分が「人間を当たり前の視点から見られないことに原因がある」と考えたわたしは、大学の文学部を志望しました。両親は法学部に入ってほしかったようですが、女一人、まともに愛せない自分が、法学部に入り、一般の中でごく普通の社会生活が送れるとは全く考えられなかったため、法学部や経済学部は、初めから考慮の対象から外していました。

おそらく、わたしはこの段階で「助けて」と発言すべきだったのでしょう。どうしてもこの世界と折り合いがつかないから、別な場所を与えてくれ、と。それはできませんでした。通っていた学校は県内でも指折りの進学校であり、わたしを含めた誰もが、わたしが大学に入り、「平凡な社会人」になることを望んでいたのですから。

 

大学では、文学部に入り勉強する傍ら、趣味を同じくする文科系のサークルに入りました。そこでわかったことは、自分が学部からもサークルからも、「孤立している」ということでした。なにしろ、相手が言っていることが、「全くピンとこない」のです。

わたしが大学に求めていたのは、「真理」を、それがどんなものでもいいから、「真理」と思われるものに触れるためでした。しかし、学問はひたすら煩雑なだけで、そしてサークルのメンバーは、たぶん、そちらのほうが正しい生き方なのでしょうが、「就職」だの「単位」だのについてばかり話していました。わたしは孤立するばかりでした。

なぜ皆は、この、真剣に考え出すと止まらなくなる文学部の課題を、ああも時間内に終わらせられるのか? なぜ皆は、「真理」とは何か、という問題を迂回して、ひたすら卒業後の身の振り方についてのみ考えられるのか? わたしには理解できませんでした。

何よりもわたしを苦しめたのは、「皆の前での発表」であり、「大学祭における模擬店」でした。課題に対して、わたしは「何もわかっていない」ということに気づき、皆の前での発表を考えるだけで、足がすくみました。模擬店は、単なる時間の空費としか思えませんでした。わたしは食器を洗う係でしたが、それですら、わたしには過酷すぎる労働だと思えたのです。

このような調子ですから、わたしはアルバイトすらできませんでした。一度、勇気を出して求人雑誌を携えていったのですが、入ったとたんに、自分が場違いな場所にいることがわかるのです。三分も話すと、あまりに噛み合わない話の結果、面接は向こうから打ち切りにしてきました。それ以来、アルバイト募集の広告を見るたび、身がすくむのです。結局、わたしは、授業からも、サークルからも、アルバイトからも、逃げました。

「助けて」とわたしが発言するには、すでに手遅れになりつつありました。学生相談室にも何度か顔を出しましたが、あの空気には耐えられそうもありませんでした。カウンセラーと面談しても、何をどう助けてほしいのか、わたしには明確に表現することができませんでした。

とにかく、わたしはリタイアしたくて、しかも、意見の発表者ではなく、ひたすら聴講するものとして大学に居続けたかったのですが、それは大学のカリキュラムではとうてい無理なことであり、わたしとカウンセラーの対話は、噛み合わないまま終わりました。

 

大学も4年目が終わりになり、こちらから連絡もしていなかったせいか、両親がこちらを見に来て、わたしが就職や進学はおろか、卒業できる単位すら全く取れていないことを知り、わたしは実家に戻され、精神科の通院と、付属のデイケアへの通院を求められました。

精神科の通院で、精神科医の先生と面談をするのは負担ではありませんでしたが、デイケアはまさに地獄でした。普通の患者なら、デイケアを通して誰かと触れ合うことは精神の安定に役立つのでしょうが、わたしにはそれに耐えるだけのコミュニケーション能力の素質がもとからありませんでした。

デイケアにいた同じ患者の彼らは、結局のところ、わたしと同じ世界の住人ではありませんでしたし、わたしも積極的に彼らと同じ世界の住人になりたいとはとても思えないのです。わたしは苦痛を覚えながら彼らと散歩をし、畑作業をし、模擬店をし、調理実習をし、音楽をし……いずれの一分一秒も苦痛でないときはありませんでした。

わたしは「助けて」と叫びたかったのですが、なにしろここは治療施設なのです。治療施設で治療を受けている人間が、どこに「助けて」と言えばいいのでしょうか。両親はわたしをデイケアに通い続けさせようとしました。歩いて行ける距離でしたが、たぶん、両親はわたしがその道の途上でうずくまっては絶望の叫びを、『毎日のように』上げていることには気づいていなかったでしょう。精神科の医者も、やめろというわけにもいかなかったであろうと思います。

地獄のような15年の後、ついに身も心も擦り切れてしまったわたしは、自殺を考えて、隣の県を流れるTという川にまで来ました。ウイスキーのポケット瓶をディスカウントストアで買ったわたしは、久しぶりの強いアルコールをぐいぐいと飲み、景気をつけてから川に入ろうとしましたが、計算が狂いました。ポケット瓶程度の量では、恐怖心を紛らわせることができなかったのです。飲みつけないアルコールで、わたしは河原に吐き、気勢がそがれて、とぼとぼと家に帰りました。

 

転機が訪れたのは3年前です。わたしは就労支援施設へ見学に行きました。そこでは、パソコンの作業を、皆、ひとことの口も利かず、互いに会話もなしで、黙々とこなしていました。さらに、施設では、在宅勤務もできるということでした。

わたしはデイケアから、面接を受けるよう誘導され、面接に赴いたところ、通ったのです。試用期間を終えて、採用されたわたしは、ようやく安堵しました。そこでは、無理やり会話をさせられることもなく、ストレスのたまる団体旅行もイベントもなく、週の大半は家にいていいのです。家にいてパソコンに向かって作業すればいいのです。これはわたしをストレスから解放するもの以外の何物でもありませんでした。

以来、わたしは希死念慮に襲われることもなく、週に一度の出勤と買い物をこなす以外は、ほぼ完全に引きこもった生活のまま、少ないですが給料までいただいています。

わたしはもっと早く「助けて」というべきだったのでしょう。しかし、わたしの「助けて」というメッセージは、いまの就労訓練施設のような安息の状態にわたしを連れて行ったでしょうか。わたしにはわかりません。いろいろと考えると、やはりわたしは、わたしのような人間は、うかつに「助けて」と発言できないのではないかと思います。「助けて」といった先が、出入り不能の施設での地獄のような共同生活に直結しており、その光景が、障害者健常者を問わず、「心温まるのんびりした毎日を過ごしている様子」としか見えないとしたら、わたしのような人間はどうすればいいのでしょうか。

おいそれと、「助けて」なんて言えるわけがありません。



【執筆者】
pb さん

【プロフィール】
45歳、男性。大学在学時、統合失調症を発症。22歳のときに精神科と精神科デイケアを受診。
41歳でデイケアを退所、精神障害者向けの就労支援施設でパソコンのデータ入力の訓練を受け始め、精神科通院とあわせて現在も継続中。


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2件のコメント

noname 返信

とても興味深く読ませていただきました。
詳細は控えますが、僕もpbさんとは全く違いますが、やすやすと「助けて」と言えない課題を抱えております。

今、社会で「困ったら『助けて』と言おう!」という風潮が生まれ始めてるのはありがたいのですが、それでも「助けて」と発するのが難しいSOS、伝える側が問題を整理して言語化するのも難しいSOS、聴く側に専門的知識や深い洞察を求められたり、そういうことができる具体的な支援先につなげる必要のあるSOS、偏見を持たれやすいSOS、精神的負担に耐えられないSOSは当たり前にあります。「早めに『助けて』と言おう」というのも、統計的に早ければ解決しやすいケースが多いと言うだけで、そうじゃない場合もたくさんあります。
そもそも、誰にだって聴くことが難しいSOSがごまんとあるはずだし、それらもろもろを無視して「助けてほしかったら助けてと言え」は、心情的に納得できません。

ちなみに僕はやっと最近、社会で出会った人に「こういった難しいケースはどうしたら「助けて」と言えますか?あなたはそれを言われた時、なにができますか?」と問い続けながら、個人でもとにかく助けになるものを探し回るようにしました。
就職活動よろしく、何件でもカウンセリングや受け止めてくれそうな場所に足を運ぶ。
地道ですがこれしかないのかな、と思っています。しかしこういうタフなことを全ての人にやれとも言えません。

有益なことは言えなくて申し訳ないのですが、僕はpbさん含め全ての人の SOSが、その人が望む形で受け止められるような社会になることを願います。

sion 返信

初めまして。まるで自分の事のように読ませていただきました。
今まさに私は似たような状況に居ます。
デイケアが苦痛で、在宅で仕事をしたいのに、言っても現実的ではないと言われて終わりです。
人と極力関わりたくないということを周りに理解してもらえないんですよね……。
「助けて」が言えないのもありますが、言っても助けてもらえない事もある、これも問題を悪化させる原因なのかもしれないですね。

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