虐待、いじめ、機能不全家族。「人間は機械であらねばならない」と思い込んでいた自分の半生

体験談 虐待 いじめ 機能不全家族 無記名

初めまして、こんにちは。
遺書がてら、自分の半生をざっくりまとめてみたいと思いました。よろしくお願いします。

たぶん恐ろしく長くなるので、誰かにひっそりと知って頂ければいいと思います。

 

「教育」という名目の虐待を受けていた幼少期

私は1981年に生まれました。両親と兄と知的障害の姉がいます。私には0才からの記憶があり、その時点で周りの家族の不和不穏を肌で感じていたのですがそれは省きます。

兄と姉は幼い頃から親に「失敗作」「期待はずれ」の烙印を押されていました。私は両親から「最後の希望だ」と言わんばかりに(表面的に)ちやほやされたせいで兄と姉の嫉妬を買い、生まれたときから兄と姉に敵視され排除され、いじめられる人生になりました。

一番古く、強く残っている記憶は2才のとき、夏に家族でビニールプールで水浴びをしていて、兄姉は水着を着ていたのに私だけ裸で、なぜかそれがたまらなく嫌でした。父にカメラ撮影されたとき、今でも思い出せるくらい純粋な激しい嫌悪感で「見ないでよ!!」と叫んでいました。そのときの鬼のような形相をした私が写真に残っています。

最近になって知ったのですが、私は強度のESP・エンパス体質(超感覚的知覚や共感能力が著しく高い体質)らしく、たまに読心術レベルのことがあります。

例えば、対象になにか直接言葉で言われる前に、特に強い憎悪や悪意、言葉や感情を自動的にキャッチしていることがあり、わけがわからないまま沸き起こる思考や感情に振り回され非常に混乱し恐怖していました。

おそらくこの体質のせいだと思うのですが、直接は何もされていないのになぜかずっと私は家族からの性的暴行を恐れていて、見たことも聞いたこともないはずなのに生々しく性的暴行のシーンや痛みが憑依したようになって、想像だけで実際に暴行されているかのような疲弊と苦痛の日々でした。

母に手をあげられたのも2、3才頃だったと思います。私はおもらしをしてしまい、母に尻を叩かれたのですが、その瞬間私は泣きわめきながらどこかすごく冷めながら「これをきっかけに母は名目を手に入れて、私を叩き易くなったな」と思いました。

その後から、母は一日私につきっきりで私に読み書きを教えるという名目で、私が字を間違えると耳元で罵倒を絶叫するようになりました。

5才になると算数国語のドリルを出して勉強させ、間違えるたびに罵倒の絶叫に加えて平手打ちされるようになりました。ほぼ毎日、一日中です。ときには、いつも帰りが遅く深夜に離婚の話や諍いをしている父にも私の「勉強」に参加させ、一緒になって私を罵倒、嘲笑、叩くなどすると、母は今までに見たこともなく楽しく嬉しそうでした。

そのときの私は毎日、包丁や鉛筆で母を刺す想像ばかりしていました。

 

「人間は機械であらねばならない」という強迫観念

私は感情のない子供でした。

初めて保育園にいった日、父によれば他の子は保育園で走り回りみんなと遊んでいたのに、私は父から離れると真っ直ぐ部屋を横切り部屋の隅に座り込んでそこでじっとしたといいます。

私は5才から「人間は機械だ、道具だ、モノだ、食料という燃料を与えていればそれでいいんだ」と強迫的に想うようになり、人は機械であらねばならないし、それが世界の正しい姿なのだと思っていました。私に思考や感情があるのば未熟だからで、「普通で正しいみんなの社会」にはそんなもののない完成品された機械しかいないのだろうと思っていました。

「みんなと同じ普通で正しい社会」に適応することは、いわば親にとっては神に等しい絶対概念でしたし、私もそれを言語内外で絶対的に感じとり自動的に内面化していました。

私はそのような「機械しかいない外の世界」を恐れ、また自分や他人の思考や感情の存在も恐れ、それを抹殺することに注力していきました。ちなみにこの「人間は機械だ~」という台詞はその後すぐに父から直接言われ、人生の折に触れて繰り返しいわれました。母もそれを普通に聞いていました。

 

不安定な身体状態と精神状態

同じ時期、5才のときに私は、その後一生続く身心の異状に見舞われました。この頃に激しい自殺願望と最初は家族に向けられた殺人願望が生まれました。

毎夜手を合わせ「神様仏様、親兄姉を殺して下さい、死なせて下さい。助けて下さい。私をここから出して下さい」と毎日号泣しながら必死に祈っていました。そのうち「自分はなんて悪いやつなんだ。親の不幸の分、お前(私)が不幸になれ」と自分を呪いました。

こういう精神活動は皆が寝静まった夜しかできないし、そういう気持ちも起きませんでした。昼間に自分が何をしていたかの記憶がすっぽりないまま、気がつくと布団に仰向けになって夜の闇を凝視している自分を初めて発見し、自分が誰なのか思い出そうとしてもなにも浮かばずパニックになったりしました。

自己不在感からの脳みそをぐちゃぐちゃにかきまわされるような精神異常、体を雑巾のように絞られるような身体異常に夜な夜な見舞われよく体を縮め頭を両手で強く抑えていました。

このときの感覚を表現するのにも膨大な言葉が必要なのですが、いくつか表現してみると、ひとつには「自分の存在が物理的に消えていく、透明になっていく」感覚がありました。後に「コタール症候群」という症状に酷似していることを発見しました。コタール症候群とは、いわば鬱の最重度最強最終形態みたいなものです(詳しくは調べてみてください)。これにより、自分はもう死んでしまったような、まだ生まれていないような、幽霊みたいな感覚になりました。

「自分の存在が消えていく」という異状な感覚に見舞われ、また「普通」から逸脱していくことに恐怖した私は、何かなんでもいいから「存在」に掴まろうともがくように、一番手近にあったもの、憎悪と悪意と怒り、ありとあらゆる負の感情のアドレナリンの力にすがりました。まるで悪魔にすがるように。

そして私の中にぽっかりと空いた宇宙空間のように果てしない透明な消失部分の空白は、同じ量の果てしない憎悪と怒りに満たされ埋まり塗りつぶされました。

また、私はその頃、いつもひとり閉じ籠っていた保育園である少女と鮮烈に出会い、私はその少女とコミュニケートするために、自己アイデンティを完全に抹消して「彼女自身にならなければならない」と思い詰め、そのようにしました。その過程は後に自らの自閉症を自伝にしたドナ・ウイリアムズの「自閉症だったわたしへ」の中でドナが初めて「外の世界で生きた人間に出会った」ときの体験そのままでした。

この時から自己アイデンティから継ぎはぎのパーソナリティで生きていく私が出来上がりました。またこのパーソナリティの不自然さのせいで保育園ではおおいに嫌われました。

また、体調面でも5才から極度の便秘になり、毎日引き裂かれるような腹痛や下痢や嘔吐を繰り返す日々になりました。私には自殺自傷願望があったのですが、これらの痛みで自然にその願望が賄えました。

そして5才から「追いかけられる」「殺される」、極度の恐怖で心臓が止まりそうになる悪夢を毎日見て夜中に何度も飛び起きるのは向こう30年近く続きます。

世界全てが私に降りかかってくるような恐怖、世界の不幸の全てが自分のせいのような罪悪感、自分は人類の敵で悪魔で奴隷身分だから、八つ裂きに拷問され殺されても私には抵抗する権利などなく、笑って受け入れなければならないんだという絶対的な諦念と無力感と絶望に支配される人生が始まりました。そしてこれらのことを私は親にも誰にも言いませんでした。

私には名前もなく最初から親も兄姉も家族もいると思ったことはなく、国も世界も私の中ではとっくに壊れて滅んでなくなっていました。これが私の生まれてからの5年間です。

 

いじめ、そして「生きるため」の訓練

小学校に上がった瞬間からいじめが始まりました。

教師の話を聞いたり教科書、ノート、ペンに向き合うと母の罵倒や絶叫、暴力がフラッシュバックして頭が真っ白になり、誤魔化すために人に無意味に話かけたり席を立ってうろついたりしました。親からの虐待、兄姉からのいじめ、学校でのいじめ。わたしは世界を知った、悟ったと思いました。

アゴタ・クリストフの「悪童日記」という小説があるのですが、後に読んで私が思っていたことそのままが書いてあってびっくりしました。

私は、世界は痛く辛く苦しく傷つく弱肉強食のものでしかない、他の世界は一切ない、人間が生きる手段は、痛み辛さ苦しさに適応し、慣れ、そのための鍛錬をすることしかない、と結論しました。だから私は、嫌なこと痛い辛い苦しいことを進んで率先してするようになりました。

嫌なこととは、それをやることだけが世界であり、生きることでした。

私はわざと親に罵倒されたり叩かれて「平気だ」「慣れた」と思い感じる訓練、生きるための学習をしました。また、知的障害の姉に窃盗癖があり、それも嫌だったので自分からやってみて慣れようとしました。結果、私にも窃盗癖がつきました。

傷つけられることと傷つくこと、それだけが世界であり生きることだと悟った私は、傷つけることにも訓練で慣れようとしました。人を叩き、いじめ、盗みました。

最後には、私が日々世界に、人に殺されると怯えていたように、一番嫌なこと、「人を殺すこと」にも私は慣れなければいけない、そうしないと私はこの世界で生きていけない、絶対的な親の絶対命題である「みんなと同じ社会で普通に」なれない、という強迫観念がありました。

「悪童日記」の中では主人公たちが同じ思考回路で「殺すことに慣れるため」にさまざまな小動物を殺していくのですが、私はただひたすら内面的に人を殺すシミュレーションや空想妄想などでそのハードルを下げ続けました。

9才のとき、TVなどで殺人加害者が罰せられると意味がわかりませんでした。殺されるほうが方が、弱い方が悪いのになんで?と。なぜ人を殺してはいけないのかわかりませんでした。ただ、社会には表面的な悪のルールがあり、それに触れると罰せられるが、水面下の本質は私が思っているものなんだと思いました。

親が感情を殺した機械になり、同時に「感情がある人間の振りをすることが正しい社会適応だ」というダブルバインドをするように、社会もそうなのだろうと思いました。この頃、私は兄とまるでDV夫婦のような共依存関係にあり、文字通り横のものを縦にもせず全て私に命令してやらせ、暴力を振るわれていました。自殺願望一色でした。

時系列は前後しますが、7才から、性的暴行への妄想的恐怖が高じて、一切風呂に入らず、歯も磨かないようになりました。汚く醜くなることで一番の恐怖の対象である他人の視界から逃れたかった。

もとから醜くかったのでしょうが、わざと鼻をつぶしたり変顔をしたりして自分を醜く見せるようにしていると念願叶って醜くなったのですが、後にこの社会では醜い女に生存権がないことを知って詰みました。

私はどんどん汚く醜く不潔になり、親は私に「浮浪者、ルンペン、ストリートチルドレン、乞食」などと嘲笑しましたが、それ以外何もしませんでした。その頃よくトイレで失神するほどの腹痛やほとんど気絶する貧血や学校に行くのも限界の疲労感などがあったのですが、私は何も言いませんでした。私には世界も人間も自分も存在しませんでした。かろうじて存在するときは、互いに殺意し合うときしかありませんでした。

14才のとき、クラスメイトに「臭いよ」と言われ、私は人に見えるのかと驚いて風呂に入るようになりました。

 

疎外感と機能不全な家族

14才頃になると、仮初めのパーソナリティにひびが入り始めました。

他の人が怒ったり笑ったり、少なくともそう見える行為をすることとその意味が繋がらず、私も真似をして空っぽのまま怒ったり笑ったりしてみますが、他の人のそれは情報量が圧倒的で、破壊的なフラストレーションがたまっていきました。本を読んでも、感情に触れる単語は外国語のように意味がわかりませんでした。ひたすら「普通」であるようにひたすら笑っていて顔が痙攣しました。

世界と人はますます書き割りのような作り物に、プラスチックのように命の無いものに見えていきました。現実とか世界とか全部夢の中で生きてるんだなとぼんやり思いました。そして自分と世界が空っぽになっていくほど、殺意と憎悪に支配されました。

私には理解できない、手の届かない、許されていないものへのフラストレーション、逆恨み、それまでに培ったパーソナリティ、命を感じられないものの命を破壊することで手を届かせたい願望、それらがぐちゃぐちゃになった殺意で一杯になっていき、同時にそれ自体で即死しそうな罪悪感と自己否定でうずくまり、自分はやはり悪魔だ、殺されるべきだと思いました。

そういうぐちゃぐちゃな一瞬後には発狂寸前の精神状態は5才から変わらないのですが、親の「普通であらねばならない」という絶対命題だけで素面を保っていました。

家では親は口を開けば罵倒、嘲笑、暴力の毎日、「いつもの場所に新聞がない」みたいなことでキレて過去の蒸し返しになって因縁つけて無意味に怒鳴りこんでくる、姉はおもらしが治らず自傷し盗み糞尿を垂れ流し、兄と父は毎晩徹夜で取っ組み合い、兄は母を家庭内暴力し、母は体中痣だらけになりながら親戚に電話でことの次第をへらへら笑いながら報告していました。

なにがあってもへらへら笑って問題にしなければ、問題を認めなけば問題は存在しないという、典型的な機能不全家庭マインド。だから表面的には私はそれまでいつも笑って皆に調子を合わせている「何も問題のない良い子」ですらありました。

 

そして「機械になれた」という達成感の先にあったもの

それで、進学どころではないのですが高校に行きました。高校はますます私の情報キャパを越えていました。

高校ではいじめ関係がありませんでした。皆それ以外のなにかに価値を見いだしているようでした。私はそれが何かわからず、私はそれまでのいじめ関係、弱肉強食関係でしか生きられないことを悟りました。私は誰と関わらず、モノのようにひたすらじっと過ごしました。

5才から記憶や思考感情を「リセット」して消去して一日一日をしのいでいたのですが、この頃は「モノ、機械になるために」それらを完全に消去し尽くした、私は念願の機械として完成した、という感覚がしました。完全な空白、空っぽ、透明、無、ひたすらモノとしての自分がいる感覚でした。それは解放感、達成感のあるものでした。

その一瞬後、もはや何もする意味も、理由もない。何も選択できない、欲望できない自分を発見しました。

その一瞬後、「誰でもいいから殺したい」というただただ純粋なほど真っ黒な憎悪にのみ支配されました。

私の中ではもうとっくに世界は終わって瓦礫の山になっているのに、二重露光のように笑いさざめく平和な世界が目に写るアンビバレンツに耐えられず、戦争が起こればいい、私が内面で見ている光景が現実になればいい、と爆弾が降り注ぎ血濡れた世界の光景やナチズムに支配される世界を幻視していました。ちなみに兄も9才くらいのときにヒトラーを尊敬するという人でした。

自己不在の感覚のまま無機質に大量殺戮していく感覚は浦沢直樹氏の漫画「MONSTER」に、環境に培われた莫大な憎悪を世界破壊に暴走させ同時に自分を押し止めようとする感覚は皆月亮二氏の漫画「ARMS」に似てるなと思います。教養の無さが露呈しますが、自己感覚が基本透明なので作品という外部装置に自分を委ねてるだけかもしれませんが。

17才のとき、神戸連続児童殺傷事件が起き、その犯行声明文と、逮捕された酒鬼薔薇の供述がまるで生き写しのように私と重なり、パニックになった私は罪悪感で引き裂かれ、自分を社会から隔離し閉じ込めるように18才でひきこもりました。それから約10年ひきこもりました。

 

一応話はここまでです。

今は36才ですが、それまでにも今も色々あって、なんでまだ死なないんだ、殺し殺されないんだと不思議なくらいの普通の地獄です。

こうして書き出して見ると、起きているひとつひとつのことは、よくある機能不全家庭の出来事なのかもしれません。

ただそのストレスが嫌なこと、痛みにほど過剰に執着する私という特性と合わさることで、その負荷が私の中で何倍何十倍にも増幅し反映されることで負の増幅連鎖のようなことが起きるのかもしれません。いいことには目を向けられないし、自分の中で反響しない。そんな感じなのですよね。そういうことも見えてきました。

以上です。
読んで下さってお疲れ様でした。


【執筆者】
無記名 さん


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