10年間の不登校・ひきこもりを経て慶応義塾大学に合格した教え子の話

体験談 ひきこもり 不登校 大学受験 じゅくちょう

お世話になります。「じゅくちょう」です。

その名の通り、ネット家庭教師の事業を経営しています。不登校経験を経て、慶應義塾大学に入学し、現在は毎年100人以上の教え子さんを指導させていただいております。

今日は、私がこの仕事を始めてすぐに受け持った、もっとも印象深かった教え子さんのお話をしたいと思っています。きっとこれを見ているあなたのお役に立てる記事だと思いますので、ぜひ最後までご覧いただければうれしいです。

 

10年間不登校・引きこもりだった教え子さんとの出会い

その教え子さんからお問い合わせがあったのは、東日本大震災があってから一ヶ月ほど経ってのことでした。私は東日本大震災の時には、地元に帰っていたのですが、地元は震災で壊滅的な被害を受けたため、命からがら逃げ出して、東京での一人暮らしを再開させていました。その頃の私は、家庭教師としては、本当に駆け出しの時期でした。ちょうどその頃母親のガンが見つかり、仕送りをもらえなくなってしまったので、どうにかこの仕事で結果を出さなければせっかく入った大学を辞めなければならなくなるというところまで追い込まれていた時期でした。そういうこともあり、家庭教師で教えている生徒はなんとしても志望校に合格させなければと考えていました。

しかし、そうは言っても、家庭教師を始めたばかりの大学生のところに、難関大学に合格できるような生徒はまず来ません。自分の高校時代もなかなかひどい成績だったなあと思っていたのですが、家庭教師を始めてから受け持つ生徒は、定時制高校中退などなにかしらの事情を抱えた生徒が多く、そもそも難関大学を目指すことすらしません。成績の問題以前に、難関大学を目指さないのであれば、合格実績などもちろん作りようがありません。これでは埒があかないなあと思っていたときに、私が当時運営していたサイトを見つけたその生徒から、私にメールが届きました。

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じゅくちょう先生

はじめまして。Tと申します。

仙台に住んでいます。震災で合格していた大学への入学手続きが遅れ、どこか他の大学への入学を検討できないかと思い連絡しました。

去年のセンター試験の英語は100点ほどです。

なにかアドバイスいただければうれしいです。

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本名などは加工をいれましたが、おおよそこのような内容のメールをいただきました。私と同郷ということもあって、私はこの生徒に親近感を持ちました。おそらく、この生徒は、私自身の受験体験記を読んで勇気をふるってメールをくれたのだと思います。センター試験のような点数がかっちり出るテストで点数をぼやかすには一抹の不安もありましたが、まずはスカイプで彼と話してみることにしました。

スカイプで話す中で、彼の今までの人生をおぼろげながら把握することができました。小学三年生の冬からいじめに遭い不登校になったこと、自分に暴力を振るった同級生が東北大学に合格したこと、自分をあれだけ傷つけながらのうのうと生きている同級生を見返したいこと、小学三年生の冬から不登校気味になり、小学四年生から高校三年生までは学校に行っていないこと、親はアルコール中毒で自分のことでケンカばかりしていること、センター英語筆記は200点満点中100点、数学IAは30点、地元のFランク大学にはかろうじて合格したこと、矢継ぎ早に紡がれるいままでの体験談は、聞いていて体調が悪くなるほど、私の心を揺さぶりました。

そして、そういった話を聞いているうちに私は思いました。彼を志望校に合格させれば、私の家庭教師としての展望も開かれるかもしれないと。そうすれば両親からの仕送りがなくとも生活ができ、せっかく入った慶應義塾大学を辞めずに済みます。この時、もうすでに私自身にとってもこの教え子さんをどうにかすることは人生を懸けた闘いになっていたのです。

実は、最後に詳しく述べますが、大学受験において、こういうふうに見返したい相手がいることは、時として大きな力になります。私自身もそうでした。また、私の高校では途中で心身の不調から学校に来れなくなってしまう生徒が数多くいましたが、そういった中で挫折していていき行方知らずになる同期と、そういった中にありながらも最終的には難関大学に入り、その後目覚ましい活躍を遂げている同期の違いは、実のところ見返したい相手がいるかどうか、見返したい相手への「思い」の強さによる部分が大きいのです。気が強くて負けず嫌いで、付き合っていると胃が痛くなるような強烈な人間のほうが大学受験では見込みがあります。私はこの生徒には見込みがあると思いました。

しかし、この生徒の親御さんはそうは考えていませんでした。それはそうだと思います。小学三年生から不登校になり、中学も高校も三日と続かず、結局通信制高校に入り、かろうじて合格した大学についても行かないと言っているのです。センター試験の英語は筆記200点満点中の100点、数学IAに至っては30点です。こういう状況から慶應義塾大学に行きたいというのがいかに無謀なことか、親御さんは十分に理解されていたはずです。さらに、そうした生活の中で親御さん自身が追い詰められており、アルコール中毒になっていました。親御さんも本人も限界まで追い詰められていました。本人も頬がこけ、ひどいうつ状態に悩まされていました。

ただ、親御さんにはもう一つ心配がありました。それは、本人がどこに入ってもまた三日で辞めるのではないかということです。そこで、親御さんから出された条件は、もし10日間の体験授業中、休むことなく彼が指導を受け続けたら、継続して毎日2時間の個別指導をお願いしますというものでした。親御さんとしてはできるわけがないと思って出した条件だったのだと思いますが、彼は毎日朝8時から朝10時まで指導を受けてそれから夜4時まで勉強するということをやり遂げ、まず毎日2時間の指導をご契約いただくことになりました。正月もお盆もクリスマスもなく毎日2時間の指導です。ここから私と彼とご家族の闘いが始まりました。

 

なぜ10年間不登校だった生徒が毎日勉強するようになったのか

まず、志望校の設定については、「慶應義塾大学経済学部」にしました。正直なところ、この段階から私は最終的な志望校が慶應SFCになる可能性は十分加味していました。経済学部は英作文の配点が大きく、英作文は継続的な訓練が必要なためセンター英語筆記得点率が半分程度からだと一年で合格レベルまで持っていくことは難しいためです。また、数学が受験科目にあることも懸念材料の一つでした。さすがにセンター数学IA30点から一年で慶應経済合格レベルに達するのは至難の業です。もしかしたらという期待はありつつも、おそらく難しいだろうという現実的な判断も働いていました。

彼が毎日勉強するようになった理由は、このように彼を一人の大人として尊重し、毎日丁寧に話し合ったことにあると思います。たいていの不登校・引きこもりの生徒を抱える教育者は、彼らを一段低く見ます。半ば障害者や赤ん坊のように扱うことさえあります。私は自分自身が不登校・引きこもりの経験があったので、そのことがよくわかりましたし、そのことが許せませんでした。そういうこともあり、彼を独立した一人の大人として尊重し、彼が潰れない程度の期待=負荷を掛け続けました。

一人の大人として尊重するというのはどういうことでしょうか。それは最終的には彼の判断を尊重するということです。私の経験から彼に共有できる情報は共有しますが、その上でどうするかを決めるのは彼自身です。そして、指導する側と彼の双方にとって大切なことは、その判断の妥当性ではなく、その判断を結果として妥当な判断にすることです。10年間不登校・引きこもりだった人間が慶応義塾大学に合格するというのは、そもそも無茶なことです。しかし、この無茶な判断を結果として妥当な判断にするには合格するしかありません。これが判断を結果として妥当な判断にするということです。

また、毎日丁寧に話し合う、とはどういうことかというと、相手の話を聞くということです。とかく塾の経営者は、もともと家庭教師や講師をしていた人が多く、そういう人は話がうまいために、しばしば自分自身の話に酔いしれてしまうことがあります。しかし、不登校・引きこもりの生徒というのは、そうした大人が出す腐臭に敏感で、そうした大人のことは信用しません。(こういう鋭敏さがあるからこそ、不登校・引きこもりになるのです。)ですから、こうした生徒に対して、というよりもあらゆる生徒・人間関係に共通していえることですが、自分の話など極論最小限しかする必要はないのです。それこそ、相槌を打つときに、自分にも同じような経験があったということを短く自己開示する程度でかまいません。あとは、相手の話を聞き続けることです。そこに答えがありますし、そこにしか答えはありません。また、蛇足になりますが、学生バイトで個別指導塾講師や家庭教師をするときにもコツは同じです。

さて、そうした私と彼が長い話し合いの末、まず志望校を「慶應義塾大学経済学部」に設定したのには理由があります。それは慶應経済の英語は配点の半分近くを占めると言われている英作文問題を除けば、慶應SFCの英語よりも一段難易度が低く、少し(といっても一般的な受験生からしたらかなりの量の)勉強すれば比較的高い得点が取れるのです。また、慶應経済の小論文についても、東大受験者のすべり止めとして機能しているという事情もあり、要約は200字程度、論述は400字程度で、1000字以上の難解な小論文を課す慶應SFCと比べると解きやすいのです。ですから、最終的には慶應SFCに志望校を着地させるにしても、まず慶應経済を目指し、慶應経済の過去問、特にその中でも英作文以外の英語と小論文である程度の点数を確保できるようにすることはちょうどいい目安になりうるのです。私としては9月ぐらいまでに慶應経済の英作文以外の英語と小論文で合格最低点である6割程度の得点率にまで成長させ、その後数学と英作文の出来を見て慶應SFCにも出願できるような状態に持っていこうと考えていました。

このようにある程度の方針が決まったら、次にすべきことは各教科・各分野の勉強計画の策定と実行です。

まず、懸案の英語についてですが、慶應SFCを最終目標にする場合には、大まかに分けて英単語と英文法が鍵になります。

英単語については、センター英語で50%程度の得点率が取れていたこと、現役時代に英単語ターゲットを一通りやっていたことから、このあたりの単語についてはある程度出来ているという判断をしました。実はセンター英語で50%程度の得点率だと、初歩的な英単語帳であるところの英単語ターゲットでさえも完璧だとは言えないのですが、彼の今までの経歴を見ていると、中学も高校も早々と挫折しているため、勉強を本格的に始めて2ヶ月程度で結果がでなければ、おそらく私から指導を受けることも辞め、大学受験そのものを辞めてしまうのではないかという危惧がありました。そのため、2ヶ月程度である程度の結果を残す必要がありました。

不登校・ひきこもりのような状態から受験勉強を始める上で大切なのは、挫折しないように学習計画を組むことです。わかりやすい目安を示すのであれば、基本的にはどのような受験生であれ、受験生活の最初の20%で到達すべき目標を80%達成できるような計画を作ることが大切です。なぜそのような計画を立てるかというと、人間は自分が落ちこぼれたままで一年間も勉強ができるほど強くはないからです。ですから、基礎の徹底は大切ですが、基礎の徹底は徹底しながらも手短に終わらせ、一刻も早く実戦で成績を鍛えられるようにすることが大切です。それができるかが結局の所合否を分ける鍵になりますし、不登校・ひきこもりのような苦い挫折経験がある場合は特にこのことが大切になります。

そこで私が考えたのは、慶應SFCを始めとして慶應全学部の長文読解問題の頻出単語を長文を読みながら覚えることができる「リンガメタリカ」という長文集を暗唱してもらうことでした。長文が50題掲載されている長文集なのですが、これについて毎日1題ずつ、それこそ、どれが主語でどれが対象語でどれが動詞で構文はこうなっていてだから訳はこうなるということを逐一解説した上で、必ず100回以上音読して、最終的には暗唱してもらうということをしました。朝8時〜朝10時まで2時間授業して、その後本人は朝10時〜深夜4時まで、この構文分析と暗唱を行っていました。私としてはせいぜい8時間も勉強が出来れば御の字だろうと思っていたのですが、本人は毎日18時間、授業も合わせると毎日20時間、休むことなく勉強しました。その結果として、2ヶ月で終わればいいなと思って出した「リンガメタリカ」の課題は1ヶ月で終わりました。

彼がこのようにやるべきことを前倒しで終わらせることができた背景には、彼がこうした勉強を通じて精神医学でいうところの「自己効用感」を高めることができたことが大きく作用しているように思います。「自己効用感」とはなにかというと、自分自身が物事をコントロールできているという感覚を持つことで、もともと自己肯定感に欠けていて、無力感に苛まれている傾向のある不登校・引きこもりの生徒が受験勉強をするにあたって、この「自己効用感」は特に大切な要素になります。

「自己効用感」を高めることは、すなわち自分自身が物事をコントロールできているという感覚を持つことなのですが、実はこの「暗唱」という勉強法は「自己効力感」を高めるには抜群の勉強法であるといえます。なぜなら、「暗唱」というのは、膨大な文章をなにも見ずに読めるようになる勉強法であり、そうした勉強法がもたらす「自己効力感」は他の勉強法と比較しても計り知れないほど大きいのです。また、英語を極めるという選択についても、不登校・引きこもりの生徒が現実を忘れ、集中して勉強するには極めて有用だという要素があり、これらの相乗効果により、彼は前倒しで勉強を進めていく事ができたのです。

この英単語の宿題の他にも、同時並行で英文法の宿題も出していました。センター英語で50%の得点率ということは、中学英文法の基礎はある程度出来ているものの、高校英文法については穴があるという状況で、本来のセオリーとしては基礎的な中学英文法はともかくとして応用的な中学英文法もしくは初歩的な高校英文法の復習はすべきなのですが、本人の来歴を考慮して、いきなり受験レベルの高校英文法に取り組んでもらいました。この際の問題集の選び方にも注意点があり、なるべく解説が詳しいものを選びました。当時は桐原の頻出英文法語法問題1000が解説が詳しく出来が良く、彼にもそれを使わせました。今だと東進の山中先生の問題集や河合の小森先生の問題集も解説が非常に詳しくおすすめです。

英文法の宿題もまあ1ヶ月程度で1000題を3周ほどして、そのあとは10周ほどして身につけてほしいと思っていましたが、彼は1ヶ月のうちで10周ほどしたようで、かなり完璧に仕上げてきました。

英文法の勉強というのは、とかく継続が難しい印象がありますが、彼が単調で退屈にも思える英文法の勉強を継続して行うことができたのは、やはり「暗唱」による「自己効力感」の増大が大きく左右していたように思えます。これは実際多くの方が実感していることだと思いますが、物事に成功する人というのは、過去に成功経験があるがゆえに、遠い未来に照準を定めてコツコツと努力することが出来るのです。その反面、物事に失敗しがちな人というのは、過去に成功経験がないがゆえに、そうした事ができません。彼は入塾当初、物事を成功させた経験がなかったために、勉強を始めて継続させていくまでには大きな心配り必要としましたが、「暗唱」を通じて「自己効力感」を高めた結果として、彼の心の中に成功経験が生まれ、それが他の単調で退屈にも思える勉強をこなす上での大きな支えになっていました。このように不登校・ひきこもりの生徒の勉強計画においては、まず「自己効力感」を高め、その上で他のなすべき勉強をなしていくという姿勢が必要になります。

ここまでの段階の勉強で、彼は慶應の経済の英語は英作文以外については7割ほどの得点を叩き出せるようになりました。本当は、慶應経済のような難関英語に対応するには、英単語や英文法を習熟するだけでなく、英文解釈もしなければなりませんし、長文読解にも単一段落から選ぶ場合、複数段落から総合的に判断する場合、一致の選択肢を選ぶ場合、非一致の選択肢を選ぶ場合、抽象化した選択肢を選ぶ場合でそれぞれ異なるコツがあります。語法問題についても、単純に語法を習得するだけでなく、語源からのアプローチや熟語であれば慣用句の成立過程からのアプローチ、接続詞や前置詞についての理解も必要ですし、その他にも気を配るべき点が数多あります。そういう点から考えると彼の勉強法はまだまだ荒削りでしたが、そうしたなかでも合格最低点より一割も高い点数を叩き出せるようになったのは大きな進歩といえました。

受験勉強を滞りなく円滑にすすめていくためには、時に「勘違い」を元にした自己満足というのも必要になります。本来、受験勉強というのは、厳密に細かく学習計画を立てて、一つ一つを緻密に潰していかないと合格にはたどりつけないものですが、不登校・ひきこもりのような難しい状況から勉強を継続するモチベーションを得るためには、自分は「デキる」のだというナルシスティックな勘違い・自己満足が必要な場面も出てきますもちろんそのうちに、ある特定のラインから点数が伸び悩む時期が出てくるので、大雑把な勉強法を変え緻密な勉強の仕方に変えていかなければならないのですが、彼はまだそういう時期には至っていませんでした。英語の勉強については自分は「デキる」のだという自信が彼には芽生えてきていました。これは受験勉強を継続的に進めていくためにはとても大切な一つの過程でした。

一方で、数学の勉強については遅々として進んでいませんでした。英語と違い数学は概念的に理解しなければならないことが非常に多く、荒削りな勉強では結果が出にくいのです。これは残念ですが予想していたことでもありました。そこで、夏の模試が終わった段階で早々と志望校を慶應経済から慶應SFCに変更しました。

志望校を慶應経済から慶應SFCに変更するにあたって問題となるのは、英語の長文読解の難易度が飛躍的に上がることと、小論文の難易度が飛躍的に上がることでした。しかし、これについては本人に聞いてみたところ、さほど問題ではなかったようです。なぜなら、リンガメタリカで慶應SFC小論文に出てくるようなテーマについてはある程度習熟していたため、どのようなテーマを出されても、小論文の書き方さえ確立していれば書くことができたためです。リンガメタリカの他にも、その姉妹的な役割をもっている「アカデミック」「速読速聴」といった長文集についても手を出していたことも功を奏したのでしょう。

これは私見ですが、不登校生・引きこもり生の特徴として、彼らはまず最初に「肥大化した自己愛」を持っています。これがあるからこそ、自分自身が期待にそぐわないような環境においては、学校に行かず、家にも引きこもってなにもしないという選択肢を選びます。そういう彼らが一皮向けるのに、もう一つ大切な要素があります。それは「徹底した自己嫌悪」です。この時の彼にはそれが芽生えつつありました。だからこそ、「リンガメタリカ」を終えたあとに、「アカデミック」「速読速聴」とより難しい長文形式の単語帳に身を捩っていったのでしょう。この時の彼は、「肥大化した自己愛」と「徹底した自己嫌悪」というふたつの武器を持って、自らを磨き上げていこうとする覇気にあふれていました。

とはいえ、小論文は知識だけでは書けません。小論文を書くためには豊富な知識は大前提ですが、それ以上に小論文を書くための「型」が必要です。

そもそも、なぜ慶應SFCで出題されるような1000字程度の小論文を書くことが難しいのでしょうか。それは、1000字の文章を書こうとするからです。トンチのような話で申し訳ないですが、1000字の小論文を書くことができない理由はこれに尽きます。

小論文をパーツごとに分けることができれば、1000字の小論文も50字の記述問題が20題あるだけの問題になります。50字程度の記述であれば、誰でも書くことができます。なぜなら、50字程度の記述というのは、(接続詞)+主語+(直接目的語+間接目的語+)動詞の塊に過ぎず、それぞれを10字前後程度で特定すれば、50字程度の記述を書くことは容易だからです。(実はこのやり方には、慶應SFCのアドミッション・ポリシーに基づく、かなり細かいノウハウがあるのですが、ここでは本題から外れるので割愛します。)

このように指導した結果として、彼も一応小論文らしきものは書けるようになりました。それでも私の心の中からは一抹の不安が消えることはありませんでした。彼の小論文は、確かに彼の得た知識を得て書かれていたのですが、慶應SFCに合格するためには知識を知識として書くだけでなく、知識を組み合わせた上で、問題解決のためといままでにはない新しい解決策を書く必要がありました。彼にはその視点がまだ足りず、またそれを言ってもなかなか改善が出来ていなかったのです。

実は、不登校・ひきこもりから大学受験をするに当たって難しい部分の一つが「この世の中のことを知らない」ということです。考えてみれば当たり前のことですが、10年間不登校・ひきこもりということは、10年にも渡って、外の世界のことを殆ど知らないのです。私も仙台で不登校・引きこもりをしていたのでよくわかりますが、仙台のような地方都市では、昼に大の男が出歩くと非常に目立つので、基本的に昼に学生かサラリーマンなど仕事を持っている人以外の大の男が出歩くことができません。そうなると、どうしても世間のことをよく知らないまま時間が過ぎていきます。この時の彼はまさにそういう状態でした。実は世の中のことというのは、ただ単にニュースを見るだけではわからないことが多く、たまには外に出ていろいろと見てみるというのも大事なのです。彼は毎日20時間勉強していましたから、そういったことは全く出来ていませんでした。

具体的に落とし込むと、慶應SFCの小論文では、たとえばタクシーが捕まらないという問題について、crewやuberのようなすでにある解決策を書いてもほとんど点数には結びつきません。これは毎年100人以上の慶應SFC受験生を指導していればすぐに気付くことですが、案外知っている人が少ない事実です。慶應SFCの小論文で求められるのは、タクシーが捕まらない→crewやuberがある→でも人間が運転してるからタクシーと比べて事故・事件のリスクが高い→よし、自動運転の車を街中に放流して、自動運転のCtoCプレイスを作ろう!みたいな解決策です。これはCtoCプレイスと自動運転という最先端のテクノロジーの組み合わせによって生まれたもので、かつ問題解決の手法として本質的な顧客のニーズに応えているものなので高い評価がえられる答案になります。

彼の答案には、そういった「組み合わせ」に欠ける部分がありました。そして、恐れていたことが起きたのです。

 

万全の体制で挑んだ受験で不合格に

彼は、慶應経済の英語では7割近い正答率を叩き出すことができたものの、やはり慶應SFCの英語は難しく、いつも6割前後をうろちょろしていました。慶應SFCの英語で6割前後という点数は、小論文がものすごくうまくできていれば合格するという点数、つまり合格最低点です。この時期になると長文読解の細かいテクニックも語法問題の細かいテクニックもある程度身につけてはいたのですが、それでも6割前後をうろちょろという状況が続いていました。小論文についてもまだまだ課題がありました。

それでも、彼はこの一年、本当によく頑張りました。その冬、親御さんは最後の仕上げとして、当時私は代々木で校舎型の塾を経営していたのですが、そのすぐ近くの参宮橋の近くにウィークリーマンションを借りてくださいました。私は彼を校舎に呼び寄せ、四六時中一緒に過ごしました。ファミリーマートの唐揚げ弁当を食べて勉強し、一日の勉強が終わったら焼肉安安につれていき焼肉をごちそうし、死んだように眠り、また起きて勉強する。そんな感じで毎日が過ぎていきました。毎日二時間指導のお月謝を頂いていたので、相当程度のお月謝は頂いていましたが、あとあと考えると私が頂いたお月謝はすべて焼肉に消えていたような気がします。そもそも毎日二時間なんてものじゃないぐらい、その十倍ぐらいは指導していました。まあ焼肉が美味しかったので良しとしましょう。当時は焼肉安安で満足できたのだから、お互い貧乏舌だったのだと思います。苦しくなるぐらいまで大量に焼き肉とか冷麺とかキムチを食べていたので、私は塾で寝泊まりしていたのですが、塾に帰るとただ床に倒れ込むだけでした。この段階になると商売人としての損得を超えて、とにかく彼を慶應義塾大学に合格させたいというその一念だけでした。それが私のこれからと彼のこれからを切り開く唯一にして絶対の手段なのだという思いが強く有りました。

実のところ、不登校・引きこもりの生徒を教える上で唯一・絶対に大切なことはこのエピソードの中にすべて含まれていると思います。いや、不登校・引きこもりの生徒に限らず、おそらくすべての人間関係に言えることかもしれません。それは徹底した自己犠牲です。これだけが人の心を動かしうる魔法です。相手の期待を遥かに超えて、とにかく徹底的に身を粉にし、相手の成功のために貢献するという精神だけが、初めて相手に伝わりうるのです。これだけのことをしなければ、10年間不登校・引きこもりの生徒を変えることはできないのです。人が人を変えるとすること、人が変わろうとすることには、それだけ大きなエネルギーが必要になります。停滞していた期間が長ければ長いほどそうです。私はこの一年を彼自身の復活、そしてそれは図らずも自分自身の復活でもありましたが、それだけに懸けていました。通っていた大学ももうほとんど行かなくなってしまいました。それほどまでに私は彼の将来に懸けていました。

そのかいあってか、英語でも少しずつ7割台の得点を取ることができるようになってきました。小論文は相変わらず一抹の不安がありましたが、政治系の出題が中心の総合政策学部の小論文であれば手堅く取れるし、総合政策学部の英語が7割程度で問題なければ大丈夫だろうという思いがありました。

そして、受験本番を迎えたのです。

総合政策学部については、英語が難化したのが大きく、6割程度の点数だったようです。総合政策学部に有りがちな政治系の小論文は手堅く得点できるのですが、アイディアの質が問われる環境情報学部の小論文と比べると大きく点数を伸ばしにくいという特徴もありました。英語6割+小論文8割=平均7割であれば慶應SFCの合格ラインにかろうじて届くのですが、この年の彼は届かなかったようだということはすぐわかりました。

環境情報学部については、英語は8割前半の点数を叩き出していました。この成績は全体から見てもかなり良いものだといえます。十年間不登校だった彼が、麻布や浅野などの超難関校から受験している並み居る強豪を打ち落としてトップ層に食い込んでいることは紛れもない事実でした。しかし、問題は小論文でした。やはり私の危惧したとおり、アイディア系の小論文において知識を吐き出すだけの答案になってしまい、自分なりの問題解決ができなかったようでした。

ただ、それでも、と私達は一縷の望みを託していました。私としても初めて本格的に受け持った生徒だったがゆえに、慶應SFCでこれほどまでにアイディア加点が高いということは知らずにいました。ある程度しっかり論理的に書けているはずだ。だから受かっているはずだ。受かっていてくれ。

受験が終わってから合格発表の日まで、私達は二人で校舎に残ったままずっと結果を待っていました。

結果は、不合格でした。

 

二度目の受験で合格をつかむことが出来た理由

2月後半の仙台は雪が降ることが多いのです。私の高校の卒業式のときもそうでした。私はもう慶應SFCに合格していたので、滑って転んでも笑っていられました。ただ、難関国立大を志望する同期のほとんどは違いました。合格発表よりも前に卒業式があったからです。同級生の七割が浪人する高校だったので、卒業式でさえもピリピリしていたものです。子供がというよりも親がピリピリしていたのです。むせ返るような母親たちの化粧の匂いや、滑りやすい氷が張った歩道の風景を今でも鮮明に思い出します。

私の出身校(ほとんど通っていないけども)は仙台で一番の進学校です。おそらく東北地方で一番の進学校です。それでも、生徒の七割近くは東大や早稲田や慶應や東北大を目指して浪人します。

十年間不登校だった彼が一年目の受験に敗れたとしても、彼の努力不足を意味するものではありません。よく起こりうることでした。彼は本当によくがんばったのです。でも、あと一歩及ぼなかったのです。

私は、2月後半の仙台にまた来ました。2年前ここにいたときは、東京に行くための準備のためにいました。気分は高揚していました。でも、この時の仙台は違いました。本当に憂鬱な帰省でした。彼の両親に謝りに行かなければならないからです。

彼の両親は、彼の受験のためにすべてを投げ打っていました。合格後に聞いたことですが、親戚に随分借金もしていたようです。私は彼の両親になんとしても謝らなければならないと思いました。私の小論文の指導でもっとアイディアの組み合わせの訓練を徹底していれば、できることをもっとしていれば彼は合格したに違いないという責任感が私には強くありました

「申し訳ない」

と私は彼の両親に土下座して謝りました。そして、もう一年だけ彼にチャンスを与えてもらうようにお願いしました。そして、お金のこともあり、毎日2時間の指導はさすがに難しいが、毎日30分であればどうにかという話があり、あと1年、毎日30分の指導をすることが決まったのです。

今にしても不思議に思います。どうしてあの時、ご両親は私にもう一年彼を預けてくださったのか。私はあの頃、難関大学への合格実績をほとんど持たない一人の家庭教師に過ぎませんでした。直前に小論文添削を請け負って合格した生徒はいましたが、それにしても慶應義塾大学の学生とはいえ、家庭教師としてはかなり頼りない部類の家庭教師でした。今であれば毎年合格者が多数出ていますから、あと一年とお願いされるのは分かります。ただ、当時、もう一年お願いされるとは思ってもみないことでした。私は純粋に謝りに行ったのです。

ただ、今にして思えば、それが良かったのかもしれないと思います。往々にして、教育に携わる者は教え子の結果に対して無責任です。良い結果であれば塾のおかげだといい、悪い結果であれば教え子の責任だといいます。そうした姿勢は責任逃れのために短略的に行ってしまいがちなものですが、こうした姿勢が教え子からの信頼を失う要素になることは、想像に難くないことです。特に、不登校・ひきこもりの生徒については、世の中のそうした矛盾や腐臭に敏感ですから、そうした責任逃れをする講師とあと一年勉強しようとは思わないでしょう。その点では、この時の私の対応は良かったのだと思います。

 

不登校・引きこもりを乗り越えられる生徒、そうでない生徒の違い

次の年、彼は合格しました。

もともと敗因が決まっていた入試であり、それを一つずつ改善するだけに過ぎない受験だったので一年目と比べれば格段に楽ではあったものの、それでも合格間近からの不合格は、彼の心を随分蝕んだようで、11月ぐらいまでは糸の切れたタコのような地に足の付かない生活をしていたようでした。手を付けていなかったゲームにも手を伸ばし、親御さんも随分苦労されたようです。

この一年で彼が一番きつかったのは、彼のご両親が彼の受験生活二年間のうち、とくに前半一年間の努力を認めてくれなかったことだったそうです。どのような結果であれ努力したという事実は努力したという事実でフェアに認めるべきなのですが、一方で努力したということを認めるには、受験勉強全般に対して、それなりに知識と経験があることが必要になります。そういう意味でいうと、親御さんが前半一年間の努力のすごさを、そのままに把握することはやはり難しいことではあったのでしょう。

それでも、次の年、慶應SFCに合格しました。

そして、先日、彼が誰もが知っている大企業に就職し、楽しく社会人として生活しているというお電話を親御さんからいただきました。合格体験記もかねてより私の塾のサイトで過年度のものとして掲載しており、かつ彼の名刺は私の大切な宝物として、常に私のお財布の中に入れています。

それからの私は、不登校の生徒を慶應SFCに入れることをライフワークとして、今年も去年も一昨年も、不登校の生徒を慶應SFCに合格させました。ただ、その一方で、不登校から生活を立て直すことを目指し慶應義塾大学を目指したものの不合格になる生徒も多く見てきました。中には受験生活の中で精神疾患を悪化させる生徒もごく少数ですが見てきました。

こうした状況を乗り越えられる生徒とそうでない生徒の違いは、「恨」をどれだけ強く持っているかなのではないかと考えています。

「恨」というのは、要は人に対する怨み辛みのことです。日本社会ではこうした感情を持つことを良しとされてはいませんが、私自身は勉強や仕事を進める上で人に対する怨み辛みが大きな原動力になりましたし、また不登校・引きこもりを乗り越えられた生徒や同期にもそういう傾向を認めています。

そもそも、人間には喜びや憧れや悲しみや怒りという様々な感情があります。そうした中で、とかく怒りや怨み辛みという感情だけを忌避することは私は不自然なあり方ではないかと思うのです。そして、そうした感情を抑圧する不自然なあり方こそが、不登校・引きこもりにつながるのではないかと考えています。

私の受け持った生徒の中でも、不登校・引きこもりを乗り越えられなかった生徒の典型例としてあるのが、親御さんが教育熱心で、子供がそれに逆らえずに受験に巻き込まれていくというものです。子供は親の感情の強さに破れ、自らの感情と向き合うことなく、ただ受験に巻き込まれていきます。こうした受験はまず絶対にうまく行きません。

大切なことは、まず受験をする本人が「○○大学に合格したい!」と思うことです。そう思わないのであれば受験など辞めてしまったほうがいいと本当に心の底から思います。エンジニアになるとか建築現場の作業員になるとか、世の中には学歴などなくてもお金を稼げる仕事はたくさんありますし、さっさとそういう仕事に就いたほうが良いでしょう。

そういう状況にありながら、それでもなお「○○大学に合格したい!」と受験する本人が心から思うのであれば、それは大学受験を頑張ったほうが良いと思います。その時の動機は、上辺だけの綺麗事よりも、自分が心から信じることができることのほうがいいです。それはべつに女にモテたい、お金がほしい、気に食わないあいつをなんとしてもブチのめしたいというものであっても全く問題ないと思います。私もそうでしたし、そういう理由で頑張って、それでうまく行った受験生を私は多く見ています。

種明かしをすると、気に食わないからブチのめしたいと思うような多くの人というのは別にブチのめさなくても自然と社会の中で淘汰されていくものです。それに受験で勝ったところで、憎い相手をブチのめせるかどうかは誰にもわかりません。でも、人生負けたままだと嫌だ、どうしても自分の心の中の落とし前を付けたいと思っている人にとっては大学受験は一つの大きなチャンスになることは間違いありません。

もし、そういう鬱屈とした思いを抱えたまま苦しんでいる方がいれば、私は毎年数百人からの人生相談に対応しているのでなにかお役に立てる部分があるかもしれません。今回もメンヘラ.jpさんをご覧いただいている方からの相談対応窓口を用意していますので、なにかに苦しんでおられる方、ご相談などございましたらなんなりとその旨お申し付けください。私の人生経験の範囲内、お役に立てる範囲内で答えさせていただきます。

【メンヘラ.jp専用相談窓口】
https://line.me/R/ti/p/%40ynw1559y

 

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【執筆者】
じゅくちょう さん

【プロフィール】
慶應義塾大学卒業後、在学中から始めていたネット家庭教師の紹介業を本格的に開始。不登校・自宅浪人・仮面浪人などの事情のある教え子さん向けに指導を得意とする。著書の「小論文はセンスじゃない(1)」「小論文はセンスじゃない(2)」はいずれもアマゾンカテゴリランキングで1位になり、小論文の指導には特に定評がある。

ネット家庭教師の毎日学習会


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