父のアルコール依存、両親の離婚と再婚を体験して、「アルコール依存症」について気付いたこと

コラム アルコール依存症 湯豆腐

小さい頃、私は父が大好きでした。

無口で、多くを語らない父親は、いつも静かに私のそばにいてくれました。母と私と父、穏やかな普通の家庭だと思っていました。

それが崩れたのは、小学校に入るか入らないかくらいの頃、夜中に父と母が激しく口論するのを見てからでした。

あんなに穏やかだった父と母が、物を投げ、罵倒し合う姿を見るのはとてもショックでした。母が家出してしばらく帰って来なくなったりもしました。気づいた頃には家の中から父の姿が消え、私は母子家庭の中で生きていくことになりました。

それからは母1人と子ども3人の生活が始まりました。母は非正規雇用の労働者で給料が高いとは言えなかったので、平日は昼も夜も基本的には家にいませんでした。土日も働いていたので家にはおらず、ゆっくり家族の時間を過ごすということはとても不可能でした。飲み会で夜遅く帰ってくることも増えました。このときの母親は相当経済的、精神的に苦しい中で生きていたと思います。

それからしばらくして、父親と面会ができるようになりました。父と母が少しずつ仲を取り戻していったためです。面会交流が何年か続き、再び父と暮らしてみないか、と母から告げられました。もう一度家族としてやり直せるんだ、と私は思いました。ほどなくして父と母は再婚し、家族で暮らせるようになりました。

 

ですが、再婚してからの生活はあまりうまくいきませんでした。

父は基本的に引きこもりで、人と話すのも得意ではなく、家庭内ですれ違いが起こるようになりました。いま思い返せば、父にはASD的な性質があったのかもしれない、と思わせる行動や言動がありました。些細な不満が積み重なり、私やきょうだい、母との関係が悪くなっていきました。

このような状況で、父はストレスが溜まるとアルコールに頼るようになっていきました。いつでも1人で自室にこもってお酒を飲むようになりました。酔うと家族に暴言を吐くことも増えていきました。酒を飲んでいるときの父は、別人のようでした。

私が大学受験を控えた高校3年生の冬、父が酔っぱらって深夜に近所の人と喧嘩になったことがありました。そのときの父親は自分が今まで見たことのない父親でした。すごく高圧的で、喧嘩を止めに入っても人の話を全く聞かず、ずっと怒鳴ったり喧嘩したりしていました。

勉強のストレスでイライラしていた私も父親と口論になりましたが、もう何を話したのかあまり覚えていません。ただ、「そんなにお酒を飲みに行きたいの?それは私たち(家族)よりも大切なことなの?」と聞いても、「俺は酒が飲みてえんだ」と返されたこと。そして、「俺は息子には負けないんだ」と叫びながら私の弟に殴りかかろうとしたので、私がそのまま父親に殴りかかったこと。いつも生意気な妹が、ショックを起こして泣きながら部屋にこもってしまったこと。とにかく酷い夜でした。

その夜の出来事のあと、父は病院に行きました。病院に向かうとき、「回復するよう頑張るからね」と声をかけてきました。あの夜の暴力的な父が嘘のようでした。

ですが、結局父はお酒を完全にはやめられず、ダメと分かっていても隠れて飲むようになりました。その頃はもうほぼ離婚することが確定していて、母も呆れて見放していました。母は父に対して完全に失望していました。「あんな人、血も繋がっていないただの他人だ」と何度も口にしていました。母から見たら他人でも、私は血の繋がった家族なんだけどな、と何度思ったことか。

こうしてまた両親は離婚しましたが、そのあとは父と連絡を取ることはありませんでした。父が家を出る日、私は母に「遊びに行こう」と言われ、1日中外出していました。家に帰ったら、服もベッドも、何もかも父の面影は消えていました。

 

父は、いわゆる「アルコール依存症」だったと思うのですが、当時、周りでそれを理解してあげられる人間はいませんでした。未成年だった私にはアルコールがどんなものかも分からなかったし、日に日に飲酒量が増え、行動がおかしくなっていく父を見て、ただうろたえることしかできませんでした。

アルコール依存症から脱するには、心理的な側面から継続的に支援することが必要なのだと思います。父は、病院で肝臓について診察を受けていましたが、依存症に対しては治療が不十分でした。結果、「このままだと肝臓が悪くなって余命宣告をすることになりかねないので、お酒はやめなさい」と言われたにも関わらず、断酒することができませんでした。

また、酒を飲むと暴力的になる父を見て、母は失望し、支援できるような状態ではありませんでした。周囲の人からの信頼をも無くしてしまうのがこの病気なのだと思います。

アルコールを摂取して暴力的になっていたときの父を見たときは、父の人格が変わってしまったと思い、ひどくショックを受け、裏切られたような気もちになっていました。でも、アルコール依存症は立派な病気であって、本人の意思や人格の問題ではありません。

父と連絡を取らなくなって数年が経過しましたが、最近になって私は1人で父に会いに行けるようになりました。

父は、年齢のわりに老けて痩せこけていて、歩き方もぎこちなくなっていました。お酒をやめられたかどうか、症状はどうなのか、ほとんど聞けていません。でも、少しずつ会話を重ねていきたい、と思っています。

いま、わたしと接するときの父は、小さい頃わたしが大好きだったような優しい父の姿だと信じています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
拙い文章だったかと思いますが、何か役に立つことがあれば幸いです。


【執筆者】
湯豆腐 さん

【プロフィール】
両親の離婚騒動、父のアルコール依存、友人から死ねと言われ続ける毎日、恋人との共依存、などなど何かとメンヘラな人生を歩んできたしがないOL。
Twitter:@yudofu_suki


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1件のコメント

副島 返信

今晩和。
湯豆腐さんも御家族の皆様も、とても辛い日々を過ごされたのだと思います。

役に立つ事も気の利いたコメントも出来なくて申し訳ないのですが……

お父様、頑張れると良いですね。

湯豆腐さんと、お父様(出来れば、その他の御家族様も)に優しい時間が戻りますように。

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