「こころ百科」に関する記事につき、一部不確定な事実に基づく表現がありました、読者の皆様にお詫び申し上げます。

皮肉にも「希死念慮」が私を生かす材料になった

コラム 希死念慮 かねこ

今年、家族を自死で亡くした。家族嫌いな私が唯一信頼でき、好きだった家族だった。

そしてきっと亡くなった家族もそうだったろうと思うし、そう思いたいし、それは遺書からも垣間見えることが出来た。

もともとメンタルヘルスに問題を抱えた私は、その家族の死によりさらに追い詰められることになる。「眠れない、食べられない、やる気が起きない」の三大欲求完全拒否状態。その家族の3年分のスケジュール帳をただ眺めみることしか出来ない日々だった。

その時の私は家族の自死により、「己が死にたいなんて思ってはいけない」という思考で支配されていた。だが、どうしても家族の死を理由に死にたいという思いが消えなかった。

なぜそんな私が死にたいと思い続けながらもなんとか生きていけているのか。それは希死念慮というものがあるからだった。

基本的にはネガティヴな意味しかない希死念慮だが、1度これを持った人なら分かってもらえるとは思う。希死念慮は救いだと思っている。もちろん、あるよりはない方がいいに決まっている。そんなことを思わないのが1番だとも思う。

だけど、1度己の死を願ってしまった人にとって、それは無理なことだ。少なくとも私はそうだったからこそ、希死念慮に救いを求めた。

家族が自死で亡くなり、残された者の気持ちがわかったから死んではいけないと思いつつ、とてつもなく死にたい自分は、少なくともそれで救われた。

いつでも死を望んでいいんだ、いつでも死にたい、死んでいい。機会があれば死のう。皮肉なことに、それが私を生かす材料になった。死にたいではなく、死んでもいいと考えるようにしたら、不思議と生き長らえることができた。

バッグには縄とOD用の薬を常備して、いつでも死ねる状況を作っている。それで、数ヶ月は生きてる。

そんなものを抱えながら、何年になり何十年になれば、それはそれでいいんじゃないかと思う。途中で脱落してしまったら、その時はその時だ。そして運悪く、死因が老衰死となった場合は大往生だと泣きながら逝こうと思っている。

そんなこんなで希死念慮と付き合ってる人間のお話でした。

拙い文章お読み下さり、ありがとうございました。


【執筆者】
かねこ さん

【プロフィール】
機能不全家族 フリーターです


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