自分が「生きている」と思える場所 アイドルによって生きる理由を見出した話

コラム えん あきら アイドル

自分は間違いなく「生きている」と思える場所がある。

「みんな、最後までついてきて――――!!!!!!!」

「うおおおオオ――!!!!!!!」

会場内は歓喜と興奮の叫びで満たされる。

声から生まれたエネルギーは、ステージ上で輝きを纏う人々にまっすぐ飛んでいき、それは音楽となって、色とりどりの照明となって、客席へ響き返される。

客席の動きは様々だ。拳を肩まで挙げてリズムを取り始める者。イントロが流れたとたんに「おおっ」と声をあげる者。特定の色に灯そうとペンライトのボタンを押す者。高揚感のあまりあふれる涙を、首にかけているタオルで拭う者。

その群れの中で、最高だと笑顔でいる私がいる。

かつて、少し外を歩くことにも必死な状態で、自分以外のものも自分にも、苛立ちや虚しさ・絶望しか感じなかった頃があった。今「その頃の私」は寂しそうな顔をして、背中を向けて眠っている。時々起きてくることはあるけれど、それでもなんとか日々を過ごしている。

これは「現場(アイドルのライブ等イベント)に行くこと」によって、生きる理由を見出した人の話。

 

お金さえあれば必ず受け取れる


チケット料金を支払い、開催することが確定されたうえで会場に入る。あとは時間になったら楽しむ。一見そのまんまその通りの、当たり前に思える流れが、自分の中ではとてもわかりやすくて居心地が良い。

スケールの大きい話になるが、この社会で生きていくうえでお金は間違いなく大事なものの一つと言える。

しかし

・お金を出しても返ってこないもの
・お金以外のものを出さないと返ってこないもの

それでいて、”社会生活では欠かせないもの”というのは実在する。私はとにかくこの二つに苦しんで、ある種の恐怖を感じていたように思える。

・時間の経過や変化によるどうすることもできない別れ
・礼節や信頼で左右される環境

……などがそういったものになるだろうか。

何が正解で、何がイコールとなるのかわからない。不確かに感じるゆえにこの二つとずっと現実で戦っているような感覚すらある。

そんな中で「現場」はとってもわかりやすい。

災害など余程のことがない限り、お金さえ払えば、自分の席が確保される。お金さえ払えば、きらびやかな衣装を着て輝いている推しを見られる。お金さえ払えば、接近イベの参加……ふだん近くで見られることができない推しとハイタッチとか握手とか、運が良ければちょっとだけお話ができる。お金さえ払えば、ステージを見た人にしかわからない特別感を味わえる。お金さえ払えば。お金さえ払えば。

とても冷たい考えのようにも見えるが、「ちゃんと払えばその分のものが、時には払った分以上のものが返ってくることが、目に見えてわかる」というのは非常にすっきりする。そう思うのは私だけだろうか。

 

自分は一人じゃないと実感する


会場に足を運んだ時の楽しみの一つなのが、会場内外にいるファンたちの姿を見ることだ。

ライブ限定Tシャツを着る人。アレンジする人。推しのイメージカラーを取り入れる人。わかる人にはわかる格好をする人。コール本を配布する人。ぬいぐるみや缶バッチ等グッズの装飾がすごい人。

ステージに立つアイドルによってファン層の傾向やファッションは大きく異なる。

同じアイドルを推す中でも、さらにいろんなタイプがいる。そのため、現場へ行くオタク・ファン……特に年齢や服装が近い人を見かけるとホッとする自分がいる。というのも一人で現場に行くことが多いゆえに、「自分みたいなタイプはいないんじゃないだろうか」と思ってしまうのだ。

疎外されたこと・社会勉強にはなったが二度と味わいたくないことを経験したゆえの孤立感が、常に私の脳内を支配している。SNSで調べれば「同士がいる」とわかることもあるが、やはり実際に目にしなければわからないことの方が圧倒的に多い。当日、会場に入るまでもなく最寄り駅に着いたとたんその不安はほぼ払拭されるのが、毎度我ながら面白い。

また、自分とは系統が違う人を見かけたときも、最近は楽しみつつある。どんなきっかけで現場に行くようになったのか、と想像する楽しさ。何よりいろんなタイプのヲタクが来るくらい、推しがそれだけ魅力的なのだと実感するからだ。

こうして現場に通うようになってある変化が自分の中で起きた。初対面の人と多少話せるようになったことである。

グッズ販売の列でたまたま近くにいた、観客席で隣にいた、会場付近でぶつかってしまい謝った後。きっかけは些細なものだが、ファン・同士かどうかは、見てある程度わかるので思い切って言ってみる。

「そのぬいぐるみの衣装、作ったんですか?」
「ついにこの日が来ましたね」
「推し、〇〇なんですか?」

そうして、相手が返してくれた時の喜びと衝撃。

当日特有の高揚感が助けてくれるのもあるが、なにせ会場に足を運ぶ人たちは、程度や内容に差異があっても何らかの理由や意思をもって来ている。お目当てのメンバーがとにかく好きな人。遠いところから来た人。各会場すべてを回る人もいるだろう。

それぞれの参戦する気持ちが見えたときは、ワクワクが止まらない。

 

生きる理由


現場に行くようになって生活に良い影響が出たことは、まず「先の予定が決まる」部分はとても大きいと私は思う。

失敗や苦痛を味わった日は、食べものがあまり喉を通らなかったり、明日が怖いな嫌だなという気持ちが膨らむ。これから先が不安の色にしか染まらなくなる。

そんな中、運よく当選してチケットを確保し、スケジュール帳に当日のことを書いたその瞬間から「会場までのアクセス方法は?」「グッズの購入はどうするか?」「当日に備えて必要なものは?」「会場の最寄り駅と周囲はどんな環境なのか?」「ライブの次の日休みたい!」などなど、より楽しみたいという気持ちが、様々な疑問や意欲を沸かせる。

そうして当日までの準備等を含めた予定が決まれば、嫌なことがあっても「物販の列に並んでいる間に、欲しかった限定グッズが完売するよりマシ」「ライブがあるから、その日までは絶対死ねない」という気持ちが私を奮い立たせてくれる。

何より、現場の面白さは「生の表現(リアルタイム)」にある。

これまで長年培ってきたことを短時間の枠で表現するその魅力は様々な芸術分野(お芝居、演奏など)にもあるが、アイドルのステージはとにかく「生きている」という実感がわく。

決められたセットリスト・流れの中で、圧倒的なオーラを放つ子。成長した姿を見せた子。感極まって歌う途中で泣いてしまう子。歌詞が飛ぶ、衣装の一部が取れるなどのアクシデントもある。グループの一人がしゃべっている間に他のメンバーが水を飲むところ、ファンからの声やコールに返事をする姿、そしてステージと客席の一体感。音源や収録映像だけでは味わえないそのすべてが、

「推しは実在する」
「実在する推しを見ている私は実在する」
「つまり、私は今『生きている』」

という気持ちになる。

現実の中で虚無を感じたら、現場に行ったことを思い出してみる。「あの特別な空間にいられた自分はすごい、特別と感じられた自分はすごい」という肯定感が芽生える。そして今日もまた、予定を埋めていき当日まで必要なものや体調をいかに整えるかと計算する私がいる。

現場に行くことで、着るものや外に出るきっかけが増えた。新しい楽しみ方も見つけた。生きる理由が、できていく。

 

明日へ


こうして、様々な現場もといイベントに足を運ぶのにあたり、ある信念を持つようになった。

「この日々は永遠ではない。いつか必ず終わりが来る」ということ。

ステージに立つ人も、ステージを支える人も、我々と同じ「人」である。時が経てば変化し、それはやがてコンテンツの変化にもつながる。その瞬間が何年後か、何か月か、それはわからない。けれど絶対に避けられない。

異なる道へ進む。一区切りする。色んなことを見てきた。だからこそ、私は現場へ行くとき「同じイベントは二度とない」という覚悟を持って挑んでいる。

変化を受け入れられず情緒不安定になり、体調に大きく響くこともあった。これからもあるかもしれない。

それでも、あの開演中の、一瞬一瞬に驚異的なエネルギーが渦巻く空間に「生」を見出す限り、私は変わらず応援して、明日を迎えようとするのだと思う。

 

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【執筆者】
えん あきら さん

【プロフィール】
単4電池(ペンライト用)を買うことが増えた一般人
Twitter:@en_akira


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