メンヘラ芸を批判したくない

コラム メンヘラ 自傷行為 OD

こんにちは、借金玉です。

今日は、タイトル通りのお話をさせてもらいたいと思います。

「メンヘラ芸」という言葉があります。これは、例えば自傷行為や薬物のオーバードーズ、自殺未遂といったものを、ある種パフォーマンス的に行う人のことです。ご存知の方も多いと思いますが、僕はこれを結構長い間やってきました。

精神を病み、人生が上手くいかない。そういう状況の中では承認を得るのがとても難しくなります。しかも、体調は地の底なので友人に不義理をしてしまうことも増えます。他人に示せる自分のアイデンティティがどんどん失われていきます。

それを一挙に解決する方法がメンヘラ芸だというのは、否定できない事実でしょう。人間というのは、奇矯な行動をする人が結構好きです。あるいは、そんな人を心配してくれます。「心配される対象」になれば、不義理を怒られることもぐっと減ります。様々なことを解決してくれる夢のソリューションなのです。

例えば、鬱で動けなくて待ち合わせに遅れたとします。

この時、ストロングゼロを2本と睡眠薬を少々口に放り込み、ヨレヨレの体で向かえば、色んなことが解決してしまうのです。「そういうキャラクター」として認知されれば、喜んでもらえることさえあります。

僕はこれに頼り切って生きていた時期がありました。多くの人に恥ずかしい姿をさらしました。そんな僕が今、偉そうに本なんか書いているのは本当のところ不誠実なことかもしれないと思います。本当に恥ずかしいことですが、睡眠薬を眠るため以外の目的で呑んでいたのはほんの数年前の出来事です。

 

メンヘラ芸によって失われるもの


メンヘラ芸によって失われるものについて。それは、上記以外の全てのものです。健康、仕事、業務的な生産性、安定した生活、そして生命。「死ぬ死ぬ言っている奴は死なない」という俗説がありますが、僕の経験上あれは嘘です。死ぬ死ぬ言っている奴は結構死にます。かなり死にます。相当死にます。

僕が大量の睡眠薬と酒を片手に詩を書くというメンヘラ芸の極みのような生活をしていたころ、友人がどんどん死にました。メンヘラ芸集団みたいな交友関係を築いていたので当然と言えば当然なのですが。僕は今でも彼らを裏切ってしまったような気がします。僕たちに30歳なんて無い、死ぬだけだ、そんな風に笑い飛ばして生きていた時期がありました。

僕の当時の一番の友人は、右派の活動家で精神を病んでいました。しかも、右派の仲間たちにもつまはじきにされて、それでも彼は熱心な右派活動家でした。僕は左派に仲間に入れてもらえなかった左翼だったので彼にシンパシーがあり、僕らは結構よく酒を呑んでいました。一緒に睡眠薬をザリザリ呑み、お互いの部屋をゲロまみれにしながら。

楽しかったと思います。よく政治議論をしましたし文学の話をしました。でも、彼は死んでしまいました。毎年、彼の命日になると墓を詣でてベロンベロンになって帰ってくるのが僕の習慣だったのですが、今年は酒を呑まずに帰りました。初めてこのことでした。

 

文化と死


死は文化か、と言われれば僕は文化だと思います。「いかに死ぬか」というのは人間の美意識の極致ですし、全身にガソリンをかぶり燃えながらも祈りの所作を崩さなかったあの僧侶に僕は憧れます。「人間に自らの命を絶つ権利はあるか?」と問われたら、僕は「ある」と答えます。

僕は「やっていきましょう」と言いながら、「生存」を掲げて当事者運動をしています。でも、これは大いなる欺瞞です。僕自身ですら、僕の欺瞞性ははっきりとわかります。それに、死んだ者を侮辱するような行いであることも事実です。死んだ友人に「じゃあ死んだ俺が悪いのか」と言われたら返す言葉がありません。「おまえも死ぬって散々言ってたよな」とたまに彼が話しかけてくるような気がします。

今でも、よく「死のうかな」と思います。希死念慮は薄れたとはいえ、やはりゼロにはなっていません。死ぬことを考えると少し気持ちが楽になります。それは、仕事を投げ出して旅行の計画を立てるような気持ちです。そのたびに、「いや僕は嘘をもうついてしまったのだ」と考えます。そういう意味で、借金玉というこの恥ずかしい名前は僕にとって救命ブイみたいにありがたいものです。

薬と酒の中で擦り切れて死んでいくことに、僕はどうしても憧れを持ってしまいます。緩やかな希死念慮とドラッグは本当に相性がよく、しかも長期的には確実に長い旅に連れていってくれるという魅力があります。おまけに、そうなってしまえば今抱えこんで苦しんでいる多くの問題は解決されます。その魅力は、未だに僕にとって強すぎるものです。

 

でも、おまえ死んじゃったからさ


「やっていきましょう」は嘘です。僕は多分、本心からそう思ってはいません。「生存」こそが最も重要なことだと、僕は心の底から思ってはいません。それが本音だったらこの希死念慮は取り払えるはずです。僕は嘘をつき続けています。

それでも、僕はメンヘラ芸に対して批判的です。それは僕の嘘をつきとおすための欺瞞で、あまり説得力のある話ではないと思います。僕が「コンプライアンス上当事者運動の中でメンヘラ芸を許容することは出来ない」と主張しているのは、自身の「本心」を回避して主張が出来るから、というのがあります。

でも、僕は自著のオチに「発達障害は少しずつ発達する」と書きました。「時間は敵ではない」と書きました。それを実践するには、「生存」が不可欠です。この借金玉という名前で行った欺瞞を、僕は守り通したいと思っています。少なくとも、死んでしまったらこうしてここで文章を書かせていただくことも出来なかったでしょう。

僕はこの嘘を突きとおしたいと思います。そして、僕が死んだ時は「嘘の一つも突き通せなかった惨めな奴」にして欲しいと心から思っています。嘘をつくのは仕方ない、でもついた嘘は最後まで突き通したい。生きていきたい、やっていきたいと思っています。そして、あなたに死んで欲しくないと思っています。

人生は辛く、死への誘惑は強い。でも、それを何とか押し殺して生きていきたい、書き続けていきたいと思います。だから、僕はメンヘラ芸を批判したくありません。でも、「それは死んじゃうし、生きた方がいいよ」って言います。自分自身が生き続けるために。

友人には申しわけないと思います。彼が死ぬちょっと前、「どうせ俺も30までなんか生きないよ」と言い切ったのをはっきり覚えています。僕は今年33歳になります。でも、彼はもう死んじゃったから文句も言いません。そのやさしさに甘えて生きられるところまで生きていこうと思います。

やっていきます。やっていきましょう。



【執筆者】
借金玉 さん

【プロフィール】
発達障害(ADHD)と診断され服薬をしながらギリギリ社会生活を送っている31歳。

2年遅れで早稲田大学の文学部を出たあと、一度金融機関で事務職として勤務するが、全く仕事が出来ず2年たらずで敗走。その後、数千万の出資と融資をかき集めて、飲食業と貿易業をダブル起業。社員が二桁に近いサイズまで育ったのち、昇った角度で急降下。事業を整理してなんとか命だけは拾ったものの、それ以外は全てを失う。

全てを失い「31歳無職」となった後は、やることもないのでブログを書く。すると妙な人気を博すことになり、ライターとしての仕事をスタート。他にも、非正規雇用の営業マンという顔も持つ。

現在は「なんとか生活費に困窮することはないところまで生活を立て直して、今に至るわけです。現在でもお金はありません、ご飯を食べるだけで精一杯です。でも、何とか生きています。」

twitte : @syakkin_dama


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3件のコメント

Inume_Ejekut 返信

すっと入ってきました。

null 返信

実は、自分は借金玉さんの「やっていきましょう」が好きではありませんでした。だって言ったところで実際やっていけないもの。
しかしそれを欺瞞だと自覚していることが伺えただけでも、この記事は自分にとってはちょっとした収穫です。

ただ、嘘であり欺瞞であると分かりながら茶番を続けると、いつか本当に自我が崩壊すると思います。おそらく。
今まではパフォーマンスや連帯感のためや、あるいはロシアンルーレット的な自傷行為であったはずのODが、あるいは致死性に高いあらゆる自死行動が、錯乱の内に借金玉さんに“襲いかかり”、後悔する間も無くご友人のところに行ってしまうことさえあるかもしれません。
借金玉さんは商人として「やっていきましょう」の側に立つことを選びましたが、いつかその選択が借金玉さんを殺すかもしれない。

やっていけないときは「やっていけません」と白旗を揚げられたら本当はいいんですけどね。

やっていきましょ 返信

つまらんよつまらんよこれ

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