「生きる意味」を見いだせない人のために

コラム ユージ ラム

「自分はなんのために生きているんだろう」

こう考えたことはありませんか?
人生の意味、生きていく上での意味を考える。それはとても抽象的な問題で、答えなんかいくら考えても出てこないかもしれません。

ここでは、そのようなことを考えて、考えて、考えて……、それでも答えが出てこない。そんな人のために、僕が一つ、思いついた発想の話をします。

改めまして、はじめまして。「ユージ ラム」と申します。医療的な診断などは受けておりませんから、今の所いわゆる「精神病」とか、そういった状況ではありません。普段はツイッターやここ(メンヘラ.jp)にて、様々な話題をザッピングしております。

僕のことはここまでにして、本題に移りましょう。

 

「人生の意味」を考えることは無意味

結論から申しますと、「生きる意味なんて考えても意味がない」です。「なんだ、そんなことか」「よくある話じゃないか」。そんなお怒りはごもっとも。

では、僕がその考えに至った経緯を説明しましょう。

「人生の意味は重要だ。」、そんな話はどこでも聞きます。

曰く、「家族のためにこの命はあるんです」「恵まれない人々を一人でも多く救いたい」「お金を沢山稼いで幸せになるんだ」……。そんな高尚な意味をお持ちの方々はとても恵まれています。本当にそう思います。恵まれてますね、人生に意味を見いだせるなんてすごい、ラッキー!

じゃあ、僕たちみたいなよくわからないままに生きている人は?

人生に意味も見いだせず、無為に生きて、それでも「意味」がないと生きていてはいけないんじゃないか、生きる意味はどうしても見つけなきゃならないんじゃないか。そうやって思いつめても答えなんて出てこない。そんなアンラッキーな人々……。

じつは、僕もしょっちゅう考えます。「俺はどうして生きているんだ」「はやく世界から退場したい」そんな事を考えない日はない、とはちょっと言い過ぎですが、そこの通りを歩いてる人の何倍も考えてる、そんな自信はあります。

でも、生きる意味って本当に必要でしょうか。じつは、「生きる意味」が必要だと考えること自体、意味がないんじゃないですか?

 

「世界の意味」から考える

「もしも世界に意味があるのなら こんな気持ちも無駄ではない?」

中川翔子さんの「空色デイズ」の一節です。「もしも世界に意味があるのなら」、きっと僕たちの人生にも意味があるはずですね。

でも、「世界の意味」を与えられるのは「世界の創造主」だけのはずです。それは聖書に出てくる「父」であったり、古事記に出てくる「アメノミナカヌシ」であったり、あるいは「『世界シミュレータ』の使用者」かもしれません。

まったく突飛な発想かもしれませんが、僕たちが観測可能な、ビッグバンによって生まれたと思い込んでいるこの宇宙は、実は超スーパーコンピュータによってシミュレートされている0と1の塊かもしれないのです。そう考えると、僕らが生きている意味なんて、宇宙の誕生から終わりまでや、自然環境の変化、もしくは人間の心理をシミュレートするためだけのものかもしれません。

そんなの、僕らが考えたってどうにもなりません。だって宇宙よりも上位の存在がいるのなら、ちっぽけな僕らが騒いだところで屁の河童ですから。

じゃあ、そんな「上位存在」がいるなら、僕らの「生きる意味」についても設定してくれているはずです。設定していないなら、それは明らかに「個々人の『人生の意味』なんてそこまで重要な情報じゃない」という判断がされているはずです。下位存在である僕らが「人生の意味」について頭を悩ませたところで何になるでしょうか。世界や宇宙の運営には全く影響はありません。

「神さま」みたいな上位存在がいる世界での、「生きる意味」の話はこれで終わりです。

じゃあ、もう一つ。「神さま」のいない世界の「生きる意味」はどうでしょう?

この世界が作られた意味がないなら、僕たちの生きる意味それ自体がありません。「正解がない」といいますか、「好き勝手に決めていい」し、「決める・決めないも好きにしていい」んです。

「意味のない世界」の中で生きているなら、無の中でどうやっていようと外側で見てる存在なんて、いようがいまいが関係がありません。だって彼(ら)/彼女(ら)は、僕らに無関心です。僕らに関心を向けない人に対して気を使ったりなんだり、そんなのはまったく次に進まない話です。そんなの気にするくらいなら、まだ「人生の意味」について頭を悩ませる方が半歩でも足を進めています。

 

ちょっと話が脇道にずれますが、「正解がない」という言葉が僕はキライです。

「正解がない」というと、「答えはあるけど、その答えが一つに決まってない」という感じがするんです。つまり、一次的には「回答はある」ということになります。これはあれですね。哲学で言う「トロッコ問題」だとか、「カルネアデスの舟板」みたいな話です。どっちを選んでも、それを非難したり対論を出すことはできないけど、それでも「決断は迫られる」。そういう状況はとてもつらいです。

「決断」には「責任」がついて回ります。かじを切ったら、船長は船員をどこかへ首根っこひっつかんで連れて行くことになります。

でも、「人生の意味」なんて話に「責任が生じる」なんておかしな話です。そんなの僕だけの話です、僕だけの話に、どうして僕が振り回されたり、他の人のために心を傷めなきゃいけないんでしょう。

「人生に意味がある」と考えたり、「意味なんてやっぱりないんじゃない?」となったり、「これが僕の生きる意味だ!」と見出してみたり。そんなコロコロかわっても誰も咎めやしません。だから、「正解がない」っていう言葉は多分不適切です。

話がそれましたが、本題に戻りましょう。

非意味的に世界が作られたのなら、この世界にあるべき姿なんてありませんし(事実、宇宙は膨張し続けて、変化しています!)、僕たちが、生きる意味や、それについて頭を悩ます必要も、ありません。

「そんなのは知ったこっちゃねぇ!」でもいいですし、「やっぱり、生きる意味はあったほうがいいよなぁ」でもいいです。そこら辺の裁量はあなたにかかっていますし、その考えには一切責任は生じません。

 

自己中心でもいいじゃない

まとめますと、「世界の意味」の有無にかかわらず、僕たちが「生きる意味」を考える意味も必要もありません。

あなたの人生はあなたのものです。他の誰かに影響を受けてみるもよし、それで人生の意味を見いだせて、人生が楽しくてハッピー!なら、それで良し。もしアンハッピーでいなくなりたい……になっちゃっても、じゃあこの道はわたしには合ってなかったんだな、で他の方法を探しましょう。

人生に意味を見いだすも見いださないも、全てはあなたの望むがままです。悩みたければ悩むんでもいいですし、悩みたくないってんならさっさと忘れて肉を食いましょう。そんなもんでいいのです。どうせ僕たちにはわかりようのない話ですからね。

はい、そんなわけで、いろいろよくわからん話をさせていただきました。わからんと言うなら、それも結構。わかったというなら、ありがとう、です。

それでは、また何か機会がありましたらお目に触れられればと思います。


【執筆者】
ユージ ラム さん

【プロフィール】
都内の大学生。不人気な同人小説を「カクヨム」にて細々と書く。
Twitter:@re_eusyram


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