役割や肩書きが無ければ生きていけない私の話

体験談 家族 燈子

以前こちらにコラムを掲載していただきました、燈子と申します。

【関連記事】
・自分にも他人にも期待しないこと。それだけが自衛の手段だった。

当時は、皆様の投稿を読んで何か書きたい気持ちが先走り、手癖だけで文章を書き上げてしまったため、何を言いたいのかさっぱり・・・という文章になってしまっていました。そのような文章でも掲載してくださったメンヘラ.jpさんや読んでくださった方々に、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、今回もまた、少しでも皆様の暇を潰せると良いなと思いながら、個人的なお話を投稿させていただきます。

「何故病院やカウンセリングへ行かないのか」「何故実家を出てゆかないのか」。

この二点について、お話させていただければと思います。

先に断っておきますが、個人的には、心身の不調は医療に繋げるべきだと思っています。金銭面、体力面、気力面等、様々な点で医療に繋がる道が途絶えている方々が、行政や自助グループなどの力を借りて、医療に繋がることは素晴らしいことだと考えています。

 

私が病院やカウンセリングへ行かない理由


こちらについては、以前のコラムでもお話させていただきましたが、苦手意識があることと通院する労力に見合うだけの結果が得られなかったことが原因です。

時間を掛け、お金を掛け、時には貯蓄を減らし、何度も何度も一から辛かったことを抉り返しながら、それでも少しでも状況が改善したり気持ちが軽くなったりすることはなく、なんとコストパフォーマンスの悪い作業なのだろうと思ってしまいました。それは掌から零れ落ちていく水のように、掬っても掬っても、流れていってしまう作業のようでした。

病院やカウンセリングが私には向いてなかっただけの話だと思っています。もしくは、出会った医師やカウンセラーが私に向いていなかっただけだと。しかし、給与の大半を通院費や処方薬の費用に費やし、時に貯蓄を減らすことは、とてつもない不安感を煽るものでした。死にたい、消えたいと考えながら、生き延びてしまう絶望的な未来しか想像できない私には、将来誰にも迷惑をかけず、独りで生きてゆくための蓄えが少しでも多くなることが重要なのです。

結局、対症療法的に市販薬を購入し、何とか凌いで、一見社会的にそれらしく暮らしている状況です。

平日に働き、土日はほとんど寝て過ごすことでバランスを保ち、お風呂やシャワーも気力が必要なため、必要最低限(人に会うときだけ)にする。死にたさや消えたさを無くしてくれるほどではないですが、最近好きなものもできました。そうして凌げている私には、医師もカウンセラーも必要ないのでしょう。

 

実家を出ない理由


前回の記事でも少し触れましたが、医師に「難あり」と見なされた実家をなぜ出ていかないのか。

一番大きな理由であった愛犬は、先日亡くなってしまいました。今もまだいないことに慣れず、食欲も無く、体も後ろに引っ張られるように重たいです。家にいても思い出してしまい寂しく悲しいだけなので、何とか体を起こし仕事には行っていますが、フリーズしてしまっていることが多いです。そのため、全く他のことを行う気力がなく、ぼんやりと過ごしてしまっています。

もう一つの理由としては、現在のお給料では一人暮らしをしてしまうと、将来の貯蓄が足りなくなってしまうことがあります。しかし、家族との関係性を考えると、実家を出た方がストレスが少ないのは確かで、それを加味すれば、金銭をかけても出て行く方がよいと分かっています。

最後の理由としては、私自身が役割や肩書きがなくては、社会的に生きてはいけないからです。最早この理由に縋りたいがために居るようなものでしょう。

実家にいることによって、「母の悲しみや孤独を和らげ、家事を分担し、父の機嫌を取るように甘え、父母の間を取り持つ娘」という役割と「未婚で実家住まいであるものの家事を行う良き娘」という肩書きを持つことができます。

この役割と肩書きを果たし続ける苦痛よりも、それを失った中で社会的に上手に立ち回らなければならない苦痛を天秤にかけ、前者を選びました。実家を出るだけでそんなばかなとお思いになる方もいらっしゃるでしょうが、社会的な肩書きをいつだって求めている私には、重大な問題なのです。家庭環境については、前回少しお話させていただいたので、今回は割愛します。

 

なぜ肩書きや役割を求めるのか


私は社会的な肩書きを求めていると先ほど述べました。前回は凪いだ心を手に入れることを心がけていると書きました。この二つは、見事に相反するものだと思っています。

毎日を消化することに必死になる中で、隣の芝生はいつだって青いし、隣の誰かの幸福が欲しい自分はいつだって存在するのだと知りました。そして、私以外の誰かにいつだってなりたいのに、その願いは絶対叶わないのだという諦めもしっかりと持っています。

それでも私が、「誰かの何か」でありたい気持ちはいつだってそこに存在していて、そうして「誰かの何か」であることだけが、私が社会的に正しく生きてこれなかった(適切な年齢で適切なイベントをこなせてこなかった)ことを、ほんの少しだけでも隠してくれるのだと信じています。

適切な年齢で適切なイベントをこなせてこなかった、社会的に全うな流れで人生を送れていない、そのコンプレックスをいつまでも抱えることは酷く惨めで、けれど、漠然とした「誰か」の「何か」を追い求めることは、雲をも掴むような話だとも感じています。だからこそ、凪いだ心を手に入れて、私であることへの嫌悪感に左右されない心になろうと思ったのです。

ここで再三述べている「誰かの何か」の「何か」というのは、母や恋人、妻、幼馴染、兄弟姉妹のような親友といった、今ある家族以外のところにある家族らしいもののことです。家族へのコンプレックスが、自分だけの家族を持つということへの捻じ曲がった憧れに繋がってしまったのでしょう。

しかし、それを手に入れるだけの能力も努力も気力もなく、羨み憧れ諦め切れないながらも、追い求めることもやめてしまいました。だって、誰かを愛するということに私は向いていないのです。

きっとそうした肩書きを手に入れても、消えてなくなりたい気持ちやどうしようもない虚無感は払拭できないでしょう。

それを消すにはタイムマシンにでも乗って、小さな挫折や他人からの拒絶や承認されなかった幼い自分をすくい上げてやらなければならないからです。



【執筆者】
燈子 さん

【プロフィール】
メンヘラアラサー。普通っぽい幸せに憧れ続けることに疲れ果てている。
Twitter:@laluneest


募集

メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
応募はこちらから

メンヘラjp公式ツイッターはこちらから

この記事のカテゴリ・タグ

体験談 家族 燈子
このエントリーをはてなブックマークに追加

0件のコメント

コメントを残す

返信をキャンセル
返信先コメント