私には私の地獄があって、あなたにはあなたの地獄がある

コラム 双極性障害 ADHD(注意欠如多動性障害) 生きづらさ 菊川けい

嫌な記憶がフラッシュバックする。

鍋の底にこびりついた焦げ跡みたいに、こすってもこすっても落ちてくれない。

何かしなくちゃいけない。

何もできない。

体が、動かない。

抑うつ状態で何もできないときは、だいたいこんな感じだ。布団から出られず、飯もろくに食べず、風呂にも入らず、ただTwitterの画面を眺めて自分自身の問題から逃げている。

 

学生時代にADHDと双極性障害Ⅱ型の診断を受けた私は、お金もないのに唐突に海外へ行ったり、感情を抑えられなくて仕事をクビになったりと、この障害特性にずっと悩まされてきた。

けれどそれは、診断名があるからしんどいというわけではないと思う。診断名がつかない頃からこの症状に悩まされてきたし、もし診断が出なかったとしてもこの生きづらさは変わらない。

それは私以外のすべての人にも当てはまって、たとえ健常者と呼ばれるひとたちであっても、くるしみは抱えている。ただ、抱えるくるしさの種類が違うだけなのだ。

今夏のコミケで、宇垣美里アナがまどか☆マギカのコスプレをしたときのインタビューにはっとさせられた。

「私には私の地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄があるのだから」

テレビでは闇キャラとして茶化され、失笑を買う場面として放送されていたけれど、メンヘラだけでなく今の社会に決定的に足りない視点だと思った。

みんな同じでなければいけない。同じ能力でなければ笑われたり、出る杭は打たれる。あなたにはあなたのしんどさがあって、わたしにはわたしのしんどさがある。個々人の背後の文脈を、その一言から、そのツイートからすべて読み込むことは不可能に近い。

「同じである」という信念から出立してしまえば、どんなに自分の立場を説明しても、相手のそれとの違いを確認・強調する結果にしか終わらないんじゃないだろうか。まるでディベート大会や「朝まで生テレビ」を最後まで見続けた時みたいに、虚無感しか残らない。

 

TwitterなんかのSNSは、自分の能力を低いと思いこんでしまいやすい、つまり能力が視覚化されがちなツールで、この個人間の対立がものすごく苛烈になっていると思う。健常者とメンヘラ当事者間の対立が目立つけれど、当事者間、健常者間でも対立は起こるだろう。マイノリティや弱者という大きなくくりではなくて、個人と個人が己の属性とアイデンティティとかけて戦っている感じ。私にはそう思えてならない。

「××できない人もいるんです、傷つきました」「あなたは〇〇じゃない」「私は△△だけど努力して××できた、だからあなたもできるでしょ?」

こういう発言による対立は、メンヘラだとか健常者だとか、関係ない。能力の違い、ひいては「自分とはちがう感覚を持つ、別の人間だということ」を認めない姿勢から起こる。

だけど、実際にはこれを常に意識するのは難しいし、社会全体に個人の差異を認めないような抑圧的な風潮はあるし、平気でそれを口にして傷つけてきたりする人は大勢いるし、なによりメンヘラ自身も傷つきやすい状態になっているから、過剰に反応してしまったり、逆に口をついてそういうことを言ってしまうこともある。私もよくパートナーに「健常者はいいよね」といったことを口走ってしまう。

 

「社会の目」は厳しい。

それは職場だったり、親だったり、パートナーだったり、友達だったり、当事者同士の中にも、Twitterの中にも、そして自分の中にも存在する。平気でそいつらは傷つけてくる。

もちろん、戦うという選択肢もありだ。けれど人間の差異を認められない人種にひとりで立ち向かうことは、メンタルが弱っているときには結構危険だ。感情的になってしまって症状が余計に悪化したり、こてんぱんにやられて相手へのヘイトを溜め込むとか、相手のあなたへの印象も最悪になってしまう。メンタルが弱っているときの戦は、何も良いことがない。

つらい状況があったら、一旦そこから逃げて、ひとりになる。ひとりになって、自分を立て直す時間が必要で、そのために薬を飲んだり、寝たり、ぼーっとしたりする。これで自分はいいんだ、と思う。そう思えるまで休む。それから立ち向かっても、遅くはないと思っている。もし私が今よりやさしくなれたら、そういうひとたちに立ち向かえる日が来るかもしれない。戦いとしてではなく、対話として。

 

20年以上メンヘラをやってきたベテランの私ができることは、こうやって文字を書いて、発信することしかないと思った。くるしさを抱える人だけじゃなくて、一般の人にも私の声が届いてほしい。

これを読んで共感してもらえたり、状況分析に役立ててもらえればうれしいです。


【執筆者】
菊川けい さん

【プロフィール】
20代後半の双極性障害、ADHD持ち。常にもがいています。


【募集】
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2件のコメント

初花 返信

初めまして。コメント失礼致します。
気安く共感だなんて言葉を使っていいのかわかりませんが、大変共感しました。
私も生きづらさを抱えながら生きています。周囲に心情をわかってもらえないと苛立つ日々です。そんな中、この記事を読んで少し楽になりました。
他人は「自分とはちがう感覚を持つ、別の人間だということ」、今、自分が忘れかけていたことでした。「私には私の地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄があるのだから」という言葉、大切にしていきたいです。

どっこ 返信

今この記事を読み終わって大変溜飲が下がる思いです。
私も他者との差異を鑑みない言葉に対して憤りを抱えてきました。

「同じ境遇でも頑張っている人は居るじゃない」
「〇〇さんは出来るのになんであなたは、できないの?」

そんなセリフを聞くたびに苛立ちを覚え...

そしてメンタルが疲弊しているのだから無用な争いは避けなければいけないと分かっていながらも、自分の心情に踏みにじる無神経な言葉が許せず衝突を繰り返してきました。

でも...良いんですよね...めざとく噛み付かなくても。

「もし私が今よりやさしくなれたら、そういうひとたちに立ち向かえる日が来るかもしれない。戦いとしてではなく、対話として。」

心の余裕を取り戻した上で俯瞰すれば、また違った景色が見えてくるかもしれない、そう思わせてくれる素晴らしい文章でした。

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