人間は能力でなくペース配分で失敗する 自殺未遂をした私が学んだこと

体験談 自殺未遂 就労継続支援事業所 紺野

カーテンレールにベルトを括り付けて首を吊った。

絞殺は苦しいのでなんとか頸動脈を塞げるようにと位置を確認しながら、何度も、何度も。試しては吐き、泣き、鼻水を垂れ流し、死ぬことすら出来ないのかと自己嫌悪に陥り。

しかし私にはもう死に逃げるしかないのだという思考に取り憑かれ、1時間。こうなったらやるしかない、やるしかないんだ。既にくの字に曲がり始めていたカーテンレール。ベルトに頭をくぐらせると……なんということだ、カーテンレールごと床に落ちた。

なんだこれ、なんだこれ。もはや生きるしかないと言われているみたいじゃないか。

これが一昨日の私の行動。

 

自己紹介が遅れました。紺野と申します。昔、ru、rumiという名前で、練炭やら家族やらについて語っていました……懐かしいです。久しぶりにメンヘラ.jpに寄稿させていただくことにしました。

さて、首吊りに失敗した私は現在精神科に10回目位の入院をしているわけなのですが。なぜ私はあのとき死ぬしかないという思考に取り憑かれていたのか、それをゆっくり紐解いていきたいと思います。

みなさんのヒントにもなるとこの上なくありがたいです。よろしくお願いしますね。それでは参りましょう。

 

①思考が働かないレベルで疲弊していた

首を吊ることにしたとき、私の頭の中は真っ白でした。ただなんとなく、「私の人生はもうじゅうぶんすぎるのではないか」「もうこんなに生きた」「この辺が引き際かな…」そんな思考だけは漂っていました。

では、なぜそこまで疲弊していたのでしょうか。

 

②一つのことに集中しすぎていた

私はA型事業所に通い始め、なんとか事業所に慣れることに必死でした。

A型事業所がどういう所か簡単に言うと、最低賃金で障害者が社会復帰を目指して働く場所といったところでしょうか。

私はそこで1日4時間パソコンを叩くことで精一杯でした。朝起きて支度をして電車に乗りパソコンを叩き電車に乗り帰宅して死んだように眠る。他のことにはあまり心身共に時間を割けない、余裕がない日々を過ごしていました。

 

③様々な問題が散らばっている日常

生きているのだから、内容はどうであれ日々生活を送っていかなければなりません。

その中で生じる問題……事業所のこと、家族のこと、自分のこと、友人のこと、等々、生じた問題にはその都度柔軟に対応していく必要があります。

しかし私はそれを放置してしまった。というより、する他なかったのです。

それはなぜでしょうか、というところで②に帰するわけですね。

 

④体力の足し算引き算を忘れていた

『自分が持っている体力が100あるとしたら、1日に使える体力は60まで。20は何かがあった時のためにとっておく。残りの20は明日に残しておく。』

これが私と主治医との約束でした。

しかし私はそれが出来ていなかったのです。事業所に行って仕事をするだけで60の体力を使ってしまうのに、他の利用者さんに合わせて無理に会話をしたり、ペース配分を考えずに仕事をしたりと、体力をギリギリまで使い果たしていたのです。

それでは最終的に仕事にもならないし仕事以外の時間が充実しないのに、私はペース配分を誤ってしまいました。

 

⑤人間は能力でなくペース配分で人間は転ける

これは主治医がよく口にする台詞です。私はそれはその通りだと思います。現にペース配分で転けたのですから。

というわけで、入院が決まってから自分のペースで過ごしてみることにしました。決して自分の持っている体力以上の生活水準は求めない。

向上心があるのはいいことだと思いますが、自分の状態を把握していなければ上手く行くはずがないですからね。生活水準を上げるのは、体調と合わせながらでじゅうぶんなのです。

 

結論:自分のペースで生活をすると不思議と見えてくるものがある

私が放置していた問題たち。頭が真っ白になるほどに放置せざるを得なかった問題たち。ただゆっくりと日常を送るだけなのに、不思議と問題が解決していくのです。

思考がいいペースで回るようになり、解決策や妥協案が浮かびます。嘘だと思って試してみてください。

 

私は、自分は生きたくないのだと勘違いをしていました。それにより消去法的な死に逃げてしまうことがしばしばありました。しかし今回の入院で見えてきたものがあるのです。

「私は生きたくないわけでも死にたいわけでもなく、ただ生きることが怖い」ということ。

人間は肯定的な思考と否定的な思考を持ち合わせているものです。基本的には肯定的な思考に耳を傾けているのですが、余裕がないと否定的な思考に引っ張られてしまう、そういう生き物だと考えます。

私は余裕を持つことを忘れ、まんまと否定的な思考に引っ張られてしまいました。「自分には価値が無い」「誰も私を必要としていない」「私は存在するべきではない」「この先生きたってどうせ何もない」等々。そこで私はある勘違いをしてみることにしました。

「私にはきっと価値がある!」

すると色々なことに気づいたのです。他者から認められた時に自分の中でそれは嘘だと思いこんでいること。自己評価を誤っているのではないかということ。日常に幸せが散りばめられていること。私にはありたい自分があるということ。

 

メンヘラ.jpの記事をよく読んでいる方は、何かしら抱えているものがあるのだろうと思います。

たとえば、希死念慮。それではここであなたに問います。

あなたは「死にたい」のですか。それは「疲れた」「休みたい」「何もしたくない」「どうしたらいいかわからない」「自分がダメ人間に思えて仕方が無い」そんなふうに変換できるものであって、死にたいわけではないのではないでしょうか。

もちろん、一概には言えませんが。

ぜひゆっくりと考えてみてほしいのです。きっと楽になれると私は信じています。ならなかった場合は恨んでもらっても結構ですので……というのは冗談ですが。

余談の方が長くなってしまいましたね。長文失礼しました。読んでくださりありがとうございます。

それでは、また、どこかで。


【執筆者】
紺野 さん

【プロフィール】
PTSD、双極性障害Ⅱ型、境界線パーソナリティ障害。最近解離の可能性が浮上。
Twitter:@ccccconno


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1件のコメント

ローズティー 返信

自殺しようと思ったときの考えが、私の場合と少し似ていて、共感を持って読みました。
私は「もういいよね」「よくここまでやったよ」という感覚でした。
生きて戻ってきました。
私もPTSDと双極性2型を持っています。
ペース配分、なかなか難しいけれど、少しずつやっていかなければ。

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