複雑性PTSDと性的虐待

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私は「複雑性PTSD」を患っています。

複雑性PTSDは、長年にわたり性的虐待を受けてきた人がなる障害で、その影響でうつ病、躁うつ病的な症状も出ています。

今日はその複雑性PTSDに至るまでのお話を聞いてください。

念のため、性的虐待を受けてきたかたは、注意してお読みください。気分が悪くならないように、自衛してください。

 

私はまだ大学を卒業したばかりでした。

就職して初めての「仕事」に明け暮れて、毎日が刺激的で、先輩も優しくて、意外と楽しく過ごしていました。

仕事はとても忙しく、私は次第に残業が増えていき、上司である課長と二人きりの時間が積み重なっていきました。

課長は40代の中年男。ある宗教の聖職者であり、学校の先生でもありました。特にこれといってイケメンでもないし、カッコいいわけでもないし、好きなタイプでもありませんでした。

毎日毎日二人で残業して、時々は夕食を一緒に済ませ、アイディアを出すための散歩に付き合いました。とにかく課長は、整髪料の匂いが強かったことを覚えています。

不思議なことに、私はいつの間にか、その課長の「整髪料の匂いと口を尖らせるような表情」が印象に残るようになりました。別に好きでもないのに、妙に気にかかる……なんでだろう。もしかしたら、この人のことが好きなのかな?

「気にかかる」は、日を追うごとに変化して、「もしや、好きなのかもしれない」、「好きなのかな」、「好きにならなくちゃ、世話になってるし」…となっていきました。

その当時の「引き寄せられるような不気味な感覚」は、拙い表現ではとても言い当てることはできませんし、こうして文字にしても、単なる不倫ごとのような感じとしか伝わらないかもしれません。

ある日の夜、残業の途中で職場を抜けて夕食をとり、アイディアのために近くの公園を散歩していたときでした。私はいつの間にか、課長の腕に手を回して歩いていました。すると、課長は暗い木の陰に私を連れて行きます。私は課長に抱きしめられ、キスされていました。夕食に、ニンニクが入っていたのになあ、二人とも同じものを食べたからいいのかなあ。そんなことをぼんやりと考えていました。

そこから先はとても早く時間が進んだような、果てしなくゆっくり進んだような、今となっては思い出せません。記憶が定かではないのです(恐らく症状のため)。残業の時間帯はベタベタするような時間になり、車で自宅まで送られたら車の中で触られ、出張に連れて行かれたホテルでは同じ部屋で休みました。

当然ながら、いつしか身体の関係ができました。

私は奥手な子だったので、処女でした。それなのに、その課長に処女を奪われてしまったのです。痛みを感じながら、なぜこんなことになっているのだろうと、終始ぼんやりと思っているばかりです。思考は働かず、善悪の判断もつきませんでした。

「君とはオトナの関係になっちゃったね」

と下衆な顔で言われたことだけは、今でも覚えています。

オトナの関係ってなんだろう。この上司は結婚して子どももいるのに。先生と呼ばれる仕事でもあるのに…妙な気分だけは、常について回ります。それでも、抗うことはできずに、何年も、それこそ何年も関係は続いていきました。

途中、妊娠の可能性もあったりして、生理も体調も不安定な時期がたくさんありました。

 

同じような関係が10年近く経過した頃、課長が数ヶ月の長期海外研修に出ることになりました。半年以上にわたることがわかっていたので、私はこの期間、初めての「ひとり」を味わいました。無理に身体を提供しないで済む時間は楽でもあり、同時に意味のわからない不安感もありました。

けれども、理性はもう限界でした。私は驚くほどの早さで自分の年齢と近い恋人を作り、結婚を決め、職場から退くことを決意しました。今でなければ、チャンスはない。このままでは一生、課長の愛人で終わってしまう。私は必死でした。

 

私は無事に結婚し、課長から離れることができました。やっとつかんだ幸福を、なんとしてでも続けなければと意気込んでいました。しかし、事態はどんどん深刻になっていきました。
夫は、精神的な暴力を振るう人だったのです。

私はあっという間にうつ病になりました。寒い寒い冬の、雪の日に診断がおりました。

暴力的な言葉や態度はひどくなり、私の心身を蝕みました。私の病気は悪化する一方でした。

ある朝、夫が玄関のドアを思い切り蹴り上げて出勤したときに、私はプチンと切れました。実家に電話し、泣きわめき、それでも夫が正しいのだと叫びました。電話の向こうの母は、私に実家に帰るように強く諭してくれました。

死ぬ思いで家を出て、私は親元に戻ってくることができました。

早く、早く離婚をしなければ。そのときに力になってもらったのも、皮肉なことに課長でした。

離婚して療養生活を送っていた私に、課長は仕事を紹介してきました。私は「もう一度仕事をしなくては」という焦りから、その仕事に飛びつくことになりました。

重症のうつ病を抱えて仕事をすることは、私には不可能でした。数ヶ月で倒れ、入院することになってしまいました。

それから何年も、何年も……うつ病に苦しめられて、生活はボロボロになり、入退院を繰り返し、体重は30キロ台に落ち、私の人生はめちゃくちゃになっていきました。

けれどもその間も課長とは切れることなく連絡を続け、身体の関係こそなかったものの、ゆるい支配関係が継続していたことを記憶しています。

影では夫への恨みが消えず、男で失敗したものは男で取り返さなければと、出会い系サイトにアクセスしては見ず知らずの男性と会うことを繰り返し、無惨な日々を送っていたのです。

もはや策は尽き果て、あとはもう屍のように生きていくしかないのかと絶望していた矢先に、今のカウンセラーに出会いました。

彼女は、私の凍りついた心を少しずつ時間をかけて溶かしてくれました。私の惨めな人生に寄り添い、私の病気をゆっくりと癒し始めたのです。

カウンセリングを始めて3年くらい経過した頃に、私はふと課長のことを思い出し、初めてぽつりと呟きました。彼女はその呟きを聞き逃しませんでした。

私が「ただの不倫、忘れなければ」と捨て去り、意識の外側へ追い出して、自分でも徐々に曖昧な記憶に成り果てていっていた頃のことでした。

課長とのことがただの不倫ではなく、継続された性暴力であったことに初めて気付いたのです。

私の意思による恋愛ではなく、雇用関係であることをダシに行われたパワーハラスメント、セクシャルハラスメントだったのです。

私の及ばない文章表現では、やはりただの不倫だったのではと疑われるかもしれません。けれども、私の中では何かしらの納得がありました。なぜ好きでもないのに好きになった気がしたのか、なぜ嫌なのに抵抗できなかったのか、なぜあんなに整髪料の匂いが気持ち悪かったのか……まるで魔術から解かれるように、氷の壁が崩れるように……それまでの自分自身が壊れていきました。

なんだったの、あの長い時間は。なんだったの。私は激しく混乱しました。あまりのショックに、定かではない記憶がさらにおかしくなり、いきなり気管支炎になったり、身体の変調が起こりました。

カウンセラーからは、新たに「複雑性PTSD」という病名が与えられました。

そこから、徹底的に性暴力にフォーカスを当てたカウンセリングが始まりました。

同時に私の長年のモヤモヤとした気持ちは、課長への明確な恨みと変わっていきました。私の人生はあの男に奪われた、あの男にめちゃくちゃにされたのだと。病気になったのも、結婚の失敗も、さまざまな苦しみも何もかもがあの男のせいで。どうすれば。どうすればいいのか。私は課長を知る何人かの友人に、課長の悪事を暴露して回りました。自分の個人情報なんて、どうでも良かったのです。皆が私を信じ、共に悲しんだり、共に戦おうと言ってくれたりしました。

一方で、ゆっくりとカウンセリング治療は進んでいき、長い時間をかけて私は落ち着いていきました。しかし、時折起こるフラッシュバックは私を苦しめました。

そんなとき、ある友人が私の知らない場所で、課長のセクシャルハラスメントを暴露するという出来事が起こってしまいました。

私の知らないところで私は時の人となり、課長と同業の人たちは噂を始めました。全ては私の知らないところで、話は進んでいきました。カウンセラーにも間に入ってもらい、話はどんどん大きくなりました。

私自身が関係者に詳しい話をすることになったりしたことで、再びのフラッシュバックに苦労しつらい思いをしましたが……その課長は処分を受けたのです。私が満足できるレベルのものではなかったけれど、公の処分がなされました。私の願いは叶いました。

それなのに、私は自分自身を責めました。被害者は私なのに、加害者が然るべき目にあっただけなのに、私が彼を陥れたのだと自責し、私は再び病んでいきました。

その結果、睡眠薬をたくさん飲んで、自殺未遂を起こしてしまったのです。

幸いすぐに救急車で運ばれて、何事もなく退院してきたのですが、私はそれほどまでに課長とのことが自身を蝕んでいたのかと、改めてショックを受けました。

その後もずっと、ゆっくりとしたペースでカウンセリングは続いています。

私の症状は少しずつ回復していますが、今でも時折現れるフラッシュバックに苦しみ、課長が出てくる夢に難儀しています。それでも、確実に回復していると感じているのです。

このまま治療を続けていけば、いつかはきっと元気になれる。そう信じて、私はもう自殺未遂なんかしないで、生き抜きたいと思っています。

いつかは必ず元気になる、いつかは必ず自分自身を生きることができる。あのとき、人生を奪われた私。でも、死んでしまわなくて良かった。何度も何度も死にたかったし、実際に病院にも担ぎ込まれましたが、帰ってきて良かった。そう思っています。

何人の人が、この体験談を読んでくださるのかわかりません。たった一人かもしれない。ゼロかもしれない。それでも、私には書く必要がありました。ここに、人生の半分以上を性暴力で苦しめられた人間がいる。そのことを、書かせていただきたかったのです。

私は私を取り戻したい。
それができると、信じて。


【執筆者】
ローズティー

【プロフィール】
複雑性PTSD、それよるうつ状態、躁うつ症状
精神科通院とカウンセリング継続中。病歴20年以上。


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2件のコメント

みしゅ 返信

涙が出そうになりました。書いてくれてありがとうございます。

ローズティー 返信

読んでくださってありがとうございます。
書くことによって問題を客観的に見ることができました。

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