「理由がないのに死にたい」は病気の症状かも

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幸せなはずなのに死にたい、ということがある。

「幸せなはずなのに」というのは、周りの環境のことだ。親は毒親ではないし、トラウマ的な出来事もないし、収入的にも満足しており、趣味があり、余暇があり、人間関係も問題ない。なのに死にたい。

一般的に、「死にたい」と思うのは「何かつらいことがあるからだ」と思われている。普通の人はつらいことがないと「つらい」という気持ちが起こらないのだ。しかし精神疾患の症状の中には、「つらいことがないのにつらい」ということが起こりうる。それは、脳内物質の乱れによるものだ。

脳がつらい状況にある時、「恵まれているのにそれでも死にたいと思ってしまう自分」を責めてしまう傾向があるが、これは病気の症状であることを強く意識し、様々な処方薬を試す方が良い。

自分は双極性障害で、うつの時は現実がどんな状況であっても絶望的な気分になっていた。

現実につらいことがある時期は「この鈍った頭では今のつらい現状を変えるための解決策を思いつくことはできない。自分は永遠に苦しみ続ける」と思い、

現実につらいことがなかった時期は「現実は充実しているはずなのにそれでもつらい、実際に解決すべき事象があるなら対処のしようもあるが脳が狂って不幸の形になってしまったからこの地獄の気分からは抜け出すことができない。自分は永遠に苦しみ続ける」と思っていた。

しかし自分に合った処方(自分の場合はデパケン600mg、トリプタノール10mg)に変わってから、ピタッとつらさがなくなってしまった。今、自分は寛解状態にあると思っている。

前までは「自分の死因は自殺だろう」と確信していたが、今では「事故に会わなければ自分には老後がある」と自然に思うことができたし、人と結婚したり、長期の住宅ローンを組む人の気持ちがわかるようになった。

死というのはこの世の全ての人にとってつらい。なぜならこの世には文字通りの生存バイアスがかかっており、死よりも生の方が良いと思う人しかいないからだ。死んだ方が楽しく過ごせた人の意見は、この世では見ることができない。

もしあの世に行った人にインタビューしたら、ブラック企業に務めていた人が「やめて良かったです!」と言うのと同じように、「生きるのマジつらかったんで、思い切って死んでみて良かったです!」と言う人もいるだろう、と思うことがある。

脳から来る「死にたい」という気持ちを抱えながら生きることがまさに生き地獄だということは、自分の経験から本当に本当に良くわかる。だから私は、人が自殺した時、「本当によく耐えたね。お疲れ様」と思うことがあっても、「なぜ自殺したんだ。生きてればいいこともあるのに」とは思わない。

ただ、「生きるべき」と「死にたいと思ってしまう自分」の狭間で悩んでいる人には、「薬を見直してみたら生きやすくなるかもしれないよ」と言いたい。

現代精神医学はまだまだ発展途上で、自分に合う薬を探すには自分の身体を使った人体実験しかない。現実世界につらいことがないのに「死にたい」という気分が晴れないということは、まだ改善の余地があるということだ。どうか色々な薬を試してみてほしい。



【執筆者】
液体人間 さん


【プロフィール】

野球好き。メンタル問題として双極性障害あった自分合った薬見つかったため今寛解状態。

twitter : @liquid_person


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