精神疾患を理解してくれない家族の話
昔から「生」を見出だすことが出来ず、生きるための闘争本能もいつの間にか失っていた。
死にたいと思いながらも死ぬことも出来ず、毎日生きるのが面倒で、お風呂に入ることも、食事も、トイレさえも面倒と思う日々だった。
ある日、SNSでこんな言葉が流れてきた。
「骨折したら整形外科に通うように、心が折れたら精神科に行く。目に見えないだけであって、病院に行くことがそんなにおかしいのだろうか」
文章はうろ覚えで正しい文面ではないかもしれないが、私はこれを見て確かに感銘を受けた。
パニック障害を患った友人も身近におり、精神科というものが少し身近に感じられた私は直ぐに精神科に向かった。
仕事が上達しないことへの焦り、
上司から求められる仕事が出来ない負い目とプレッシャー
人一倍覚えが悪い、理解が出来ない。
精神科に行ったときは、正に私が精神的に疲労しきっていた時だった。
診断内容はうつ病だった。
元々その気はあると自覚しながらも、いざ診断書を見ると戸惑いを隠せなかった。
それでも、こんな酷い有り様の自分を治せるいい機会だと思い、また薬で治療できることにも安堵していた。
問題は家族へどう伝えるべきかだった。
母親は頑固親父の塊のような人で、仕事が出来る人間。
仕事の出来ない人の気持ちが理解できない人だった。
「鬱は甘えだ」と言うような典型的なひとだった。
言いづらい思いを抱きながら、いずれは言わなければならないことだと、決意して伝えると案の定、母は理解を示さなかった。
「何で○○クリニックへ行ったかな!?あそこは簡単にうつ病と診断するから嫌いなんだよ!!」
扉を挟んで聞こえる怒号に、私は思わず涙を流した。
何だかんだ言いながらもきっと自分の病気を理解してくれると、微かに抱いていた希望は呆気なく砕かれ、同時に、誰かに助けてもらおうと思っていた自分の甘えに気がついた。
「自分を救えるのは自分しかいない」
人を頼るのを止めた瞬間だった。
病院を変え、別のクリニックの神経科に行くと、うつ病とは診断されなかったが、向精神薬の投薬は継続した。
あれから1年、時が経った。
こんな自分は人間の底辺だと思いながら、それでも生きている。
この記事を読んでくれる人の中には、私のように自分自身を否定してしまう人もいるだろう。死にたいと思う反面、本当は生きたいと矛盾した考えを抱いているかもしれない。
でも「死ねない理由」以外にも「生きている理由」がきっとあるはずなのだ。
迷い、戸惑い、生きるのが辛い人に私が感銘を受けたこの言葉を伝えたい。
「自分を許せる自分を作りなさい」と。
【執筆者】
有栖 さん
【プロフィール】
ADHDと診断され治療中の20代社会人。仕事が出来ない悩み、堕落した生活、それでも這いつくばって生きております。
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