本当に「もう働ける」? 双極性障害の回復期にやらかした僕の話
こんにちは。「僕の人生、フリー素材」そんなモットーの元に経験談をしたためています、リダ(鳥居テル)です。
今日は「社会復帰」について書いていこうと思います。
おそらく、これを読んでる方の3割くらいは、自分の精神疾患に気づいていて、学校やお仕事をお休みして療養されてる層だと思います。僕もその1人でした。
この療養期間って、とっても大事です。本当に。
精神がもう限界に達してもなお活動し続けたあとって本当に疲れてますので、休息を得ることを久々にした感じがします。そしてたいてい1人になるので、自分を見つめなおす期間にもなるんですよね。
そしてそれから少したつと、そろそろ働こうかな?って気持ちになってきます。
「最近薬で(躁)鬱が落ち着いたな! お金もそんなにあるわけじゃないし働くか!」
「パニックの発作も減ったし、頓服を飲むこともなくなったな。これならもう戻れるかも」
こんな風に思って、アルバイトに応募したり復職したりするんです。
でも、ちょっと待ってください。
それ、本当に症状収まってますか?
「働ける!」といざ社会復帰すると、治ってない事に気づく。
僕はかつてメンクリで診断を受けた4ヶ月後に専門学校を休学しました。それから1ヶ月半、家や恋人の家でだらだらする日々が続きました。ずっとできてなかった創作活動や、いろんなことをやりました。すると、びっくりするぐらいすぐに気持ちがフラットになり、パニックの発作もなくなりました。
そうすると、趣味はできるようになったから、今度お金が欲しくなる。つまり働こうという意欲が湧いてくるんです。「もうこれだけ動けるし、働きたい!」と。
でも、片田舎の求人でいいところが見つからず、僕は時給の良い、某うどんチェーン店に応募しました。
面接に行って気づく「こうじゃない」という違和感。
応募がすんでいざ面接に行くと、店長にこう言われました。
「週3,4希望なら、『週4、12時から18時』のシフトでどうかな?」
今なら「ムリムリ!」といえるんでしょうけど、そのときの僕は言いたいことを飲み込んで「はい」と言いました。
僕の本当の希望は、早朝の仕込み・開店準備から昼終わりくらいまでの4時間くらいでした。理由は2つあって、
・早起きを習慣化したい
・やたら忙しいの長時間は避けたい
という風に思っていたからでした。
でも、まだ寛解(回復)していなかった僕はうまく主張できず、言われた通りにしてしまいました。
まあまず、復帰一発目が重労働ってバカ以外の何者でもない、と今なら思います。
いざ働いてみると、どんどんダメになっていきました。
いざ出勤してみれば、楽しいこともありました。職場のひとも良く、メンタルボロクソの僕をたくさんフォローしてくれるホワイト職場でした。でも、やっぱり激務をこなせる余裕は僕には心身共になかったんです。
まず、趣味の創作に手が伸びなくなりました。アレ?小説書きたいけど書けない……って感じです。
そのあと、気分の上下が激しくなりました。そして、憂鬱な時期が増えました。
パニック発作を久しぶりに起こすようになり、ずっとしていなかった自傷行為が脳内をよぎり、気づけばカッターを手にしていました。
約一ヶ月でここまで戻ってしまいました。本当にびっくりです。
そしてついに、事件が起きました。
薬が増量された次の日に、副作用と思わしき低血糖症でバイト中にダウンしてしまいました。
その日はとても眠かったのを覚えています。薬のせいだろうな、とは思いましたがそこまで気に留めませんでした。
それから出勤して2時間くらいで空腹感を覚えました。
「ギリギリにお米食べたのになぁ」と思いました。
出勤から3時間後、口が異様に渇いてきました。ここで「もしかしてお薬?」と気づきはじめました。
そして出勤から4時間半頃、頭痛・吐き気・脱力感・悪寒に悩まされ、ついにダウンしました。
副作用だ、と思って、僕はかかりつけ薬局と主治医に電話しました。服用は中止しすぐに受診するように言われました。
考えてみたら、この薬をこの量で服用して働いたことなかったと、家に帰って落ち着いてからふと思いました。
「ビプレッソ150mgでやったことって、せいぜい学校に行ったくらいじゃん」
そう、この量になってからこれだけのストレスや活動量を経験してなかったんです。
そうして僕は思いました。「ああ、まだ治ってなかったんだ」と。
いうなれば、僕はまだ『治った/普通に働ける エリア』には達してなかったんです。
たとえば、心身の健康・元気度が-100から100まであったとします。
だいたい40くらいから普通に働ける、70くらいから健康的に働けるだとします。逆に、鬱に陥るラインを-10からとします。
僕はまだ30くらいに達しただけだったんだと思います。
ここは多分「無理しないと働けない」ライン。そこで僕は動いてた。そうして体を壊した。
心の健康を壊したら「無理して働く」なんてとても難しくて、できないんです。
だから「働ける!」と思っても、実際には上手く行かなかったんだと思います。
動けると思ってひとりで動くな、動けなくても焦るな。
あんまりまとまってなくて申し訳ないんですが、最後に。
回復した!動ける!って思ったとき、それ本当ですか?
本当に回復しましたか?
もちろん寛解してなくても、うまく付き合いながら働く方法もあります。
でも、その術を本当に身につけましたか?
ちゃんと、小さなことからはじめてください。
コツコツできることから増やしてください。
そして、いざ!と思って動いたとき、「ダメだ」とか「まだ治ってない」と思ったらすぐにバックしてください。
それでは皆さん、主治医やサポートしてくれる周りの人の意見を大事に。
ハッピーメンヘラライフを!
以上、大失敗をやらかした僕でした。
【関連記事】
・「早すぎた復職」がもたらした自殺未遂 私のリワーク失敗記
・うつ病休職からの「ダメ元」リワーク勤務 結果は退職、でも後悔はない
【執筆者】
リダ(鳥居テル) さん
【プロフィール】
機能不全家庭で育った、専門休学中の20歳。父は母との生活を苦に自殺。双極性障害(躁鬱)、発達・自閉の傾向、パニック障害 と診断。
twitter : @toriitell
note : https://note.mu/ubiquitous67
今日は「社会復帰」について書いていこうと思います。
おそらく、これを読んでる方の3割くらいは、自分の精神疾患に気づいていて、学校やお仕事をお休みして療養されてる層だと思います。僕もその1人でした。
この療養期間って、とっても大事です。本当に。
精神がもう限界に達してもなお活動し続けたあとって本当に疲れてますので、休息を得ることを久々にした感じがします。そしてたいてい1人になるので、自分を見つめなおす期間にもなるんですよね。
そしてそれから少したつと、そろそろ働こうかな?って気持ちになってきます。
「最近薬で(躁)鬱が落ち着いたな! お金もそんなにあるわけじゃないし働くか!」
「パニックの発作も減ったし、頓服を飲むこともなくなったな。これならもう戻れるかも」
こんな風に思って、アルバイトに応募したり復職したりするんです。
でも、ちょっと待ってください。
それ、本当に症状収まってますか?
「働ける!」といざ社会復帰すると、治ってない事に気づく。
僕はかつてメンクリで診断を受けた4ヶ月後に専門学校を休学しました。それから1ヶ月半、家や恋人の家でだらだらする日々が続きました。ずっとできてなかった創作活動や、いろんなことをやりました。すると、びっくりするぐらいすぐに気持ちがフラットになり、パニックの発作もなくなりました。
そうすると、趣味はできるようになったから、今度お金が欲しくなる。つまり働こうという意欲が湧いてくるんです。「もうこれだけ動けるし、働きたい!」と。
でも、片田舎の求人でいいところが見つからず、僕は時給の良い、某うどんチェーン店に応募しました。
面接に行って気づく「こうじゃない」という違和感。
応募がすんでいざ面接に行くと、店長にこう言われました。
「週3,4希望なら、『週4、12時から18時』のシフトでどうかな?」
今なら「ムリムリ!」といえるんでしょうけど、そのときの僕は言いたいことを飲み込んで「はい」と言いました。
僕の本当の希望は、早朝の仕込み・開店準備から昼終わりくらいまでの4時間くらいでした。理由は2つあって、
・早起きを習慣化したい
・やたら忙しいの長時間は避けたい
という風に思っていたからでした。
でも、まだ寛解(回復)していなかった僕はうまく主張できず、言われた通りにしてしまいました。
まあまず、復帰一発目が重労働ってバカ以外の何者でもない、と今なら思います。
いざ働いてみると、どんどんダメになっていきました。
いざ出勤してみれば、楽しいこともありました。職場のひとも良く、メンタルボロクソの僕をたくさんフォローしてくれるホワイト職場でした。でも、やっぱり激務をこなせる余裕は僕には心身共になかったんです。
まず、趣味の創作に手が伸びなくなりました。アレ?小説書きたいけど書けない……って感じです。
そのあと、気分の上下が激しくなりました。そして、憂鬱な時期が増えました。
パニック発作を久しぶりに起こすようになり、ずっとしていなかった自傷行為が脳内をよぎり、気づけばカッターを手にしていました。
約一ヶ月でここまで戻ってしまいました。本当にびっくりです。
そしてついに、事件が起きました。
薬が増量された次の日に、副作用と思わしき低血糖症でバイト中にダウンしてしまいました。
その日はとても眠かったのを覚えています。薬のせいだろうな、とは思いましたがそこまで気に留めませんでした。
それから出勤して2時間くらいで空腹感を覚えました。
「ギリギリにお米食べたのになぁ」と思いました。
出勤から3時間後、口が異様に渇いてきました。ここで「もしかしてお薬?」と気づきはじめました。
そして出勤から4時間半頃、頭痛・吐き気・脱力感・悪寒に悩まされ、ついにダウンしました。
副作用だ、と思って、僕はかかりつけ薬局と主治医に電話しました。服用は中止しすぐに受診するように言われました。
考えてみたら、この薬をこの量で服用して働いたことなかったと、家に帰って落ち着いてからふと思いました。
「ビプレッソ150mgでやったことって、せいぜい学校に行ったくらいじゃん」
そう、この量になってからこれだけのストレスや活動量を経験してなかったんです。
そうして僕は思いました。「ああ、まだ治ってなかったんだ」と。
いうなれば、僕はまだ『治った/普通に働ける エリア』には達してなかったんです。
たとえば、心身の健康・元気度が-100から100まであったとします。
だいたい40くらいから普通に働ける、70くらいから健康的に働けるだとします。逆に、鬱に陥るラインを-10からとします。
僕はまだ30くらいに達しただけだったんだと思います。
ここは多分「無理しないと働けない」ライン。そこで僕は動いてた。そうして体を壊した。
心の健康を壊したら「無理して働く」なんてとても難しくて、できないんです。
だから「働ける!」と思っても、実際には上手く行かなかったんだと思います。
動けると思ってひとりで動くな、動けなくても焦るな。
あんまりまとまってなくて申し訳ないんですが、最後に。
回復した!動ける!って思ったとき、それ本当ですか?
本当に回復しましたか?
もちろん寛解してなくても、うまく付き合いながら働く方法もあります。
でも、その術を本当に身につけましたか?
ちゃんと、小さなことからはじめてください。
コツコツできることから増やしてください。
そして、いざ!と思って動いたとき、「ダメだ」とか「まだ治ってない」と思ったらすぐにバックしてください。
それでは皆さん、主治医やサポートしてくれる周りの人の意見を大事に。
ハッピーメンヘラライフを!
以上、大失敗をやらかした僕でした。
【関連記事】
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【執筆者】
リダ(鳥居テル) さん
【プロフィール】
機能不全家庭で育った、専門休学中の20歳。父は母との生活を苦に自殺。双極性障害(躁鬱)、発達・自閉の傾向、パニック障害 と診断。
twitter : @toriitell
note : https://note.mu/ubiquitous67
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