サバ缶の「DHA」によってADHDの症状が落ち着いた私の話
あれほど意識して止まなかった希死念慮は彼方へと遠のき、限りなく生が自明となった毎日を生きている。生きることが当然、という感覚に対するおぼつかなさは抜けきれず、ときたま、天の境目を歩いているような浮遊感におそわれる。
その感覚の別称も知っている。幸福だ。わたしはこの2年間、薄らぐことのない幸福のなかを生きてきた。そしてこれからしばらくも、その浮遊感とともに過ごしていくだろう。
発達障害といっても、程度としてそこまで重いものではなかった。何らかの支援を必要とすることもなく、大学までは進学することができた。しかし幼少の頃の嘘や盗み癖、カンニング癖や、親戚の子を階段から突き落とすような衝動性、年の離れた妹へ過剰に手を上げるといった易怒性などは、常軌を逸していた。
ピアノ教室で練習をせず叱られるのもひとりだけだったし、バレエ教室で集中できずにふざけていたのもひとりだけだった。中学、高校と上がるにつれて盗みとカンニングはなくなったが、それ以外の特性はずっと有していた。
自分の異常性を自覚し始めたのは、大学生になりアルバイトを始めてからだった。どのバイト先でも使えない人間として評価され、逃げるようにバイトを変える、ということを繰り返しながら、どこかおかしいと感じていた。
今振り返れば、高校生の頃から周囲から浮いた存在ではいたのだ。運動部のマネージャーとしてあまりにも不能で、周囲について行くことが精一杯だった。与えられた仕事をこなすのはおろか手を煩わせることばかりで、顧問や部員たちの呆れ果てた眼差しや溜息に萎縮しながら毎日を過ごしていた。
ずっと自分の甘えのせいだと思って生きてきた。毎回遅刻してしまうのも、何かを忘れてしまうのも、ぎりぎりまで物事に手がつけられないのも、段取りが悪いのも、我慢ができないのも、すべて。
自分が周囲からして異質な存在だと認めたくなかった。普通でいたくて、普通になりたくて、自分に絡みつく異常性を振り払おうと必死だった。しかしどんなに変わろうと決意したところで変われることは決してなく、しっかりするということは絶望的にできず、いつまでも怠惰でだらしがなくて、そんなクズ過ぎる自分の存在を圧し潰そうと自責に自責を重ねる、その繰り返しだった。
発達障害という存在は知っていた。妹が診断を受けていて、妹の行動は過去の自分を見ているようだったし、自分もそうだとは感じていた。けれど障害と性格の区別がつかず、自分の場合はずっと怠けているだけだと思っていたために薬に頼るのも甘えだと思っていたし、また心のどこかで、薬を飲むことは自己否定だと思っていた。プライドが邪魔をしていた。どれだけ周囲との隔絶を感じていても、自分ができないのは意志が弱いからだ、やろうと思えばできるはずだ、という考えは抜けなかった。
そんな人生は、ある日急展開を迎える。ひょんなことをきっかけに、脳に良いとされるDHAを摂るべく鯖缶を食べ始めたのだ。ネットで箱買いしたものが届いた日から、一日一缶。効果は3日で現れた。
劇的だった。まず朝起きる苦痛がそれまでの半分以下になり、自然と遅刻することがなくなり、気づけば先々の予定を踏まえた日程が組めるようになっていた。すべてが無意識だった。自分で動こうとしなくても、勝手に頭に考えが浮かび、行動に移している。信じられないことだった。スーパーマンにでもなったような気分で、こんなにも物事がすいすいと進んでしまうことが夢のようで、あまりのよろこびに泣きそうになるのを抑えながらの毎日だった。
それでもだんだんと気づいていった。そうした脳のはたらきを当然のこととして享受する友達や周囲の姿と、どれほどDHAを摂取したところで彼らと同等になることはできない自分の能力の限度。その残酷さは、どれだけ目を逸らそうとも明らかだった。それからは、ながい葛藤のなかに沈むことになる。
そして今日でも、そうした葛藤から完全に抜けきることはできていないのだが、それでもそれを上回るほどの幸福のなかにいることに変わりはない。現在は、過去のバイトのなかで多少はましだった接客業を選び、なかでも会計や発注といったミスのできない作業や、自分が苦痛に感じやすい営業行為のようなものが少なそうなマッサージ業に就いている。
今の職場でも相変わらず仕事が出来ないという評価ではあるものの、その程度は正常の範囲内で収まり、職場の人たちとも良好な関係のなかで仕事を楽しみ、休日には遊びに出掛けるといった、充実した日々を送っている。
ながいながい絶望だった。仕事ができない、お金が稼げない、生活できない、死ぬしかない。そんな言葉たちがぐるぐるとうごめく暗闇で、しかし光は突然現れた。ずっと生きた心地がしなかったし、それでいて生きていたくなかったし、病や災害のなかでも生を望むひとびとの気持ちが知れなかった。生きることはこんなにもつらくて苦しいのに、こんなにも労力が要ることなのに、どうして生きたいと願うのだろう、どうして死にたいと思わないのだろう。そうした長年の疑問は、普通に近い生活を得た今になって、ようやく理解できるものとなった。
普通のことが普通にできる。当然のように生きられる。それは2年経った現在においてもなお、果てなくつづく奇跡としてわたしの日常のなかを散らばっている。
ーーー
※現在では鯖缶は食べていません。サプリメントの摂取(DHA・EPA、ブルーベリー、ホスファチジルセリン、DMAE)で脳の状態を保つことができています。
【執筆者】
淡 さん
【プロフィール】
数年前に鯖缶の多量摂取により発達障害(ADHD)特性がみるみる緩和されて愕然としました。現在ではいわゆる普通の生活を送れています。
ツイッター: @Schrift00
ブログ: http://blog.livedoor.jp/schrift00/
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