「他人の目線」が気になるひとへ

コラム 芋虫

日本には恥の文化というものがあります。

人様に見られたら恥ずかしいといった感情は多くの日本に住み、日本の文化に染まっている方ならばまず間違いなく感じているのではないでしょうか?

この感覚は子どもの頃から植え付けられてる気もします。私も子どもの頃からたびたび周りと比べられて「〇〇さんあんなにすごいんだからあなたも頑張りなさい」的なことを母からよく言われたものです。

余談ですが、私が「〇〇さんが〇〇してたよ。だから私も〇〇したい。」というと母は「よそはよそ、うちはうち」と言います。子どもながらになんだこの矛盾はと思っていましたが、当時の私には大人に矛盾を正しく伝える能力に乏しく、ただ母に言いくるめられて終わるとことを繰り返したものです。このような大変都合のよろしい解釈は私にはどうもしっくりきません。

さて本題に戻ります。

そもそも「周りの目」ってなんでしょう。

字義通りに捉えた身体の部位の目ではなく、他者の目線ということですよね…

目線ですか…難しい…

外に出ると周りの目線を感じるという方がいらっしゃいます。しかし、目線を感じたとしても、それは果たして本当に「見られている」のでしょうか?

この問いには周りから見られているとも見られていないとも答えることができるでしょう。

なぜならば、見られているかどうか決めるのは自分自身であるためです。

自分で見られていると思えば実際見られていない場合も見られてると判断し、心身に影響します。見られていないと思えば、実際見られていても落ち着いて行動できます。

果たしてあなたはどうでしょうか?

周りの目が気になりますか?

どうしても気になる方へ、伝えられればと思うことがあります。

 

場面1 外ですれ違う人

ほとんどだれも見ていないとは思いますが、世の中いろいろな方がいるので本当に見ている方もいるかもしれません。見ている方も理由は様々でしょう。見られていると思うならば、肯定的にとらえてみましょう。そもそも気にすることはありません。私のことはだれも見ていないと思い込むのも悪くないように思います。

 

場面2 知り合いや友人、家族

あなたのことを見ていることは考えられます。ですが、全く気にする必要はありません。自分以外の誰もがあなたの人生に口出しする権利はありません。自分に関係のある人物は干渉が容易な点が大変です。ですが干渉されたところであなたがどのように考え、行動するかは自由です。どうか周囲の目が気になること由来で様々な挑戦や取り組みたいことをやめず自分のために人生を送ってほしいものです。

周りの目という形で自分に悪影響を及ぼす対象を受け入れる必要などありますか?ありませんね!そしてその対象たちは、何かあってもあまり助けてくれない場合が多いです。助けてくれない人たちに遠慮する必要はありません。

 



【執筆者】
芋虫 さん

【プロフィール】
発達が非定型な学生。
二次ってましたが何とか寛解しつつあります。
興味関心赴くままに生きています。

Twitter : @n70nn7

note: https://note.mu/lmomushi


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1件のコメント

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目線目線言ってるけど視線な

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