メンヘラをやっているうちに医者になってしまった話

体験談 自閉症スペクトラム 自傷行為 御行

僕は、メンヘラをやっているうちに医者になってしまった人間である。

昔、自分は20歳になる前に死ぬだろうと思っていた。

詳細な理由は割愛するが、10歳になるかならないかくらいのころには、僕は漠然と「死にたい」と思うようになっていた。思春期に入ると、コミュニケーションの苦手さや、個性的な体の動かし方や、頻繁にキョドることなんかが影響してか、軽いいじめに遭ったりもした。

自分が人とうまくやれないことに気づき始めた僕は、更に死を意識するようになった。教育熱心すぎる親との関わりも、死にたさに拍車をかけていった。

「なんで僕は人と仲良くすることができないんだろう。なんで僕は、楽しく過ごすことができないんだろう。これ以上生きててもなんにもならない。でも今死んだらそれはそれでなんにもならない。何かしてからなるべく早く死にたい」

10代後半にはそんなことを考えていたと思う。死にたさをやり過ごすために、手首にちまちまと傷をつけることが習慣になった。

幸か不幸か、僕はわりと成績がよかった。

特に希望もビジョンもないままに、僕はなんとなく、医学部に入った。

大学に入ってみたら、僕と同じようなコミュニケーションのとり方をする人がちょこちょこいることに気づいた。そう、自閉症スペクトラムの仲間たちである。

理解できる人がいる大学生活は、それまでの人生に比べれば楽しかった。普通の人たちと当たり障りのない会話をする能力もある程度は身に着けた。恋人もできた。異性関係が安定しなくてクソみたいなことに何回かなったが、それはまた別の話だ。

そんなわけで、気づけば20歳を超えていた。でも、生きていてもしょうがないという感覚は消えなかった。自分の首を締めてみて、苦しくなってやめたりした。風邪薬をたくさん飲んでみて、「アセトアミノフェンで肝臓やられたら嫌だな」と思ったりした。酒やタバコに走ったりした。最終的には、腕を切ったり脚を切ったりして死にたさをやりすごすのが定番になった。

「大学を卒業する前にはうっかり死ぬんじゃないかな」と思っていた。

でも、なんか生き延びてしまった。あと、医師免許も手に入れた。

働き始めてから、考え事をする暇は減った。僕の場合、暇すぎると考え事をして死にたくなりがちだ。ある程度忙しくしていると、低め安定くらいの調子でいられる気がしている。かといって忙しすぎると倒れる(何回か倒れた)。バランスが難しい。

今も、自分が生きていてなんになるのかはわからない。生きづらいし、「死のうかな」と思うことも多い。でも、今死んだら患者さんとか同僚とか上司とかに迷惑かけるだろうと思って踏みとどまっている。

最近は、死にたくなったらとりあえず辛いものを食べることにしている。ハームリダクションのつもりだ。酒はまだやめられない。タバコは電子タバコに替えた(本当にハームリダクションできているかは知見が少なすぎてよくわからない。個人的には副流煙を撒き散らすよりはマシだと思う。知らんけど)。

やっぱり腕とか脚とかを切るときもある。まあそれはそれで仕方ないとも思っている。

僕は、死にたいと思い続けながら、なんだかんだ生きていくのだろう。

生きるために仕事をしながら、一部の医療者がメンヘラに対してあまりにも酷い態度をとることに対して、ときどきブチ切れたりもするのだろう。

僕には、メンヘラが生きづらい世界を変えることはたぶんできないけれど、せめて、メンヘラの側に居られる医者でありたい。



【執筆者】
御行 さん

【プロフィール】
ASDベース、抑うつ気分と希死念慮とボーダー的行動パターンとは長い付き合い
肉好き野菜嫌い。ボールペンをなくしがち。


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2件のコメント

水無瀬 返信

はじめまして、メンヘラs/oの医学生の水無瀬と申します。私はまったく将来が描けず悩んでおります。そのため、参考にするべくお伺いしたいのですが、御行先生は初期研修中でしょうか。何科をご希望ですか。

御行 返信

水無瀬さん
コメントありがとうございます、しばらく自分の記事を見ていなかったもので返信が遅くなり申し訳ありません。
初期研修は終えております。診療科は伏せますが、手技が少なくて(自分は動作の正確性と速さを両立するのが難しいので)、持続可能な就労と自分の興味を両立できる科を選んだつもりです。

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