生きるのが面倒くさい

コラム 希死念慮 ちひろ

生きるのが、まじで、だるい。

生きるのにまつわるすべてが、途方もなく、めんどくさい。

やりたいことはないのに、やらなきゃいけないことは余りに多い。ただただ生きてるという状態を維持するのに、ものすごく色んなことをやらなきゃいけない。労働、通勤、家事、人付き合い、あいさつ、歯みがき、お菓子のパッケージをあけること、落ちたものを拾うこと、電気つけること、息を吸ったり吐いたり、もろもろ。

それらをしてまで手に入れたいなにかなどない。

手に入るのは望んでない薄っぺらい生だけ。

 

この世界が醜い。

社会が醜い。

人間が醜い。

この世界を感知して、苦しみを生み出す自我が醜い。

自分の脳が醜い。自意識が醜い。

希望を持つといったところで、そんな醜さの塊のなかから何を見い出せばいいのかわからない。すべてのものに価値がない。

この世に生まれたのは自分の意思じゃない。それは地球上のすべての生き物に当てはまる事実だ。だから、その中で、この世界に価値を感じられず、生きていたくないと思う個体が発生するのは何ら不思議なことではない。何世紀もの間、生きることの無意味さ、無価値さはそういった個体たちを悩ませ、そのなかの何割かを殺してきたのだろう。そんな生の無意味さ、無価値さがいち個体である私の肩にそのままの重さでのしかかる。

それでもいま生きてるのは、自ら死ぬのが苦痛だから。それだけだ。

すすむのもしんどい、とまるのもしんどい、もどることはできない。

そんな生という理不尽ゲームが早く自然消滅するのを願っている。

最近は、自分は50歳で死が訪れると思うことにしている。ダラダラ薄っぺらい無意味な生が平均寿命まで続くと想定すると気が滅入る。50歳まで生きるとすると今は折り返し地点に近い。ゴールが見えていると思えば生きられる気がする。あと半分の生を乗り切ったのち、解放されたい。



【執筆者】
ちひろ さん

【プロフィール】
自分が元メンヘラなのか現メンヘラなのかわからない20代。
精神科への通院はやめ、いまはたまにカウンセリングのみ。今でも抑うつや不安が発生する。


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