12歳で脳梗塞で倒れたあとの私の人生

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私は12歳の時に脳梗塞となった。

二度の手術とリハビリを経て何とか小学校に復帰するものの、小学生の時は退院後に私の面倒を見る事になった担任からイジメを受け、中学校ではクラスメートからイジメを受けた。

それまでは男子からイジメを受けていたので女子高に進学したが、女子のイジメは男子よりもえげつなく学校は休みがちだった。それでも何とか短大へと進学し、卒業後、障害者枠で就職。

最初は順調に勤務していたが、途中からパワハラを受けるようになった。耐えきれず退職後、就労支援A型施設に通い初める。しかし、そこで女性利用者につき纏われるようになり、スタッフに対処を求めるも「付き纏われるような事をした貴女が悪い」と言われ結局私が退所した。私は施設が終わった後、駅ビルに入っている店舗を見て時間を潰していただけなのだが何が悪かったのか未だに分からない。

退所手続きをする際に、今までの怒りを爆発させた私はスタッフへ怒鳴った。

めちゃくちゃに怒鳴った。私は病気になってから誰かに怒りを覚えるという事が無かった。それは母親が私を付きっきりでサポートしていたからだと今なら分かる。

母親は私が一番最初の就職をして暫くしてから病死した。唯一の理解者を喪ってからの私は怒りを爆発させやすくなった、不眠にもなり気持ちが沈み込む東日が増え、精神科にも通った。

その後、誰もが名を知る大手企業に障害者枠で再就職。当時私は父親に給料の9割を奪われていて働かなければ自分の支払いが出来なくなるのでとにかくお金が欲しかった。しかし大手企業で配属されたのは女性が多い課で、高次脳機能障害の症状の一つである記憶障害や遂行機能障害をじわじわ発症し始めていた私はまたもパワハラを受ける。

自分では一生懸命働いていたつもりだが周りにはそうは見えなかったらしくある日、昼休憩に行く為に荷物を取りに行ったロッカー室で「仕事出来ない癖にご飯食べるの?給料泥棒」と罵られた。そこも辞めた。

その後、就職する度にパワハラを受け続け、最終的にB型施設へと通う事を決めた。そこで自分が高次脳機能障害ではないかと思い至り対処法を考え始めるが、症状が落ち着いた頃、B型施設からA型施設へ行け、と追い出される。

A型施設ではまた利用者から付き纏いを受け、同系列の別の施設へと移動した。最初こそ仕事(配送系の作業があった)を貰えていたものの、そのA型施設に優秀な利用者が入所して来た途端、仕事の殆どを入所してきた利用者へやるよう指示し、私も仕事したい旨を伝えると「あれは仕方なく与えていただけ、腕が動かない貴女にやらせる仕事は無い」と言われた。

その施設に在籍中に今の旦那と知り合って入籍したのだが、入籍した直後スタッフから「妊活する為にも辞めたら?」と何度も言われるようになった。結局そこも利用者とトラブルになって辞めた。現在は専業主婦をさせて貰っているが、PMSが酷く月経の度に旦那に当たり散らしてしまうのが、自殺を考える程、辛い。

高次脳機能障害以外にもストレスを感じると自傷行為をしてしまうなどがあった為、精神科にも相談したが話すら聞いて貰えなかった。何を言っても「この間処方した向精神薬飲んで。次の予約は~」という感じだ。恐らくその病院の看護師に暴言を吐かれた際にクレームした事が気に入らなかったのだろう。

私は暴言を吐かれても黙っていなければならなかったのだろうか?

高次脳機能障害は世間への認知度が低いし、生きづらくて仕方が無い。

今の私の望みは人並みに仕事をしてお金を貰う事と精神面の安定だ。



【執筆者】
ころね さん

【プロフィール】
12歳の時、友人の家からの帰宅途中に脳梗塞を発症し、左半身麻痺と高次脳機能障害を患っています。


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