なぜ安楽死が合法化されないのか 「生きる」ことが大前提の苦しさ

コラム 死にたい 希死念慮 スナメリ

なぜこの生きづらい社会に適応してまで生きていかなければいけないのでしょうか。

しょうもない、長い文なので、気がむいたかただけ読んでくだされば幸いです。

先に要点を書くと、現状生きづらくてつらい、でもそのつらさを無くすためには努力が必要で、少しでも努力するくらいなら私はしにたい、そもそもこの社会で生きることが生きているすべての人に大前提として課されている普通の風潮を理不尽だと感じて腹立たしい、そう考える私は怠け者か、おかしいか、というお話しです。

私にとって生きることはそれだけでエネルギーを要することです、とくに一般的な努力をしていなくても。今は生きづらさを少しでも解消するためカウンセリングに通ってますが、そこでの方針は、意識して自分を責める思考をしなくする訓練をして、ネガティブ思考を直そうというものです。

結局、生きやすくなるためにも努力、エネルギーが必要みたいです。他にも、感情のコントロールとか、怒りや不安のコントロールとか、常に表面上は穏やかに居るとか、努力しなければこの社会には適応できないということは火を見るより明らかです。

私は、つらいのは嫌です。今はつらいです。だから、そこから抜け出そうと前は考えてました。でも、それにもエネルギーがいるんだと知ったとき、考えが変わりました。そもそも、生きるということが大前提なのがおかしい。気力があることが前提のこの世界で生きることを、なぜ選択肢もなく強要されなければいけないのか。

この社会で生きたいと望むなら、適応する努力をしなきゃいけないかもしれません。でも私は生きることを望んでません。努力してこんな世界に適応するくらいなら、死んだ方がましです。でも死ねません。親に死にたいくらいつらいと話したら泣かれました、死ぬのは痛いです、死ぬのは痛い。

なんで安楽死が合法化されてないのでしょうか、なんでつらくても気力がなくても生きていかなきゃいけないのでしょうか。社会で生きること=努力することとするなら、努力がどうしてもできない人のために死という選択肢があるべかだと考えてしまいます。それか、合法的なみんなが認めてくれる逃げ。死以外の、それでも努力しなくても自分のままでいても辛くない、そんな選択肢がどこかにないものでしょうか。

こう考える私はおかしいのでしょうか。



【執筆者】
スナメリ  さん

【プロフィール】
希死念慮の消えない大学院生もどき


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19件のコメント

ちい 返信

全くその通りだと思います。
「みんな仲良く」とか「自然は美しい」とか「生きることは素晴らしい」
とかって本当なのでしょうか?
せめて、退院して家も仕事もなくなっていたら、無理やり生き返らせないでも良いでしょう?
家も仕事も奪われなかったら、そこそこ生きてはいられたはずなのですが。

もし、「いつでも死ねる」安楽死法ができたら(というか無理やり生き返らせないだけでいい)、安心して生きていけるのに。

スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。
同じ思考の方がいると知り、少し安心できました。全く救いがないのに生きることを強制される社会、本当に疑問です。

どうか、ちい様も、ご自愛ください。

おき 返信

私も、まったくそのとおりだと思います

なんで安楽死って認められないのかな・・・
表面上の綺麗ごとなんてうんざりです

重い病気で生きたくても生きれない人のために
死にたいと希望する人を安楽死させてあげて
臓器提供とか出来ればみんなが幸せになれそうな気がするんだけど・・・

スナメリ 返信

肯定のコメントをありがとうございます。

楽になりたい人が生きたい人のためになる、まさに欠陥がないと思われるシステムですよね。
実現しない理由もわかる気はしますが、それでもそうならないかなぁ、と思います。

おき様も、どうかご自愛ください。

めん 返信

私も安楽死は合法化してほしい派です。
物心ついた頃から、身近に病気で苦しんでいる人をずっと見てきました。
家族にも負担がかかるし、苦しいから早く死にたいと言っていました。
死んで苦しみから解放された方が本人の幸せに繋がるんだと思いました。

そう言う私も社会不適合者でこの社会にうまく溶け込むことが出来ません。
今は子どもがいるので死ねないですが、もしいなかったら、社会のお荷物になるくらいなら、死んだ方がいいのかなと思ったかもしれません。
昔は弱い者は死に、強い者は生き残る弱肉強食の世界でしたが、今は弱い者は死ねない社会になりました。なので苦しんでいる人がたくさいるのでないかと思いました。



スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。
人間は、自然界の弱肉強食の原理から隔離されつつあり、本来生き残れないものが無理やり生かされ苦しんでいる、という点は本当にその通りだと思います。

辛い思いを抱えつつも、お子様のために生きるめん様を尊敬いたします。どうかご自愛ください。

わかるマン 返信

死んだらええんやで。
親が、とか法律が、とか関係なくあなたの命なんだから。勝手に生み出されたんだから勝手に終えればいい。他の命を奪ってまで嫌々生きていく必要はない。頸動脈だけを圧迫するようにうつ伏せで首を吊るといいらしい。

スナメリ 返信

死ぬのは怖いのです。あとは周りに迷惑をかけるのです。わたしはそれが嫌なのです。自殺の方法もたくさん調べ、一番綺麗に眠るように死ぬ方法も選んでおります。しかし、やはり生物である以上死ぬのは怖いのです。だから死ねないのです。でもそうすると生きるしかなくて、しかしそれは辛いのです。「他の命を奪ってまで」と言うのは、食べ物のことですか?この点がよく理解できませんでした。生きる以上、食べざるを得ません。生物ですから。(でも私はヒトや食わないものをなるたけ殺したりはしません)生きるのは嫌々ですが、食べるために殺して居ることは嫌々ではありません。それにきっと、楽に生きることができれば、きっと生きることも嫌々ではなくなると思います。死にたいのに死ねない、ので、死んだらええんやで、は受け入れられません。わかるマン様は自分の命は自分のもの、と言う前提で話されて居ると思いますし、本来私もそうなりたいと思いますが、私の場合現実そうもいきません。また本能が死を拒みます。それゆえの思考です。
気に障ったのならすみません。ご回答をありがとうございます。どうしても気になり、またマシュマロをもらったので、優先的に取り急ぎご回答を送ります。

うんこは漏らさない。オナラはトイレでする。

結局あなたは社会の前提とか関係なく間接的に生きたいんですよね。まだ周りに迷惑をかけないと心がけられるうちは幸せですからね。
自分のことは殺せないのに他人に殺人させるのに嫌悪感はないんですか。

あずき 返信

すごく分かります。
あまり上手くは言えませんが、世の中の大半のことは死ぬことなんて考えたことがないんじゃないかと思います。
私もネットとかで“死にたいと思うまで”とか死ぬことをすごく異常なことだと表記されることに疑問を持ちます。
私は2年ほど前あるブログで死ぬことを選択肢に入れてみると書いてあった時、感動して涙が出たのを今でも覚えています。
他の方のコメントにも書いてありましたが、ドナーが少ないと困っている人が多くいるのだからせめて最後くらいは誰かの役に立てるようにできたらいいのにと思います。
長文乱文失礼しました。

スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。

死を選択肢に入れる、ということは本当に生きて行くために必要な薬です。今は否定する風潮が強いですが、どうかそれが少しでも理解される場所が増えたらなぁと思い文を書きました。

あずき様もどうかご自愛ください。

代打 返信

とても共感しました。
長生きしたくないです。
労働が苦痛で仕方ないのですが
働かないと生きていけない訳で
そこまで苦痛を受けてまで生きていないとダメなのでしょうか。
生きてるだけで丸儲けなんてのは
今が上手くいってる人の言葉です。

スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。

本当に、生きているだけで丸儲け、という言葉が嫌いです。むしろ、我々のような人にとっては大損、て感じですよね。
生きるために労働しているのに労働すると死にたくなる、とてもおかしな矛盾です。歪んだ社会だなぁと思います。

代打様、どうか無理はなさらず、ご自愛ください。

ぴーまん 返信

>生きることを望んでません

本当のところ、死ぬこともお望みじゃないんですよね?

生きる努力も死ぬ努力もしたくない。

>努力しなくても自分のままでいても辛くない、そんな選択肢がどこかにないものでしょうか。

わからなくもないですが、他者(社会を含む)に求めるのは無理があると思いますよ。

身も蓋も無いと思われるかもしれませんが。

スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。
死ぬことは望んでいますが、痛みや周りへの迷惑を考えると、死ぬことすら億劫という感じです。

選択肢、楽になる方法が今の自分では分かりません。ですので、こういう状況を脱したことのある方からヒントが来ないかなぁ、という期待を込めての投稿になります。

確かに社会に求めるのは無理ですが、それでも、このギチギチの現在地からどこかへ行きたいと願う私です。

ななな 返信

死ぬことの是非はともかくとして、死ぬのを決めてしまったらもっと楽に死にたいってのはありますよね。
高い税金を課せられているのに自殺しようとする人達に対するに対するサポートは無いも同然です。

「じゃあ、電車でも飛び込んだら?」みたいに軽々しく言う人達がいますけど、そんな簡単に出来るものじゃありません。ああいう事を軽々しく言うのは口先だけの卑怯者です。

それなりに税金を納めてきてるのですから、病院で麻酔を打ってもらって死ねるようにするべきです。

スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。

まず生死の選択権を、そして痛くない死の選択権を、もし死がゆるされないのならば、楽になるヒントを提示して欲しいです。
行政なのか、国会なのか、政治家なのか、お願いする場所がわからないので困りどころですが、、

人に迷惑をかけたくない等思いも手伝い、死んだように生きています。

ジャック 返信

正しいか間違いかを決定出来る話ではなく、あくまで私が疑問に感じた事を幾つか。
理不尽な社会もそうですが、何らかの攻撃を受けたのならば、自分ではなく「相手に対して」対処するという選択を加えることは、慮外なものでなければならないのでしょうか。
何故、相手側の一方的な主張を、聞くだけならばまだしも、無批判に受け入れてあげているのかと思うのです。相手が多数であれ、その慣習的な主張の中に思考が入っていないならば、それは(数などの)力に頼った「甘え」です。あなたではなく、相手側・社会の甘えだと強く思うのです。
自分を責めない訓練をされているのですね。不謹慎だと思われるかもしれませんが、傲慢な他者の責を問うという方向へと変える事が自然な有り様だと思うのです。
あなたがおかしいかどうかという話ですが、ある意味ではおかしいと思います。過剰に優しいという意味でです。あなたの優しさは、この社会には勿体無い程に大切なものだと、私は素直に感じるのです。

スナメリ 返信

コメントをありがとうございます。
読んで、泣いてしまいました。無関心、思慮の足りない社会の大多数を責めて、できれば少しでも考えてくれる人を増やし、似たような感覚を持つ人の小さな救いにでもなればと思うのですが、現実的ではなく、良い方法も思いつかず、ここに半ば投げ出すように書いた思考です。
私が優しいと書いてくださり、またそれを大切なものだといってくださり、私の思考を受け入れてくださり本当にありがとうございます。

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