震災避難者の親戚を受け入れたことで一変した家族の形
私は東北出身で震災を経験しました。それによってのトラウマなども沢山ありますが、一般に予測されている苦しみとは別の側面からの悩みになります。誰かに知ってもらいたく、書きます。暇潰しに読んでいただいても構いません。
私は今でもなめこが食べられません。あの地震の時、私は休みだった母と共にリビングでコロッケとなめこを食べてドラマを観ていました。刑事の主人公が華麗に犯人を逮捕したその瞬間、あの二度と聞きたくないアラーム音が響きました。
そこから先は、八年経った現在に長々と語る必要はないと思うので省きます。私は叔父を亡くしました。父がいなかった私にとって父親とはなにか、の指針となる立派な人でした。叔父家族とも仲はよかったです。しかし、一緒に暮らすとなると別でした。
家も流され、大黒柱も亡くし、行くあてのなかった叔母とその子供たちは私の家に住むことになったのです。当時まだ中学生だった私が意見を言うことはできませんでした。祖父が買い、長男である私が大事にすると決めた一軒家は、さながら動物園の様相を呈しました。
壁に穴があき・金を財布から盗まれ・騒がしいと近隣から苦情が舞い込み、幸せだった我が家は最悪になりました。ですが、なにより辛かったことは世の中の誰も私の言葉をきかなかったことです。
正確に言えば、きいてはくれました。返ってくるのは「向こうがどんな思いをしたか考えろ」「心が狭い」とのお言葉。学校のカウンセリングも同じことで、家に帰れば騒音と、精神を壊した叔母のヒステリックな叫び声。
そこから私は変わりました。いつ私の「真の家族」に暴力が向かってもいいよう、道場に通いました。法律も学びました。「真の家族」も変わりました。それぞれの部屋に鍵をつけ、それにさえ文句を言われながら家の中で用心を重ねました。お客様を招くため、常に綺麗にしていた客間はぐちゃぐちゃにされ、今お客様を通すのは侵略者の衣類やら雑貨やらが散らかっているリビングのみとなりました。
家が手狭なので、長男長子の私は家を出ることとなり、現在は独り暮らしです。アイツらが出ていけば、そう考えたいですが、愛する「真の家族」が求めるのであればその通りにします。
八年前以来、人と接することが苦手となり、やっと見つけた職場でも叔母に非常に似ている先輩の前では、汗が出て震え頭が真っ白になり辞めました。
八年間、私がなにを思っていたかというと、怒りだけです。そのことに自己嫌悪し続けますが、怒りが消えないのです。
夢を何回も見ます。おそらく百回以上。彼らを襲い、追い出し、以前の「家族」を取り戻す夢です。私は変わりました。優しく、思い遣りのある子だと言われていましたが、中身は黒いドロドロしたなにかが渦巻いて溢れだしそうです。
私は変わりました。
【執筆者】
クライベイビー さん
【プロフィール】
22歳男性無職 大学卒業後に働くも、適応障害の診断をうけて辞職
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