社会にのさばる「性」の意識が憎い

体験談 ジェンダー さえない

はじめに断っておくと、これは精神疾患や心の問題についての話ではない。

メンヘラ.jpに送らせていただくのは、同じようなことで苦しみ、問題意識を持つ人々が一定数いるだろうと予測してのことである。

不毛な争いに発展しがちなこの頃のジェンダー論争とは距離を置き、誰にでも先入観なく読んでいただきたいと思うので、ここでは筆者や登場人物の性別は記さず一人称は「私」で統一する。

そしてここでの「性」とは、ジェンダー、セックスの双方を指し、LGBTやその他特定の層を批判したり擁護したりする文章ではないことを示しておきたい。

 

「早く性が無価値になってほしい」という一言に心から共感したことがある。

さらに言えば、全人類生殖器は着脱自由式になってほしい。

性欲も生理的欲求の一つに過ぎないのに、なぜここまで私たちの自意識を蝕み、格差や迫害を生むのだろうとよく思う。

「性」が家庭問題や健康問題に直結し、自己肯定感や承認欲求というような小恥ずかしい概念たちにも繋がるからには、寝食などと同列に扱われるまでにはなり得ないだろうが、もう少し社会と自意識におけるその存在感が薄まってほしいのである。

 

私はいわゆる「マジョリティ」に分類される側の人間だが、この「マジョリティ」「マイノリティ」という括りにも違和感を覚える。

「マイノリティ」に括られてそのレッテルでばかり見られること、一般的な方法では子を得られないのに周りから責められ、あるいは安直に憐れまれること、童貞や処女であるのを笑われたり恥じたりすること、「容姿が劣り、性的魅力がない」ばかりに無下に扱われること、「逸脱」していると指摘されること。

私は社会にのさばる「性」の意識が憎い。

ここまで個のあり方と自意識、認知を歪めてしまったものが煩わしい。

私自身、今までそれで得することも損することもあった。

無視され嘲笑されることもあれば、自身がどれほど下駄を履かせてもらっているかに気づき、悔しく思うこともあった。

今は履かせてもらった下駄を脱ぎ捨ててもいいから、「性」から距離を置きたいと強く願う。

 

同性愛者と交際している異性愛者の友人がいる。

お相手のことも私は知っているが、二人はよく学問や芸術のことを話し、それぞれの目標に向かって支え合って日々邁進している。

二人は私の知らぬ困難を乗り越えてきたかもしれないが、ここまで穏やかで建設的な人間関係を築けてきたのは本人たちの聡明さに加え、やはり「性」を超えたことにあるのではないか、と思うことがある。

 

一方私自身は性に軽くトラウマがあり、現在の恋人と関係を持つことが怖い。

しかしこのまま逃げ続ければ他の人間に恋人をとられるのではと思い、苛立ちや不安が募るばかりで一向に「性」を超えた信頼関係が築けない。

ドラマや映画のしっとりした性描写に激しい嫌悪感を感じるまでになってしまった。

性愛を抒情詩のように扱うな、賛美するなと憤ることも多く、ノイローゼに近い。

主語を大きくした話は好ましくないだろうが、おそらく日本という国は特に「性」への意識が強い。ジェンダー、セックス双方への意識が強いのである。

 

私は海外経験があり海外の人とも関わる機会が多く、差別・偏見のない国などあり得ないのは分かる。

しかしそれ以前に、日本は神経質だと感じることが多い。

島国は魚の語彙が多く、内陸の国は肉の語彙が多いのと似て、言語使用の面から見ても「性」への意識が顕著なのである。

それほど根深い問題なのだろうが、間違いなく多くの人の地獄を生むものなので何とか変える術はないのだろうかと思う。

 

男女の友情はどちらかの容姿が劣っていれば成立する、というような残酷な言説が本当であってほしくない。

いつでも本人たちが望めば成立してほしい。

性産業に従事する人々は差別されてほしくない。

同性/異性または恋人だからという理由だけで過大/過小評価してほしくない。精神のバランスが崩れていたり、容姿が優れない男性にだけ救いがない、という事態はあってほしくない。

セックスで承認欲求を満たそうとして精神崩壊する人が減ってほしい。

ネットリンチや不毛な論争、フェミニスト、ミソジニストも減ってほしい。

自分も他人も恋人の有無はどうでもよく、そんなことでマウントを取ったり劣等感が生じたりすることがなくなってほしい。

恋愛もセックスもせずに生きていても何とも思われたくない。

追い詰められて陰惨な事件を起こす人がいなくなってほしい。

 

「性」の苦しみに自意識を蝕まれることほどの時間の無駄はない。

好きな人間と関係を持つのは一つの幸せの形だが、それを飛び越えて交友や学問、芸術、スポーツや趣味にだけ没頭する生き方がもっと選びやすくなってほしいのである。

「性」から離れて生きることにもっと寛容な社会は作れないのだろうか。

良い意味で「性」に頓着しない意識に変えていけないだろうか。

同じ願いを持つ人がいれば、誰も傷つけない形で少しでもいいので発信してほしい。

 



【執筆者】
さえない さん

【プロフィール】
指定難病7年目の22歳、大学生。持病とは別に悪性の腫瘍が見つかり、体の一部を切除するが現在は卒業と就労に向けて勉強を続けている。


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4件のコメント

めい 返信

非常によくわかります。あまりに共感したのでついコメントを…。
わたしはマイノリティ側に属する者です。自分の中でできる範囲のことはやってきたつもりですが、この生き方に疲れてきました…たぶん、いまだに自分の「性」、他者から見られた「性」を受け入れきれてないのかなと。さらに性以外にも問題が重なり、お薬が必要な状態に。生まれ変わるなら、雌雄の別のない生命体になりたい。

ぴぴ 返信

コメント失礼いたします。
とても綺麗な文章をお書きになりますね。
わたしは自分が異性愛なのか同性愛なのかわからないです。
「女だから」とか「男だから」ではなく、好きになった人は「好きだから好き」で良いと思っています。
わたしは、“性”という概念がない世界はどんなに楽なのだろうと考えることもありますね。

リリィ 返信

願いの言葉に深く共感いたしました。
性によって虐げられる人の心が自由になる世の中に変わってほしいです。

自分が異性だと意識しなければもっと深い関係が築けた人のことを思うたびに悲しくなります。特に若かったころは、性別という垣根はわたしの中に絶対的に存在していました。
この記事を読んで、自分の中から変えていこうと思いました。ありがとうございました。

あああ 返信

率直に思った事を書きます。
まず、あなたが受けたトラウマが治った時に
本当に子供を授かるという性を、否定できるのですか?
性への意識が強いとはどういう意味で?
日本人が神経質。
それはわかる気がします。
でも、たぶん本当は鈍感だとも思う。
人の傷みに無関心だから、自分自身にも。
本当に心の弱った人に誰も手を差し伸べない。
お書きになった本人に届くか分かりませんが
自分もメンヘラですし、わかる気はします。
慰め合う事を否定したいわけじゃないですが
少し本音を言ってみました。
失礼しました。

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