メンヘラが自己肯定感を持てない理由

体験談 自己肯定感 只野タンメン

初めまして、みなさんこんにちは。

只野タンメンと申します。

今回の記事では「メンヘラ全体」のお話、具体的には「自己肯定感をつけようとする努力がしんどすぎる」というお話をしようと思います。

今回の記事では、「記事を投稿した目的」をお伝えしてから、「本題」に入らせていこうと思います。

 

記事を投稿した目的


・自己肯定感を持とうとするときの苦しさ・困難を解き明かし、メンヘラが抱える困難(の1部)を知るため

・自己肯定感を持とうとするときの苦しさ・困難から、「じゃあどうすればいいか」を(少しくらいは)解き明かすため

・自分が「役に立っている」と承認されるため←ここ重要?


本題:自己肯定感をつけようとする努力がしんどすぎる


お待たせいたしました。

それでは本題に移ります。

私は2年前から自己肯定感をつけようと本腰入れて自己啓発・心理学の本を何冊か買って読んでいたのですが、本の通りにやろうとすると、なぜか実行できず固まってしまい、毎回のように自分に嫌気がさしていました。

その理由をまとめてみました。

 

理由①:本の内容がキラキラすぎる


私の偏見も若干入るのですが、自己肯定感の本の書いてあることのほとんどは「ポジティブになれ」「自分をほめて」「大丈夫、大丈夫」「短所は長所」って言うメッセージを反復している事が多いんですよね。

インターネットのキラキラアカウントと言ってること大差ないですよね。

「最初からキラキラできたら苦労しないよ」以上に何も言えなくなるんです。

それでも「自分の人生のために頑張ろう」と無理にでも本の言うとおりにしようと、頑張ろうとしても体がついて行かないんですよね。

仮に本の通りに出来たとしても、無理を重ねてやっとごさ出せた馬力でなんとかやれてるだけなので、どうしても1日しか続かない。

そんな自分に情けなくなるんですよね。辛い。。。

じゃあ専門書読めばいいって?そんな元気が残っていたら苦労しないのでは???すみません、言いすぎました。

 

理由②:自分が肯定される“感覚”が持てない


「自分が肯定される感覚」と言われてピンと来ない方もいると思いますが、要は「”不安なこともあるけど、自分にはどこか生きていける居場所がどこかあるだろうな”と直感で思える」ことです。

今の感覚があるからちょっと無理をしてでも「社会に適応できるか不安」だけど、「仕事探して、会社で働く」ことができるわけです。

メンヘラは人から裏切られた・見捨てられた経験が多いせいか「自分が肯定される感覚」を持つのがめちゃくちゃ難しい。

むしろ自分に居場所がない・気軽におしゃべりする友達すらいないのがデフォルトなので、「自分が生きていける場所がある」と言われても「ちょっと何言ってるか分からない」としか言いようがなくなると。

人からないがしろにされることに慣れすぎて「自分が誰かとざっくばらんに語れる」だなんて思えないと。

つまり「人から裏切られるた経験」がメンヘラをメンヘラたらしめていると。

 

理由③:人から裏切られる原因が”自分”にあるとどこかで分かっている


「人から裏切られた経験」がメンヘラになるというのが分かったが、「実際ネガティブなことばっかり言っている本人にも原因があるんじゃないの」と思う方もいるとも思います。

人にもよりますが、本人にも原因があるケースもあります。

ネガティブな事ばかり言う、誰かに依存するといった例から、人が怖くて話せない、機器察知能力がなくていじめをうまくかわせないなど人によってケースが様々です。

キツイ言い方になってしまって申し訳ないのですが、「”自分”に原因がある」と一度思ってしまうと「こんなクズでどうしようもない自分を、“いいんだよ”なんて甘い言葉で誤魔化して、問題点を治さずヘラヘラしようなんて、どう考えても無理がある」としか思えなくなるんだよね。

(本当にその考えが正しいかはともかく)傍から見たら「ただの迷惑」だとしか思えないんですよね。

だから自己肯定感を持つ努力がしんどくなるし、ひどいときは「自分を大事にしようと自分がしていることに憎しみを持つ」事さえある。

 

理由④:そのネガティブな出来事が“努力した結果”起こったことだから捨てがたい


今のメンヘラの「自己肯定感が持てない理由」を聞くと明らかに努力を放棄しているように見えるじゃないですか!

逆なんです。

頑張って頑張って頑張りまくっても人から見捨てられたからこそ、「自分が見捨てられる存在」だと確信してしまうのです。

これは私個人の話になるのですが、わたしは中学の頃にクラスで友達が出来なかったのですが、どうしていいか分からなかったので「とにかくクラスの子やバラエティのセリフをまねしてしゃべる」を1か月間ぶっ続けでやりました。

しかし、ほかのクラスメートが話す途中でやってしまったり、時事問題の話をしている矢先にそれをやってしまったのでむしろ嫌われました。

他にも「やれ」と言われたら変顔をする、クラスメートの愚痴を1時間聞く、興味のない仮面ライダーの話に付き合うなど、とにかく友達を作るために自分をないがしろにしてでも努力しました。

それで自分は何とか(表層上の)友達はできたのですが、とてもじゃないけどフレンドリーな関係とは言えないです。

(ましてツイッター上の素の自分をさらけ出したらもうおしまいよ)

そのせいか自分には気を許せる友達なんかできるわけないし、「ありのままの自分を受け入れるなんてもってのほかだ」としか思えないと。

 

じゃあどうすればいいの?


ここまで出来ない理由を並べられるとなんか身も蓋もない感じになりますよね。

分かります!

なので、自分なりにネガティブでも自己肯定感を上げる方法を一つ紹介します。

それは自分を好きになれない時に、「自分を好きになれなくて当然だよね」というスタンスで自分に声をかけることです。

例えば自分を責めずにはいられない時は「責めちゃうよね」と声をかけ、〇にたいという気持ちが抑えられない時には、「自分が情けなさ過ぎて〇にたくもなるよね」と、自分に声掛けをする。

ネガティブな自分ということです。

メンヘラのニーズは一言でいうと「自分の身に起こった絶望を受け止めてほしい」ということです。(例外もあります)

それを自分で満たすための方法が「自分を好きになれなくて当然だよね」というスタンスで自分に声をかけることです。

合う合わないあると思うんで、全員に効果はあるか分からないですが、少しでもメンヘラの生きづらさが解消されればと思います。

 

最後に


長々と私の投稿記事を拝見して下さり、誠にありがとうございます。

今の記事を読んで、「それはお前が本気で自分を愛そう・ポジティブになろうとしてないからでしょ?」とおっしゃりたい方もいるでしょう。

少し毒を吐くようで申し訳ないですが、それって自己肯定感が大好きな人間が嫌いな、根性論と変わりなくね?って思いますね。

「頑張ろうとしてのどうしてもできない」人に「気持ちが足りない」って言うの、根性論大好き人間の言いがちな「お前が出来ないのは、お前が本気でやってないからだ」ってセリフと同じ理屈じゃん。

ごめんなさい、取り乱しました。

と、いうわけで本日はここまでにしたいと思います。皆さん、良い一日を!

 



 

【執筆者】
只野タンメン さん

【プロフィール】
特命係長にもただの係長にもなれなかった麺類。巷で有名な発達障害持ちのメンヘラ。

Twitter : @tanmen_sunmoon


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