生きるための手段としてのリストカット

体験談 リストカット 自傷行為 しぃな

今、自分が生きているのか死んでいるのか

どちらなのだろうか?

私はそれを確かめる術を持っていなかった。

だが、ある日それを体験することになった。

 

2年前、私は学校や家庭の悩みから精神が病んでしまっていた。

もう少し詳しく言うと、病気で母をなくした悲しみと、学校での人間関係にひどく心を傷つけていた。

その頃、たまたまsnsで投稿されていたリストカット(以下、リスカ)の写真を見た。

その時はただ痛そうだな、とかこんなに血って出るんだとか、その程度にしか考えていなかった。

 

だが、ある日その考えが変わった。

文化祭を終え、だんだんと秋に近づく頃、私は学校での生活が耐えられなくなっていた。

女子というのはだいたいがグループ単位で動いているのだが、私は入学当初のグループから離れ違うグループに入っていた。

だけれど、そこにも限界が来ていた。

本来の自分の趣味ではなく、他の人に合わせ無理にでも笑顔を作る。そんな生活に耐えられなくなってしまったのだ。

そこからは簡単だった。学校に行かなくなり、部屋に一日中引こもる日々が続いた。

そんなある日、私はあの投稿を思い出した。

リスカの画像だ。当初は何も思っていなかった私だが、少し興味がわいた。

痛いのかな?スッキリするのかな?

最初はそんな興味本位の理由だった。

だけれど意外にも痛さは感じなかった。

その代わりに、自分の体から負の感情が流れ出していくようなそんな感覚に襲われた。

それから週に2.3回のペースでリスカをしていた。

 

が、ある日それはいけないことなのではないか。と思い始めた。

客観的に見れば、自分で自分の体を傷つけているのだ。

もし他の人に見られたら?気持ち悪いのではないか?

そんな不安が押し寄せてきた。

そこから私は脱リスカを目指し、我慢をする日々が続いた。

だけれど結果は目に見えていた。

どうにか2週間程度は耐えたものの、それ以上は無理だ。と本能的に気がついてしまったのだ。

それに、我慢した反動でいつもより深く多く切ってしまった。

 

それから私の考えは一気に変わった。

私はこの先、一生リスカと一緒に生きるのだろう。

どんなに楽しいことがあっても、幸せだとしても、辞められる日は来ない。

しかし、それと同時にほかの考えも私の中に浮かんだ。

リスカをする限り私は生きている。

リスカをすることで自分の命を保っている。

私にとってリスカをするということは、息を吸う事とそう変わらないのだ。

当たり前の日課であり、行動なのだ。

だから、私はリスカすることを否定しないことにした。

その考えもあり、今日も私は生きている。

死にたいと思うことは沢山あるけれど、リスカをする事によって生きながらえている。

別にリスカを肯定したり、勧めたりする訳では無い。

でも、決してリスカをする事は悪いことではない。それだけは強く伝えたいと思う。

生きていればそれでいい。

 



【執筆者】
しぃな さん

【プロフィール】
10代♀リスカ  いつも何かと戦っている。


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1件のコメント

だんご 返信

素敵な話ですね。感動しました。

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