”親に認めて欲しい”を拗らせた子供の末路
メンヘラ.jpのことは以前から存じており、精神が崖っぷちに追い詰められた時の避難所として活用させていただいていました。
しかし、それは文章を読み、それを書いたのだろう他人の人生を想像し、その中に己の持つ暗い感情と似た部分、心の柔いところに刺さった小さな小さな棘を観測することで、他者の中に見出した己の影を知り、こういったふうになるのは自分だけではない、自分だけではないと言い聞かせて精神の安定と小さな自尊心を保つためでした。
文章におこしてみると大分身勝手なことを言っているように感じられますが、全く以てその通りです。特に表立って注意されるほどでもない、微妙なレベルのクズです。自分は、自分でも稀に引くほどに矮小な人間であります。
ともかく、自分がメンヘラ.jpを使用していたのは見ること専門、俗にいうROM専というやつでした。
どうでもいいことではありますが、ROM(Read Only Member)という用語がPCのROM(Read Only Memory)から派生して使用されるようになったのならば、ROMではなく文やらなにやらを書いて投稿する方の人間はRAMと呼ばれる日が来るのでしょうか。その場合、RAM(Read And write Member)というような略称とされるのでしょうか。あるいはまったく関係のない何やらかっこいい用語で呼ばれることがあるのでしょうか。それとも自分が知らないだけで既にそういう用語があるのでしょうか。とても気になります。もし何らかの格好いい用語があるのなら、とても知りたいという欲求があります。
今これを書いている自分が、”投稿者”というのでなく、例えばなにか、”道楽文人”というような、二つ名めいた呼称で表現される存在であれば、それはかなり心躍ることであると思うのです。
脱線しました。自分は文を書くことがあまり好きではないこともあり、なにがしか文章を書き投稿しようと思うことはありませんでした。
それに、自分は大変に矮小な人間ですので、もしも投稿なんぞして、その文章がうまく書きあがったものではなく、鶴のいないゴミ溜めの様相を呈していたら、さらにそれが何かの偶然で知り合いなどに見つかったりしたのならば、これはもう希死念慮など関係なく死ぬしかない、首を吊るしかないという恐怖のような、心の中の蓋のようなものを飼っておりました。
ただ、そんな面倒な思考を持つ私が今回投稿しようと思い至ったのは、漫画や小説なんかの娯楽物語のようになにか大変な理由があったわけではありません。
原因は非常に些細で些末なことではあるのですが、現在あることによって精神が荒んでいて、それをどうにか文章に落とし込むことで整理し落ち着けようと画策したためです。
そして、どうせ、という言い方は適切ではないかもしれませんが、折角そういった暗い試みに興じるのであればそれを、しこたま酒を飲ませた飲兵衛の千鳥足の軌跡のような文章で構成された、係り結びの対応関係やら、てにをはの誤用やら、乱丁印刷かホウセンカの種子かのごとくに飛び散る自分ルールの造語の解読に一日かかるようなわけのわからん文章でメモ帳にワーッと書き散らしてゴミ箱に放り投げ、ハイハイおしまい落ち着いた落ち着いたと緑に揺らめく炭酸の素敵なエナジードリンクで一息ついてからパソコンに向き直り鬼のような形相で期限の迫ったレポートの作成に戻るというような、頭の中からっぽIQ3という以外に表現の方法の存在しえないような非生産的で無為な行為に終わらせるのは流石に寂しさが過ぎるというもの。
個々の力は弱くとも、寄り集まり社会と呼ばれるコミュニティを構成することで生き延びてきた社会的動物である人間が、一番に恐れるのは寂しさであります。己の一部と同化すべき、己の一部であるといえる経験というものを他者に共有し受け入れてもらい肯定してもらうことが不可能であるという不安、自己の存在の否定、つまりは他者と隔絶された孤独であります。
ならば、投稿しようと。
投稿して楽になろうと。
傍から見れば卑小な恐怖は、これまた傍から見れば瑣末な不安に敗北しました。かくして、小さな人間が小さな決意とともに、今現在メールフォームからこの文章をかちゃかちゃと打っています。
これは恐ろしく勝手な自己満足であります。
投稿して、少しでも自分の存在が自分という閉ざされた世界の外側へ出ていければ、それで目的は達成されるのです。
そして、自分の生産した文字の塊を、微々たるものであっても、同じような境遇及び心の傷・悩みを持つであろう顔の見えない皆様の日々の無聊の慰みの足しにでもしていただければ、感謝感激雨霰ありがたかたじけ万々歳と考えたのです。
まずは自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は工業系の専門学校に通う学生です。
普段はソフトウェアの開発やそれらに関わる勉強をし、主にレポートやレポートやレポート、そしてレポートなどに追われる日々を過ごしています。
あまり身体が強くはなく、これを書いている今も、キーボードへ伸ばした腕が筋肉痛と風邪の間のような痛みを伴う震えを訴えております。肌を撫ぜる悪寒と、頭部の重さの増すような頭痛もありますので、これは恐らく風邪です。
さて、今私の精神が荒んでいる原因というのは、ずばり学業のことであります。本質としては微妙に違っているのですが、今はそういうことにしておきます。
学校における私の成績というのは、明らかに下から数えた方が速いレベルです。しかし、私は大学へ行きたいのです。それには成績が足りないことは誰の目にも明らかであるにも関わらず。これが今、私の抱える問題です。
つらつらと書いてしまえば簡単なことですが、これには少々面倒な付録品があります。私が大学へ行きたいと考える理由が、少し拗れているのです。
私が大学へ行きたいのは、言ってしまえば、親に認められたいからです。
私の親は両親とも4年生大学へは通っておらず、それゆえ大学への憧憬があります。ですから、両親の憧れの的である大学に通うことができれば、きっとこのつまらない私も彼らに愛されるだろう、かけがえのない自慢の子供になれるだろうと、そう信仰しているのです。
私は今年で19になりますが、親に心から過程を認めてもらった記憶がありません。誤解の無いように言っておくと、私は確かに彼らに愛されているという自覚があります。褒めてもらったことも、認めてもらったこともあります。そして、私は彼らが好きです。認められたいと思っています。
ただ、彼らは出した結果を褒めてくれます。
テストで90点をとったなら、何を間違えたのかと尋ねますし、賞がとれなければ何が悪かったかわかるかと詰問します。
私という存在の価値をというわけではなくて、私の出した成果を、ひいてはそういった成果を出す人間を育てることのできた己の価値を再確認しているのだろうと思うのです。
両親はともに兄弟の一番上の子でした。
両親の両親、私の祖父母たちは、あまり子育てに関心のある人間たちではなかったようで、私の両親は親の愛情というものを人並みに知らずに大人になったのだと思います。俗にいうアダルトチルドレンというやつではないかと思います。
本人たちから聞いたことはありませんし、”あなたはアダルトチルドレンですか?”などと尋ねることは流石に出来はしません。自殺行為ですらあると思います。確かに年中ぼんやりと死にたいなあと考えてはいますが、”死にたいなあ”という薄ぼんやりした受動的な感情と、”殺してください!お願いします!!”という熱意は別のものです。
ただ、法事や葬式などで親族が集まった際のちょっとしたよそよそしさと気まずさから、私が純度100%の偏見を以て勝手に推測したものであります。
ですから、愛情やら価値やら、自己を肯定してくれるものに対して餓えているのだと思うのです。
自分に価値を求める大人が二人。
そこに何も知らない私がぽんと生まれます。
放棄こそできはしませんが、それ以外ならどのように扱っても法に触れません。であれば、そこに自分の価値を求めるのは至極当然のことです。人間として当たり前の反応です。
ただ、親という他者の価値の製造機であるという以外に価値のない子供がまた一人愛情を求めるというだけです。
ただまあ完全に推測という名の想像であるので、もしこれが何かの間違いで彼らに読まれ”いや普通に違うけど、そういう風に思ってたの?”と言われれば、そうですか申し訳ございませんでした許してくださいと平謝りしつつ秒速で荷物を纏めて家を出ていく以外に道は無いのですが。
ずっと昔、小学生のころ。たしか、小学校3年か4年の時だったと思います。
テレビで”小学生たちに聞いた、将来の夢”という番組がやっていました。
単体の番組ではなくニュースなどの番組の小さなコーナーだったかもしれませんが、それは本題ではありません。
重要なのは、このコーナーでの栄えある一位、小学生たちの無垢な夢の頂点に輝いた夢オブザ夢が、”家にお金を入れて家族に楽させてあげること”だったことです。
今思うとアンケート対象者全員にゲームソフトでも買ってあげたのか?と邪推したくなるような、あるいは標本対象に偏りがありませんか?とつい尋ねたくなるような、とにかく素晴らしい道徳に満ち溢れた回答ですが、当時の純粋な私には衝撃でした。
自分と同じ小学生が、そんなに先のことを見通し、あまつさえ自分より他者のことを優先しているということが、当時から矮小な人間であった自分にはとにかく信じられず、また信じたくなかったのです。
自分はまったくそんなことはなかったからです。家にお金を入れて家族に楽させてあげるなんてことは、考えたことも無かったからです。
私は自分を恥じました。
そして、それを受け入れてしまえば、自分の小ささ加減がさらに浮き彫りになるという予感がありました。
私は小さい人間であるので、小さい人間であるという事実がばれることを嫌いました。ばれてしまえば嫌われると思いました。何より、私は両親に嫌われたくありませんでした。
そして私は、精神を落ち着かせるため、手を打ちました。そしてそれは、その状況で考えられる最悪手に近いものでした。
「ねえねえお母さん。テレビではこんなこと言ってるけどさ、みんながみんな、そんなわけないよねえ!あははは!」
最悪手です。ハイ、詰み。大馬鹿。コールド負け。
私はその漠然とした不安をその小さな胸の中に留めておくことが出来ず、一番近くにいた他人、つまり母親に感情を共有することで、どうにか自分がこの世でもっとも馬鹿馬鹿しい、利己的な人間であるという妄想から解き放たれようとしました。冷静に考えれば、子供の頭でもそれがいかに解決と逆方向にある手かということは分かったはずなのです。矛盾していると気が付けた筈なのです。
親に嫌われたくないがために、親にそのことを打ち明けるだなんて。
それでも理性は一時の不安に勝てはしませんでした。
テレビの番組ごときでそんなに事を重く考えるような面倒な人間であると思われることが嫌だったので、ふざけた調子で、笑いながら言うという小細工も入れました。だから嫌わないでくれと思いました。
私はその時、肯定を期待しました。
お前は普通である、小さく利己的な人間などではない、お前は生きていても構わないのだと、私の子供なのだからと、そう言ってくれることを期待しました。言ってくれと願いました。
当然、その幻想が現実になることはありませんでした。
「普通そうでしょう」
たしか、母親はそう言ったと思います。
「あなた、まさかとは思うけど」
母親は小さく驚き、私を軽蔑していました。何か別の生き物を見るような目をしていました。「あら、物干し竿に蛾が止まっているわ、殺虫剤はあったかしら」。そう言うような時と、同じような目をしていました。
「家にお金を入れないつもりだったの?」
違う、本当に違うのです。
違うのです。許してください。ごめんなさい。ごめんなさい。そんなつもりではなかったのです。そんなことを考えていたわけではないのです。
母親はその後、たしかお説教をしていました。働いて得た給料は自分だけで使うのではなく、今まで育ててもらった恩を返すために家に入れるお金を作るのだと。
私はそれを、上の空で聞いていました。
私は、そんなことはひとかけらも心に無かった。
お金が欲しいわけではないのです。そんなものはいくらあっても、仕方がないのです。
私が欲しいものは、ただ。
私はただ、あなたに嫌われたくなかったのです。
あなたに私の綺麗でない部分を認めて欲しかった。私の、両親の価値製造機以外の側面を肯定されたかった。
欲を言うのなら、そんなことをしなくてもそこにいても構わないのだと、お前がお前であるだけで、生きていても構わないのだと、そう認めて欲しかった。
今ならそんなことは無理に決まっていると断言できます。もしも今私が同じ局面に立ったとすれば、何事もなかったかのように食事を終わらせていただけでしょう。
しかし、当時の私は小学生だったのです。夢を見る年ごろでした。
お金の使い道についてのお話を聞いていて、その時になってようやく、私は気が付きました。
いや、今までも薄々は気が付いていたのです。ただ、認めたくなかっただけでした。
愛とは無償ではありません。
何か、相手に利となるものを返さなければ与えらないものです。
それが親の価値であるか、お金であるかはわかりません。しかし、ただ与えられるのを待つものではなかった。
考えてみれば当然でした。
身の回りのものを考えてみれば、パンも本もテレビも家も、何をとってもただで手に入るものなどありません。
全てお金という共通通貨を介して価値を可視化され、等価で交換されて手に入るのです。
愛だけが例外であるという根拠などどこにもないのですから。
それから私は、良い子になろうとしました。
成績が優秀で手間もかからない良い子であれば、相応の愛情を注いでもらえると思いました。
いつの日か、お前はお前であるだけでそこにいても良いのだと言ってもらえる日がくる筈だと思いました。
大して好きではない勉強を頑張りました。学校で一番の成績をとりました。塾で一番の成績をとりました。100点をとれば、両親は褒めてくれました。1位をとれば、両親は褒めてくれました。
よくこんな点数を取った、お前は頭が良いと言ってくれました。
よく一位になった、お前は勉強が出来ると言ってくれました。
けれど、だけどそうでなくてもそこにいても良いのだとはとうとう言ってくれませんでした。
高校受験の時、私は専門学校に行くことにしました。
父親の出身校だったからです。
父親はどうかわかりませんでしたが、少なくとも母親は、私が彼女の愛した人と同じ学校へ行くことを望んでいたようでした。
そこへ行けば、今度はそこにいても良いと言ってもらえるかもしれない。
私は迷わず受験し、受かりました。
しかし勉強が思った以上に難しく、私は落ちこぼれました。
だから、4年になってもとうとう、あなたがあなたであるのならそこにいてもいいとは言われませんでした。
そしていよいよ卒業となった段。
私は大学へ行くつもりでした。
その理由は上記の通りです。
ですが、受験についての家族会議。
芳しくない成績表を前に、進学は無理だと断ずる母親。
私は耐えかねて言いました。
「どうすればあなたは喜びますか。大学へ行けば喜びませんか」
それは言わない方が良い本音でした。私は19にもなって再び悪手を打ちました。すると、父親は言いました。
「お前の人生だ。誰が喜ぶかじゃない。お前の好きなように生きろ」
何も言えませんでした。
絶望しました。
視界が白くなりました。
ただ、ずるいと思いました。
ずるい。ずるい。そんなのはずるい。
聞こえのいい言葉です。
確かにこれは私の人生だ。私には自由に生きる権利がある。きっとそうだ。偉い人も言っていた。本にも書いていた。一度きりの人生、人は自由を謳歌すべきだ。ああ、ああ、そうだよ。その通りだ。その通り!!流石お父さん!!全くもって正論!!あなたのいう事はいつだって正しい!!!その通りだ!言葉も出ない!!!!ぱちぱちぱちぱち!!!!!!
今何と言ったんだ。何と言ったんだよ。
おい。なあ。なあ!!
ふざけるなよ。ふざけるな。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。 ふざけるな。 ふざけるな。 ふざけるな。 ふざけるな!!!!!!!!
私は、私は今まで、あなたたちに。
あなたたちに認められたくて生きてきたんだ。
私はあなたたちに、生きていて良いと言われたかったんだ。
大学に行けば、認めてもらえると思ったんだ。
自慢の子だと、そこにいても良いと。
認められたかったんだ。求められたかったんだ。
それを。それを。
どうして。
私の人生を。
なんでそんな、一行の言葉で。どうして。
どうして?
あんまりだ。
あんまりだよ。
勝手に縋ったのは私だ。けれど、けれど。
もう他に何も無いんだ。
それを他でもないあなたに取り上げられたら、私は一体、何の為に何を目指せば良いのですか。
私の生きる目的を、どうして他でもないあなたが取り上げるのですか。
あんまりではないですか。
というところで、ぽーんと冒頭に戻るわけであります。
言わずもがな、私を悩ませる”あること”とはこの父親の言葉です。
ただまあ、言われたのが今であって良かったかなという気もしてはいます。
もしもこれを一生言われずに生きていたのなら、と思うと恐ろしくてたまりません。これはたしかに父親の優しさであると思いました。
真に馬鹿馬鹿しいことに、私はいまだに大学へ行けば、両親に認められるかもしれないという幻想を抱いているのです。
しかし、父親の言葉によってそれに揺らぎが生じています。
より正確に現状を表現するのであれば、”大学に行きたくはあるが、学業が芳しくなく、また目的が見失われつつあるため勉強に精が出ない”というところです。
見るに堪えない散文ですが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
感情と現状の整理がつき、書きはじめたころに感じた、この感情が誰とも共有できず、名前すらつかないうちに何でもなくなるような寂しさが若干解消されたような気がいたします。
私には私の地獄があるように、あなたにはあなたの地獄があるのだと思います。
もしも自分の恥なり黒歴史なりが、地獄を進む誰かの一時の娯楽になること叶ったのならば、それはこれ以上になく嬉しいことでございます。
【執筆者】
灘川 さん
【プロフィール】
工業系専門学校生。死ぬほどの承認欲求と希死念慮と一緒にどうにか今日も生きている。最近生きることに疲労中。色々弱い。
募集
メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
応募はこちらから
メンヘラjp公式ツイッターはこちらから
Follow @menhera_jp__- あわせて読みたい
- 他人の承認なんて必要ない 私が歪んだ承認欲求から解放されるまで
- ノベルコース、ツイキャス、OD、梨香 / 連載小説「つがいの琉金」 第2回
- 「反抗期」親と子の接し方
- 【書評】テティスの逆鱗(唯川恵)
- 完璧な両親と、完璧になれない私
- 「自分が嫌い」 なぜそうなったか、どうすべきか
- 関連するお悩み
- 先日、自宅で鬱の療養をしていて、みなさんはお金等どうされているか、という質問をした者です。 丁寧,,,
- 大切な友達に無神経すぎるとんでもないことを言ってしてしまいました。 彼女は母親と共依存の関係にあ,,,
- DV彼氏とよりを戻してしまいました 以前、彼氏と同棲をしていて自分を責めるのがやめられず辛い、し,,,
- 友達がいない。恋人・パートナーもいない。常に孤独です。 小学生の頃から「あなたには友達がいない,,,
- だいぶ前のことですが。ここに質問をして回答を頂きました。 ですがその内容は「あなたの周りの異性は皆,,,
- 「努力するぐらいなら死ぬ」となんとなくググって辿り着いたある人のエントリーに共感を感じその人の,,,
