死にたい気持ちとどう付き合うか

体験談 死にたい うつ病 希死念慮 ラヴ

基本的に私はしあわせな人間だが、時々強烈に死にたい気持ちに襲われる。

頭ではうつの症状だということは分かっている。

だがそれは、嵐のようにわたしを襲う。

今まではそういう気持ちになっても物理的に動けなかったので、とりあえず寝てやり過ごすしかなかったのだが、少しずつ動けるようになった今、死にたい気持ちに行動で対処するようになった。

 

死にたい気持ちに襲われたとき、反射的に気持ちから目を背けようとしてしまう。

誰彼構わず電話をしたり、無我夢中で胃に食べ物を詰めたり、恋愛に逃げようとしたりして、暴走したときにハッと自分の気持ちに気づく。

まれに死にたい気持ちを自覚してる時もあって、そういうときは布団に籠もり延々とYoutubeやSNSを漁って、わたしはひとりじゃないんだと何度も確かめたりたりする。

行動の大小に関わらず、どれをとっても後からどうしようもない虚無感が襲ってくる。

 

わたしは自分の気持ちから逃げている。

自分の気持ちを無視し続けてきたから鬱になったのに、鬱になっても逃げてばっかりだから、回復が遅いのかもしれない。

人生に絶望しきってないのだ、わたしは。

谷川俊太郎は「絶望からじゃないと本当の希望は見えない」と言っていた。

根拠はないが、それは真実だと思う。

だからきっと、わたしは絶望も希望もぼやけたままなのだ。

 

散歩をしながら薄いブルーとオレンジの綺麗な空を見上げて、考えた。わたしには、きっと自分の気持ちを見つめる覚悟が必要だ。

堅苦しい覚悟ではなく、できるだけ軽やかに、でもしっかりとした意志が。

これからわたしは、湧き上がってくる気持ちを味わい尽くそうと思った。

うれしい時には、空を見上げてうれしさを噛み締める。

感傷的な気分の時は、感傷にどっぷり浸る。

死にたい時は、ベットで蹲りながらどこまでも沈んでいく。

嬉しい時も悲しい時も、きっとそのときにしか見えない景色があって、そのときにしか聴けない歌がある。

そのときにしか紡げない言葉もあるんだと思う。

そういうものを大切に、できるだけ大切にしていきたいと思った。

そういう風にその時々の気持ちを丁寧に掬い上げていった先には、きっと今よりもずっと深みある人生が待っているんだと思う。

 

自分の気持ちを無視して抑圧していた今までの人生はもしかしたらとても貧相だったのかもしれない。

わたしは寂しいときに聴く歌も知らないし、自分の気持ちを表現する言葉もあんまり持っていない。

だが思い返せば、うれしいときに見上げた空は本当に綺麗だった。

悲しいとき、私は妙にロマンチストになる。

これからは、そういうことをもっと高い彩度で見つけていきたい。

わたしは自分の人生にもっと貪欲になっていきたい。



【執筆者】
ラヴ さん

【プロフィール】
うつ病闘病中の女子大生。休学中の哲学徒。半年前にうつ病を発症し、療養生活を送っている。

note : https://note.mu/xaf_mainichi


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1件のコメント

マコト 返信

大変興味深い内容でした。
内容を読み進めていくにつれて,いろんな感情が芽生えてきました。

”嬉しい時も悲しい時も、きっとそのときにしか見えない景色があって、そのときにしか聴けない歌がある。”
私はこの記述に強く感銘を受けました。確かに,嬉しい時と悲しい時の感性が異なる事実を知ってはいたものの,悲しい時に感じる感性を肯定的にとらえる発想は私にはありませんでした。

おかげで,生きやすくなるヒントを貰えました。ありがとうございました。

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