発達障害の診断を機に、今までの人生を振り返る

体験談 ADHD 発達障害 ASD tomo

たまたま本屋で立ち読みした広汎性発達障害のエピソードなどが書かれた本が、まるで私のエピソードのようだったので、もともと通っていた心療内科のカウンセラーさんに、発達障害だと思うんです、と伝えて検査を受け、それから半年くらいかかって診断までこぎつけました。

黒でも白でもない「グレーゾーン」と診断される人も多いそうで、自分もそうなってしまわないか、と心配でしたが、無事診断されてほっとした、というのが正直な感想です。

今回、この診断を機に、これまでの自分史を振り返ってみたいと思い、投稿しました。

 

まず、記憶にあるのは、幼稚園の水遊びの時間、他の子は時間が来たらきちんとその場から離れて気替えていたのに、私ともうひとりの子が遊びに夢中で離れられず、先生に叱られて反省するまでということで立たされたことです。

先生に言うことがあるでしょ」ということで、もうひとりの子はその「言うこと」をすぐに言って解放されたんですが、私だけ何を言っていいのか分からずにみんなが先生の話を座って聞いている中、ずっと立たされ続けたことです。

ずいぶん経ってから、「ごめんなさい」でしょ、と言われて解放されたと思います。

 

小学校の時は、無視されるいじめを数ヶ月間受けました。

その後、ある日「許してやる」といきなり私を無視していた子に言われ、いじめは終わりました。

今になっても私が何かをしていじめられたのか分かりません。

 

高校、大学では徐々に人付き合いができなくなりました。

グループには入れず、ほとんどひとりで行動していましたが、そのことを辛く思うことはそこまでなかった気がします。

マイペースで行動できることは自分にとってむしろ心地よかったです。

 

社会人1年目、やはり職場に適応できませんでした。

怒られる回数も増え、ネットにも影響されて腕や手首を切り始め、徐々にエスカレート、職場のすぐ近くの駐車場にしゃがんで腕を切ったり、職場のトイレで腕を切ってトイレに血の跡がついたり、とやりたい放題でした。

結局1年半ほど休職するという結果となったんですが、母親とももめて、外で石を頭にぶつけて流血したり、スーパーでカッターを買って出口のところでそのまま動脈を切って救急車を呼ばれたりと危険な時期でした。

そんな状態からでもなんとか同じ職場に復帰でき、転勤などを通して20年ほど同じ職場で勤められていることには周りの人達に本当に感謝しています。

 

今現在も、職場には溶け込めず、友達や知人はひとりもいなくて、誰にも相談できない中、カウンセラーさんや発達障害者支援センターの方に相談することでたまに気持ちを吐き出しています。

会話で他人が何を言いたいのかなかなか理解できないことも多く、コミュニケーションに困難を感じたり、また、毎日財布を忘れたりとか毎回原付に鍵をつけたままその場を離れるなど、不注意も目立ち、時々衝動的に高価なパソコンを買ったりと困りごとがたくさんです

そんな中、なんとか自分を保ちながら生きていかないといけない、そう思いつつ毎日ギリギリで生活しています。

 



 

【執筆者】
tomo さん

【プロフィール】
発達障害(ASD、ADHD)と去年診断された40代男性。
手帳(3級)持ち。
通院歴12年。
同じ職場で20年ほど働けています


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