アスペルガー(自閉症スペクトラム)特有の想像力の欠如について
僕が自閉症スペクトラムと診断されたとき、先生から自閉症スペクトラムについて書かれてあるプリントにもこの特徴が書かれてありました。
僕はこの特徴を見たとき「あれ?」と思いました。
なにせ僕は昔から想像するのが好きで、なにかとあればアニメ・マンガの二次創作をしたり、「宇宙の端っこはどうなってるんだろう」などそんなことを考える子供でしたし、このプリントをもらったときの僕だって、それは変わってなかったからです。
ただ、僕がコミュニケーション苦手なのは確かで、人の顔を覚えられないような人であるために、この「想像力の欠如」こそ「人(相手)のことを想像できない」という意味だと捉えました。実際そういう意味を含めての「想像力の欠如」だと思いますし、気の利いた言葉が言えないとかなんとかの異常性を言っているのだと思ってたんですよね。
【想像力の欠如の真意】
この「想像力の欠如」というもの、最近になって真意に気がつきました。
真意とはどういうことなのか、と説明するのも難しいのですが、例えば「おまえは想像力が欠如している」と言われたとします。
僕は「え? 想像するけど」と反論しますよね。
つまりそれです。僕は「想像力の欠如」をしていないと思っている。ただこれは僕の主観であって、その「してないと思っている」という答えそのものが、それ以外の答えを想像できていない……つまり「想像力の欠如」というわけです。
実はこれ『アスペルガー症候群と高機能自閉症 青年期の社会性のために』という本の中にある、藤家寛子さんの手記『アスペルガーとして生きてゆく』を読んで気がついたことです。
この本は少し古いですが、いろいろアスペルガーの情報があるのでおすすめです。ジャンルはドキュメンタリーでしょうかね。気になった方は各自でどうぞ(ステマ)。
上にある僕の「え? 想像するけど」という反応はまだかわいいもので、派生して考えれば、自閉症スペクトラムが行う「本人がよかれと思った行動は実はズレていた」も本質的には「想像力の欠如」に含まれることだと個人的に考えています。
と、その前に、自閉症スペクトラムの思考スタイルを紹介します。
【自閉症スペクトラムの思考スタイル】
みなさんはなにか考えているとき、どうやって考えますか?
どうやって考えるか、と言われると難しいかもしれません。言い方を変えると、「わからないものにぶつかった時どうするか」ということです。
わからないものにぶつかった時……それは難問かもしれませんし、簡単なものかもしれません。誰かに聞けば一発でわかるようなものかもしれません。解決するには……あれこれ考えたり、人に聞いたり、調べ物をしたり、たまには距離をおいてみたり、など、いろいろな方法が考えられると思います。
自閉症スペクトラムの場合、わからない問題を解決する際はおそらく1人で、たった1人で仮定を(自分なりに考えたこと)を積み重ねて冷静に客観的に考えると思うんですよ。(少なくとも僕はそうです)
ひとつひとつ「あれがああで、これがこう」と……人に聞くこともあるかもしれませんが、それも一つの「情報」として捉えて、1人で考えれるだけ考えて、調べるだけ調べて積み重ねて考えることが多いと個人的に思っています。
ここで重要なのは、すべての可能性を「主観」で考えているというところです。
たとえば学者や技術職、クリエーターや個人経営者など、この「主観」がいいように働くことがあると思います。というか、成功をした自閉症スペクトラムの偉人さんたちはおそらく少なからずこれが発動していると思います。まぁそんな気がするだけなんですが。
【主観で考えて起こる弊害】
ただここで考えてみてください。もしこの「主観」を多人数で行う仕事で発動したら、もし恋愛ごとで発動したら……。
悪い方向に突っ走ってしまうことは容易に想像できるはずです。
人間という不確定要素を「あれがああで、これはこう」なんて情報だけで積み立てるのですから、想像力の欠如という傾向は致命的なものであり、様々な問題が起こり始める大きな要因となりますよね。
人に聞けばいい小さな問題も、自閉症スペクトラムは聞かなかったりします。人が見せる小さなぶつかりも見出すことができなかったりして、大きな問題になってはじめて「あぁ!」と気がつく鈍感っぷりを彼ら僕らは見せてきます。
それに自閉症スペクトラムが仮に人に聞いたとしても、相手側のはっきりとしない言葉に混乱する人だっていると思うんです。
これは余談ですが自閉症スペクトラムって「疑問」があれば、その疑問に対して真正面にぶつかっていく傾向があります(僕だけかもしれない)。
つまり、健常者達が踏んでいくはずの過程(雑談などしながらそれとなく聞きたいことを聞くなど)をすっ飛ばし、会ってそうそう挨拶もなく「これってどうなの?」と聞いちゃうことがあるんです。
優しい人なら答えてくれますけど、場合によっては「は?」となり、さらには距離を置かれた経験もあるはずです(ないかもしれない)。
本人としては情報がほしいんです。そんなつもりないのに……といっても、現に相手が嫌な思いをしているわけなのでこちらが悪いんですよね。なんとも言えない問題です。
【そもそも前提が間違えていることがある】
この「積み重ね」、そもそも前提が間違えてることもあるんですよ。
わかりやすく身近な例を挙げてみると「そもそも相手は自分に好意を持っていない」とかです。
よく社交辞令だったのに相手が本気になってしまった、などそういう話を聞きます。
前提として「自分対して好意をもっている」とまで考えなくても「自分に対して普通に扱ってくれる」程度の話となれば、自閉症スペクトラムとしてはきっかけさえあれば候補に入ると思います。
……まぁでも自閉症スペクトラムが人に興味をもつことは稀だと思うんですが(偏見)。
さて、仮に自閉症スペクトラムが相手に好意を持ったとして、ここからすべて積み重ねを始めるわけです。いろいろ勇気を持って話しかけたり、勇気を持ってプレゼントあげたり、相手に「好意」を見せます。が、相手からすれば「え?」ってなってるはずです。そしておそらく好意を受け取る度に「それは社交辞令だよー」と、やんわりと拒否しますよね。
気が付いてそこで手を引けばいいものの、気がつかない人だって居るわけで。そうなると相手の前提が変わるんです。「普通の人」から「なんか苦手な人」とか「嫌いな人」とかに。でも優しい人ほどやんわり言うものですからなお気がつかず、前提を間違えた状態での「積み重ね」が始まるわけですよ。こうなってしまったらもうだめですよね。
これは恋愛に限らず、友人関係、上司部下の関係、どこでもあると思います。
自分の印象だってそうです。本人としては「考えている」つもりでも客観的に見れば歪んでる前提の人もいると思います。例えば「自分はダメ人間だ」「自分は行動力がない」みたいな。
ネガティブなことばかり書きましたが、ポジティブな考えもできますね。「自分はイケメンだ」「自分は頭がいい」など。そういう前提を誰しも持っていて、持つぐらいならいいですが、上で書いた「想像力の欠如」が相まって場合によっては「あいつは歪んでいる」となるわけです。
余談ですが、これを派生して考えると「周りの人が自分を笑っている」とか「自分の命が狙われている」とかそんな前提も考えられますよね。考え始めたきっかけは小さなものだったとしても、そう本人が「前提」としたならば、その前提の上に積み立てて歪んだ思考行動に移ってしまうのも想像できます。
歪んでると周りの人が指摘をしてくれることがあります。「ちょっとそれは……」みたいに。しかし本人はそう思い込んでいたり、そもそも指摘を気が付きもしなかったりします。
個人的にここに自閉症スペクトラムと統合失調症が似ている理由があると思っています。
【自閉症スペクトラムの人へ、僕らはどうすればいいのか】
これ書きながらどうすればいいのか考えましたが、特にいい考えが思いつかなかったです。
なにせ「想像力の欠如」を補うのはコミュニケーションであり、コミュニケーションが苦手な自閉症スペクトラムは遠からずそれを補うよう自分の積み立ての考えによって生きているのですから。
けれども逆に言えばコミュニケーションがそれなりに発達してきたのなら、これらの「想像力の欠如」なんてものは解決していくのではないか、と思います。
自閉症スペクトラムに薬がありません。それはつまり、自閉症スペクトラムは薬なしでもそれなりに発達して、それなりに健常者とともにやっていけるからと考えています。
もちろん得意不得意はありますし、感覚が敏感だったりと生きにくいという要素も僕らは持ち合わせています。でもそういう配慮をしてくれたら、そういうのを求めるコミュニケーションをとれば……と言うのは難しいですが、乗り越えるだけのポテンシャルは持っていると僕は思うんです。
想像力の欠如と言いましたが、この失礼さが役に立つ時もあります。世間一般でいう行動力ってやつでしょうか。
たとえば僕だって失礼にも冗長な文章を人に送りつけています。ここにもし「わかり手さん忙しそう……こんな冗長な文章送っていいんだろうか……」など考え始めたらまず送れません。
僕はこの記事を「これは多分役に立つはず」という前提を積み重ねて書いて送りつけてますからね。
でもやっぱこういう行動力が相手の迷惑になることも頭の隅で考えてほしいです。
もしこの文章を誰かからメールで送られてきたところを想像してみてください。明らかにヤバイやつですよね? たとえ相手が「これは多分役に立つはず」という善意で書いてきてもぞっとするはずです。
つまりそういうことなのです。
時と場合によって、臨機応変にすれば……って言っても、自閉症スペクトラムにとってはとても難しい話になります。
けれども、そんな感覚的なものもトライ・アンド・エラーによって、ダメなものはダメいいものはいいとルールを知り、会得までは行かなくても最低限のルールぐらいは知ることができると思います。
その最低限のルールを守ってこなすことで健常者と同じレベルには十分に立てると思いますよ。
……まぁ別に立たなくてもいいですけどね。
【自閉症スペクトラム以外の人へ】
君たちがなにを思って読んでいるのか、僕は僕が考える範囲でしか想像ができません。
その範囲で忠告しておきます。
僕の考える世界をここで書いたつもりでも、他の自閉症スペクトラムにとっては全く違っているなんてことも普通にありえます。
なにせこの記事だって僕が考えた積み重ねの範疇を超えてませんから。
僕は自閉症スペクトラムでありますが、自閉症スペクトラムだっていろんな種類の人間がいます。みんな僕みたいな感じではけっしてないです。
近くにいる話が伝わらない嫌なやつが自閉症スペクトラムではなかったり、けっしてそう見えない人がトライ・アンド・エラーを経た自閉症スペクトラムかもしれません。自閉症スペクトラム側からすれば「似た者同士」として気がつくことはありますが、天気予報みたいなもんですからね。つまりわからないんです。
人を考えてよくわからないことなんてよくあります。
もし優しい方ならそういう傾向にある人を見つけたら優しくしてあげてください。でも嫌だったら離れていったほうがいいです。それはあなたのためです。
彼らは遠すぎたり近すぎたりと、距離感がわかってないところがありますからね。
すこしでも彼らの世界が興味深いと思ってくれたら幸いです。
以上です。
【執筆者】
くもの さん
【プロフィール】
自閉症スペクトラムのひきこもり
@kumonogu
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