私の「情熱」は「躁状態」なのか? 双極性障害を持つ私の悩み

体験談 双極性障害 いろり

前回の記事が約1年前。

その間に私は双極性障害(以下躁うつ病)と診断され、無職になった。

先日、二子玉川で行われた本屋博に行った。2日間で約40店舗もの今をときめく本屋たちが参加していた。よく晴れた比較的暖かい日とはいえ2月の寒空のもとで開催されたにも関わらずそこは熱気に溢れていた。

大型書店にも並んではいるのであろうその本が、あの場所ではじめて手に取られ買われていく。その現場を目撃した。私はその模様を見て本屋の希望を見た。力強さを感じた。

その一方で、私はその力強さに打ちのめされた。おそらく彼ら彼女ら情熱はこれからも続いていくであろうし、拡大していくだろう。その担い手たちの顔を見た。私には想像もつかない苦労があるに違いない。違いないが私には、その情熱を抱く彼らを妬んだ。

私には、その情熱を保てないのだと気づいてしまった。

躁うつ病はたぶんそういう病気なのだと思う。

 

躁というのは、書いても書いても止まらないとき。話しても話しても濁流のように思考が止まらないとき。眠ろうとしてもさえざえとして長い長い夜を過ごすとき。つらく深いうつからはね上がるとき。

わたしはとくにうつが長いので、むしろ元気でよいじゃないかと思っていたし周囲にも思われていた。少し多弁でも結構結構としていた期間は実に8年。躁うつ病だとわかるのに、8年かかった。

本当に切ないことだと自分でも思うのだけど、私の情熱は躁だ。躁状態でしか、何かをうみだすことや馬力をだすことができない。うつからはね上がって何もかもできるように感じ、何かをし始めたり誰かを巻き込んだり文章を書き散らして公開したり、「これがやっと本当の私なのだ」と、思い、涙する。

しかしそう思うこと自体が躁状態だったのだ。だから続かない。躁があればうつがある。躁状態でやり始めたことは続けられないし、うつ状態で頑張っても躁状態の馬力には届かない。

私に期待をかけてくださった人はたくさんいる、とくに大学の先生や仕事の上司。私はこれだけできますという目一杯を見せてきた。私も私でそれをまったく疑っていなかった。でもだんだんと彼らの期待を裏切ってしまう、私の情熱は情熱と認められずにいつも諦められる。その程度だったんだね。

 

何より1番自分自身に失望する。

あんなにやりたかったこと。今だってそう思ってること。どうして続かないのか。できなくなるのか。放棄してしまうのか。ずっとわからなかった。

何かを生み出すという行為は、たくさんのエネルギーを消費する。熱意が必要だし体力もいる。それは作家のような仕事だけじゃなくて、アイデアをだしてプレゼンすることも同じだ。そのプロセスを私は続けることができない。

躁状態の自分が本当の自分だと思っていた。

でも躁状態の私はとても短い期間しか存在できないので、ほとんどうつ状態の私のまま過ごした。しかし一度でもできたという経験があるからこそ「本当はできるはずなのに」と思うのが1番つらかった。

前はできたのに。怠けているだけなのか。口だけの人間なのか。ベースは同じ人間なので、好きなものが変わるわけじゃない。躁状態でもうつ状態でも本が好きで、文章が好きなことには変わらない。

でも本をしっかりと読むのは、躁でも鬱でもない貴重な期間にしかできないし、アイデアや文章をコンスタントに生み出すことは精神的にも体力的にも難しい。大好きなことだから絶対に続けていけるだろうと思っても、挫折を繰り返してきた。それでは私は一体何ができるのか?何度も何度も自分に絶望してきた。

 

躁とうつの波を社会生活に適応させることができずに、私は無職になった。

無職になり、精神科に入院をし、退院後に実家から障害者就労移行支援事業所に通っている。

いま、私はルーティンワークな仕事に就きたいと思っている。1ヶ月やれば誰にでも流れがわかるような、変化のない、単純な作業。もちろん完全に変化のない仕事なんてないし、臨機応変な対応はどんな仕事でも必要だろう。でも、自ら仕事をつかんでいくような能動的な働き方は、きっとできるし好きだろうが、躁うつ的には続かない。

大学を卒業してから就いた仕事は3年弱続いた。それは毎日の小さな違いはあれどベースが地味で単純な作業だったからだ。

思い返してみれば、躁状態であれば多くの仕事をこなしていたし、ひどいうつ状態のときは最小単位の仕事をすれば許された。今の私の希望に近い。

しかし出版関係の仕事だったために、「好きなことを仕事にしているのに、積極的に本が読めない・仕事ができない」ことは心苦しかった。そのときはまだ自分が躁うつ病だということを知らなかったから、治療を始めていれば少しは違ったのかもしれない。だから私は今、躁でもうつでも苦もなくできる仕事を探している。

 

ただ、

私にだって、ひとつのことを考えぬいて、多方面を想像してやっと、納得のいく文に行き着くこと、私にしか書けないと思えた文章が書けたと感じることはある。私にだって、私の文章で誰かの人生を少し変えたことがあるし、Twitterに書き殴る文章も面白いと言ってくれる人がいる。

そういう本当の喜びを、私は忘れたくない。生きるために続けていく必要のある仕事とは別に、私はこうやって文章を書いていきたいし、それを知っていて書かせてくれる人もいる。

情熱を持ち続けられないという、どうしようもない悲しみを知ることで、より躁うつ病とともに生きることを知るのだろう。



【執筆者】
いろり さん
【プロフィール】
27歳・無職・事業所に通いながら少し書評を書いてます


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4件のコメント

みみっく 返信

病院に行ったことはないので明確な診断をもらったわけではないのですが、もしかしたら躁鬱病なのかなぁと思うことが多々あります。
「私の情熱は躁状態なのか」という一文に勝手ながら妙に納得してしまいました。
趣味であれ仕事であれ、何かを持続することができない、一時的にはできていたはずなのにそれが急にできなくなる、それによって自信を喪失し躁からまた鬱になる、と繰り返しています。
私の場合は絵でした。躁状態ならいくらでも描けるのに、一定期間が過ぎると急に何も描けなくなります。
躁状態のときに「これが本当の自分なのだ」と思いたい気持ち、とても共感します。いわば無敵状態ですから。なんにも怖くないんです。それが本当の自分だと思いたいです、できるなら。
でも鬱はぜったいにやってくる。それも含めて自分なのか。私は鬱の私も認めなければならないのかもしれません。
なんだかまとまりのないコメントになってしまいましたが、貴方の記事を読むことができて良かったです。失礼しました。

いろり 返信

みみっくさん、コメントいただき本当にありがとうございます。お返事が大変遅くなり申し訳ありません。
躁鬱というのは人格に関わらず起きてしまう症状ではありますが、単に鬱よりもできたりできなかったりするので自分自身にも他人にも性格の問題ではないかと考えられやすいと思います。診断は受けてらっしゃらないとのことですが、性格の問題ではなく症状ではないかと気づかれる過程はとても苦しいものだったろうとお察しいたします。同じ苦しみを味わった人間として、共感してただけたことを心から嬉しく思います。躁と鬱、生きていくことで傾向と対策をとりながらだんだんと二人の自分として認めていけたらと思っています。ご自愛ください、本当にありがとうございました。

しめやか 返信

共感しました。自分も双極性障害(II型)です。

今までの人生、「これがやりたい」「これで食っていける人間になりたい」と思っても、長続きしなかった記憶ばかり。例えば世の中の絵の好きな人を見ていると、毎日のように絵を描いて、コンスタントに発表を続けて、それを何年か続けていくうちに大成していくケースをよく見かけます。しかし自分は、継続ができない。そういうことがあると、悩みますよね。

少しずつですが、自分はそういう安定して継続する人間にはなれないことを認めつつあります。躁のとき、鬱のとき、それぞれのときにそれぞれ無理せずできることをやって、波があってもそれが生活として、仕事として成り立つ生き方を模索していきたいです。鬱になったときはこんな考えも自分で信じられなくなるかもしれませんが。

自分は現在無職で、そろそろ仕事を見つける活動を始めたい、けれど何からやろうか見通しが立たないという状況でした。いろりさんは就労移行支援に通われているということを読み、一つ選択肢にしようと思いました。

長文失礼しました。あなたの話を聞いて自分を見つめ直せた気がします。ありがとうございます。

いろり 返信

しめやかさん、コメントいただき本当にありがとうございます。お返事が遅くなり大変申し訳ありません。
「継続」ができないということは、社会生活を送る中でかなり影響する部分だと思っています。自分自身で認めることも大変なことですが、躁と鬱を抱えながら生活や仕事をすることはそれ以上に難しく感じます。身近な人はもとより、仕事上で出会う人たちに自分の言葉だけでは説明しきれない。そう思い、私は就労移行支援事業所に通うことを決めました。一定期間通うことで自分の症状をスタッフと確認しながら生活し、その上で障害者雇用で仕事を探せば、スタッフの客観的な目も含めて自分に合った仕事が見つかるのではないかと思ったからです。私も挑戦しているところなので確実なことは言えませんが、しめやかさんの選択肢のひとつを作れたことを嬉しく思います。こちらこそ本当にありがとうございました、ご自愛ください。

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