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メンヘラ談義まとめ

自助グループ
生きづらさ研究会

先日ツイッター上で行われたメンヘラ談義をギュッとまとめてみました。

ぎりさん 「メンヘラ」という言葉を自分に使うとき、メリットデメリットを理解してうまく利用して自分の生きやすさへとつなげていく、そうしたやり方もあるんですよね。
そうかと思えば自分が過去にやらかしたことでメンヘラに対して自責の念に悩みつつも共存している方もいらっしゃいます。
私は立場上当事者とその周りをまきこんでの「環境の変化→生きづらさの認知、軽減」も頭にあるので、できるだけいろんな人との関わりを通して個々の(メンヘラの)生きづらさを知ってほしいという思いもあります。

よくメンヘラっていう言葉が出ると「かまってちゃんだろ」とか「甘えアピールだよね」って言う人いるじゃないですか。
「よく知ってるな」って思うんですよね。きっと過去にそういった経験がおありなんだと思いますが、そういった方達も当事者なんですよね。
そういう人たちの方が「いるよね、そういう人」って遠巻きに見ていたり無関心を装う人たちよりはより理解してもらいやすいと思うんです。
「そんな簡単なもんじゃない」って言われるかもしれませんが、もちろん簡単じゃないしそのための場の設定といった労力や時間を割くことも必要になります。そのメンドクサイことを、うちで設定しますので集まって話しませんか、というのが私のやっている「生きづらさ研究会」なんです。
…っていう、宣伝ね(笑)




りん 『私メンヘラなの』会話の中でそう聞いたら、その先の話を何人の人が耳を傾けるのか。(医療機関や、専門家を除く)もちろんシチュエーション等にも影響されるだろうが、大概は広義的な意味でのメンヘラと捉えて冗談か『こいつやべーな』とその後の人間関係に距離を持たれるかではないか?
もし歯止めをかけたいなら〜社会的に成功、精神的に繋がれる人と生活する等〜をなし遂げるには何がいいか。
その模索を能動的にかつ継続してやりつづけない限り社会や友人との隔たりを感じてしまうのではないだろうか。むしろこの模索だけが生きる意味なのかもしれないと最近は思う。

ぎりさん そうですよね、なかなか普通の人…っていう言い方もあれなんだけど…多数派から理解はされにくい。
メンヘラを自認している人ってだいたい「どうせわかってくれない、理解してもらえない」っていうあきらめを持っています。
「あきらめる」ということがりんさんにとって必要なことだったのかもしれません。
あきらめや悲しみ、怒り、そういった現状を否定せず未来へのスタートになれたらなって思うんです。そのためには「今の、過去のつらさ」の受け止め・受け入れがなければ踏み出せないんです。だからこそそれらを語っていくことが大事なんじゃないかなって思います。
りんさんは「あきらめたくはないけれどー」っていうお気持ちなんでしょうか。

りん あーでも一番諦めたいなら、生きること。これができれば本当嬉しいしスーッとする。




みなと メンヘラと入れて検索したらTwitterさんがもう自殺防止センター出してくるの、もう「メンヘラ=危ないやつ」でしょこれ・・・

ぎりさん メンヘラ→リスカ、OD→自殺危険度高い。そういうわかりやすさこそ、メンヘラの持つ威力、なんですよね。威力を高めて気づいてもらう、助けてもらう、はずなのに逆にそれによって人を遠ざけることにもなってしまっている。この矛盾。
そうなると、あのセンターの宣伝をさせているのも「危険を被りたくない周りの圧力」でもあるのでしょう。本人を助けるためと周りの意見。
そりゃ本人からも周りからも嫌われるよね、どっちも自分たちの目線で「なんとかしてくれよ」っていう(笑)

みなと 相手を傷つけたくなることありますよ、例えば全員に配っているものをうっかり私だけに配り忘れていることに気付いても言わない。「後で気づいて反省すればいい」とおもってしまう。悪女か!

ぎりさん こーいう傷つけ合いってなんなんだろう。お互い愛されたい、愛したいがうまくいかなくて最終的に残った手段が「傷つけ合い」だった、なのかな。これならいやでも伝わるし。へんな「平等性」みたいなもんがある。
あー、そういえば昔傷付いていた彼女と一緒にいた時は「俺も一緒に傷ついた場所に落ちたから平等だ、これぞ愛の証!」って思ってた事があったわ!!
「愛」も「傷」も相手に残す呪いのようなもんだ。
メンヘラ って、本人とその周縁部の人たちとの相互の努力で作られ維持されてるんじゃないかって思った。それは傷つけあい(無視や無関心的態度も含めた)、という愛情表現で強く心や身体にきざまれる。呪いのように。

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ぎりさんさん