私は21年間生きていて、その21年間のほとんどずっと生,,,
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私は21年間生きていて、その21年間のほとんどずっと生きづらさを抱えていたんだと気づいた。
一番最初の記憶の私は、保育園の玄関で何時間も泣いている姿である。面倒見が良い保母さんも呆れて放置せざるを得ないレベルで母子分離不安が強かった。
どうして自分は周りの子供たちが普通にやってることができないんだろう
どうして自分は周りの子供たちが当たり前に理解していることをわかっていないんだろう
どうして自分はクラスの的になっているんだろう
大人しくて弱々しい感じの子は私の他にもいるのに。どうして私なのだろう。
どうして母がそんなに激昂するのかが分からなかった。どうして手を上げられるのかも分からなかった。何も理解できない上で責められるのは、辛かった。
(単純に馬鹿なのかもしれませんね)
私はこうしてすぐに考え込んでしまう癖がある。頭の回転が速いと言われれば聞こえはいいが、辛い事柄についても深く考え込んでしまう。そして傷つく。
あと、記憶力が良く昔から人から言われた言葉やしてもらったこと(されたこと)は事細かくまで覚えてる。だから良い思い出は大切にしまっておけるのだけど、トラウマになるような出来事も強く残ってしまう。
そして、私は感覚過敏である。まず耳が良く音楽の美しさを感じることができる(と自負している)でも、うるさい人混みへ行くとあらゆる人の声や物音でいっぱいいっぱいになってしまう。一緒にいる人の話を聞き取れないこともある。
そんな現在、私の周りには幸い自分に好意的な人がほとんどで、そんな人たちから言われるのは「面白いね」。
ああ違うんだ、周りの人の言動から色々気づいて
、学習しているけどまだ全然矯正が追いついていないだけなんだよ。と思う。
でも否定ではなく、そう好意的に捉えてくれていることに大きな感謝の気持ちがある。
これからも人との関係を大切にしたい思いはある、だからこそ頑張って心配をかけたくない。
でも前述の通り、親しい友人からも「ハイコストな生き方」と評される私。
なんでこんなに疲れやすいのかって、それは人に比べて省エネじゃないからだろうね。オンオフをぱちんって切り替えできたら良いのにとすごく思う。
HSPという概念を知ったのは今年の初めで、あらゆる症状が自分に当てはまった。
ああ、そうなんだ、自分は人より感覚が過敏なんだな、神経質なんだな。
自分の神経を使いすぎてしまわぬ配慮を意識した。少しだが楽になったんじゃないかと思う。
でも、それだけだ。
生まれ持っての気質はなにかの病気のように治らない。そのことがとても辛く感じる。
何十年もこの気質に振り回されてきて、そんな自分を好きになれるもんか。そう思う。
病気になりたい訳ではないが、周囲の人に自分が怠惰だと思われてしまうことが悔しい。
何よりも、頑張りたいのにダウンしてしまう自分に対して腹が立つ。
私は、社会に適応したい。本当は消えて無くなりたいけど、それは無理だ。
こんな自分でも生き辛くなく生きていけるんだったらそれがいい。
他者から言われた。
「普通はそんなに考えないよ」
「シンプルに捉えるんだよ、あなたは複雑すぎる」
…私はその普通が分からない。人から見聞きしているけどまだ掴めそうにない。
私に普通の感覚を教えて欲しいし、その感覚で生きてみたい。生きづらさから解放されたい。
無理なのだろうか。
回答一覧
はじめまして。お悩みを拝読致しました。私もよみの様と同じ年で、数日前にHSPを知りました。私もHSPに近い特性を持っているのかなと思っています。
感覚が鋭かったり、感受性が豊かすぎたり、考えすぎたりしてしまうのはとても疲れるししんどいですよね。私も、「どうやら普通の人はそうでもないらしい」と知って驚いています。そんな時「どうして私だけ」とか「治すことはできないの」とか思ってしまう気持ち、非常によくわかります。
このサイトで言われたことの受け売りになってしまうのですが、大切なのは自分の特性を知り、上手に付き合うことだと思います。
私は、これまで自分の特性について正しく理解していませんでした。同時進行の作業が苦手なのに無理をしてバイトをしていました。苦手だなと思いつつも飲み会に参加しては落ち込んでいました。
寧ろ器用な人間の振りをして、なんでもできるように見せかけていました。
しかしその度に何故かとてもしんどく疲れるので、自分は不器用なんだ、もっと頑張らなきゃと思っていました。
自分の特性を知ってからは、「苦手なことを自分のせいにしなくていいんだ」と気が楽になりましたし、これから先、苦手なことを避けることもできるのではないかと考えています。
ですから、よみの様が自分の特性をちゃんと理解しておられるということは、生きづらさを緩和する対策を立てられるスタートラインに立っているということであると私は思います。
「普通の感覚」というものは、あってないようなものだと思います。自分から見て「普通」な人も、本当は疑り深かったり、自信がなかったり、逆に自信がありすぎたりするのではないかと考えています。よみの様の感覚を変えることよりも、自分の感覚を知り、しんどくならないような対策を立ててみることに注目してみてはいかがでしょうか。
よみの様が少しでも生きやすいと感じられるようになることを祈っております。
匿名希望様
はじめまして。HSPの特性をお持ちなのですね。
おそらくですが、自分の感覚を周りから変、おかしいなどと言われて傷つくことが多かったため、自分の感覚に自信を持てなくなってしまったのだと思います。
自分の感覚を治すより、その感覚とどう付き合うか。そのお言葉、大事なことだと思います。
ご回答ありがとうございました。
匿名希望様もどうか穏やかにお過ごしくださいね。
相談内容を拝見しました。
私は、自分の「普通」はわかるけれども、
相手の「普通」って、私は、わからないとは、思っています。
私の「普通」は相手の「普通」と違うと。。。
私は私だし、相手は相手だし。
私と相手が同じなら嬉しいことかも知れないけれども、
私と相手が違ってもしょうがないというか。。。
(「ゲシュタルトの祈り」みたいな考え方ですが。。。)
それは、さておきなのですが、
感覚過敏の場合、既にお調べになっているかもしれませんが、
視覚、聴覚、触覚、等の過敏性を見極めて、
自分自身が疲れない様に工夫する必要があるとは思われます。
視覚なら、サングラスを利用するとか、
聴覚なら、ノイズキャンセルヘッドフォンを利用するとか、
触覚なら、服の繊維(?)とか、洗剤に気をつけるとか。
私は、最近思うに、「生き辛さ」というものは、誰もが抱えている気がして、
それを言葉にするかしないかは別にして。。。
(言葉にしないから、偉いとか、言葉にするのが、ヨクナイとか言いたい訳じゃないですが。。。)
よみのさんは、周りの方と、助け合って、生きていけるとよいですね!
ふと、そんなことを思いました。
何らかのご参考になりましたら幸いです。
110_TakahiroIto様
自分の感覚に自信を持てなくて、普通の感覚ということに拘ってしまっていたのだと思います。
生きづらさは誰もが抱えている。確かにそうですね。その生きづらさによって人生の大半ぼろぼろになってしまっているので、私はそこをスルーすることはできません。
感覚過敏の対策法、考えてみたいと思います。
ご回答ありがとうございました。