安全基地がほしい。助けてほしい。 ※相談のカテゴリという,,,

nonameさん
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noname
さん

安全基地がほしい。助けてほしい。

※相談のカテゴリというより、つぶやきです。
いろいろ溜まって書きたくなりました。
同じ内容の相談もしています。
ですが具体的な何かができそうなら、お話を伺いたいです。
乱文ですがよろしくお願いします。
正論や厳しい回答はやめてください。
求めていません。
とても耐えられません。

30歳を超えた男性です。
中学を最後に、生きている実感と心にそこにあった基本的安心感がなくなりました。
また、今をもってしても、自分が何をしたいのか、自分のアイデンティティもわかりません。
外に向かって働きかける必要があるにも関わらず、自分の立つ場所すら不安定すぎて、自信に繋がらないし、生きている実感もなくて、ただただ気持ち悪いです。
大人になった僕でも、「自分で自分を愛するしかないんやで」「あいつはああいう奴だ」「なんでもっと早く言わなかったの?」と言わずに、「どうしたの?何があったの?」と受容的共感的に尋ねてくれる寄り添いをしてほしいです。そこから地面に足をつけて「ああ、生きているっていいなあ」という原初的な実感を得たり、あるいはそれが永久に手に入らなくとも大丈夫なんだと言えるだけの実感を得たいです。
そしてそこで培った安心感を元にして、自分を受容し、他者を受容し、自分の意思と能力を理解し、その上で「世の中では何度でもあなたが望むようにやり直しができるんだよ、そのための道もあるんだよ」「そこにいくための力を共につけてゆこう」「どんなものでも間に合うんだよ」という確かな実感を感じて、進路を選び、そこに向かって働きかけ、自活してゆくまでを支援してほしいです。

そのような安全基地を教えてください。あるいは、あなたに僕の安全基地になってほしいです。
「自分で自分を愛するしかない」「自分から求めないと手に入らないんだよ」とかの話はもう永久にやめてください。
来談者中心療法の受容と共感はいいですが、壁のような相談なんかじゃなく、学校の先生や用語教師の教育相談的な態度の方が助かります。まず受容から入りたいです。

僕が何に困っているのか、わかってほしいです。
わからないものをわかってほしいというのは大変おこがましいのはわかっております。
けれど共にいることで、僕という人間を観察し、どういう状態なのかはつかめるはずです。
そういう観察的な部分から入る「わかってほしい」というのが無茶なのでしょうか。

受容を人に求めることは、そんなに悪いことなんですか。
僕は、他者を介した情緒的かかわりによって基本的安心感と信頼感を回復させ、その上で具体的な進路の手立てについて考えてゆきたいし、そのための支援を求めています。受容が苦手な人はたくさんいるし、その人に自分の求めてるものは言えても要求はできません。
そんなものはなくとも、お互い尊重して生きて行ければいいのかもしれません。
しかし、うまく言語化できないのですが、それでは僕は立ち行かないのも感じております。
受容といっても、頭を撫でてほしいとか抱きしめてほしいとか・・・そりゃあ、そういうのもあったら嬉しいですね。
でもそこまでいかなくても、じっくり話を聞いて、「どうしたの?何があったの?」「そっか、ならこうやってみよう」と気持ちを受け止めつつ応じてくれたり、一緒に何か頑張って苦労を共にしてくれたり、失敗があっても「いいんだよ」と言って受け止めてくれたり、うまくいえないけれど、そこそこ的確な応答性による受容でもいいんです。
ずっと受容してほしいなんて言いません。
僕が自立するための場所であってほしいのです。

「自分で理解者を探すしかないんだよ」ではなく、「あなたに理解者になってほしい」んです。
わがままを言わせてください。
そういうむちゃくちゃな要求を、もうおろすことはできません。
ただ寄り添ってほしい、たったそれだけなんです。
大人では永遠に手に入りませんか。
僕の話を聴いてください。
受け止めてください。
助けてください。

つぶやき 安全基地 基本的安心感 支援

回答一覧

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

ご希望の「寄り添い」、私も欲しいですねぇ。。。そう思っておられるかたも多いのではないかなぁって思いながら拝読させていただきました。

これまで、心療内科(3件)、児童センター(1件)、カウンセラー(3件)、友達や年長の知人数名、に、お世話になってきた、私、一個人の考えをお伝えしてみようと思いました。
ご参考になれば幸いです。

お望みのような高度な寄り添いができるのは、素人には難しいかなぁと、思いました。ちょっと相談にのるとか、励ましの言葉を自分の余裕のあるときにかける、とかと違って責任も重いですし。

それなりに、子育てや、人を支えるスキルのある方々と接してきましたが、私のようなAC的な要素での躓きを持っている人を支えるのは、それなりに特殊な知恵が必要なんだと感じています。素人はどうしても知識にばらつきがあります。

先に挙げた中で、最も「寄り添い感」が高かったのは、カウンセリングで、スクールカウンセリングの経験も多い家族問題を得意とされている方でした。
カウンセリングは、自分がどういうゴールを目指していて、どういう支えられ方を希望しているかを伝えて、どのようにいっしょに回復をはかっていくかを、共に探ってゆき、課題を見つけて励まして貰いながら取り組む、という感じでした。
本来、カウンセリングは、本人が回復していこう、思考を整理していこうとするのをサポートするのが仕事ですので(なかには驚くべき傲慢さを示す不届き者もありますがそういうのは即刻チェンジすればいいです)、ご要望には近いものが見つかる可能性はあるように、思いました。
お力になれなくて申し訳ありませんが、こんな感じです。

質問者のコメント

まめさん
お返事有難うございます。

「寄り添い」という言葉に惑わされますが、実は一般化できない専門的技能ですよね。ただ、スクールカウンセリング経験者のカウンセラーと、「ご要望には近いものが見つかる可能性はあるように、思いました。」という経験則からくる意見は、十分力になりますよ!
今は全く動き出せていませんが、もう一度受け止めてくださる方を探したいです。共感と具体的情報に感謝します。

KY
KY
さん
KY
KYさん

nonameさんの気持ち、よくわかります。

自分で自分を愛することは自己受容の最終型であり、いきなりそれができるようになる人はいません。

もし俺は最初からできるという人がいたとしたら、それは自分が恵まれていたことに気が付いていないだけでしょう。

私はnonameさんの求める支援ができる施設などは詳しくないため、直接力になれなくて申し訳ないですが、少なくともあなたの考えはおかしくないと私は思います。

質問者のコメント

KYさん
お返事有難うございます。

力になれないと仰いますが、そのように共感して下さるだけでも励みになります。上記をSNSで言うと、恐らく批判的に拡散されます。それを回避するだけのメンタルと論理的な文章力が僕にはありません。そんな中でこういうことを言ってわかってもらえるのは、とても嬉しいです☺️。
最終的に自分を愛せるようになればいい。
自分が楽になるような方法で良くしてゆきたいです。