メンヘラや精神障害というとレッテルにもなるけれど、そうい,,,

Cさん
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C
さん

メンヘラや精神障害というとレッテルにもなるけれど、そういう括りがないとそれをただの甘えとか努力不足とかで片付けてしまうこともできる。
そういう意味でレッテルもある意味役に立つ。
区切りがあるおかけで、何の問題もなくストレートに生きられている人と純然に比べたり比べられたりしなくて済む。区切られた異なる前提から見えてくる人生がある。区切らなければそもそも人生は用意されていないようなもの。
目の見えない人が健常者と同列に扱われたらひとたまりもない。でも盲目の人はたくさんいてひっそり生きている。その人たちが健常者より生産性がないのに人目に触れても危害を受けずに生きられるのは区別の意識が社会に浸透しているからに違いない。
盲目の人なら見ればすぐに分かる。でも障害が軽度になっていくほど普通との違いを見分けるのは難しい。でも精神疾患は目が見える/見えないのように、物質的に科学的に明確に存在しているもので、既に鬱なんかは名前だけなら完全に社会に浸透している
目の見えない人をいじめる人がいたら、その人は目の見えない人と自分を区別せず、同列に考えている。その人は、目の見えない人に対して健常者であり、負うべき社会的責任が違うことを理解していない。目の見えない人にバスの運転手はさすがにできないけれど、健常者のその人にはできる。むしろ目の見えない人に比べればたくさんのことができる。その人は目の見えない人より重い使命を負っている。要は、できるのならしなければならない。がんばれるのならがんばらなければならない

メンヘラ的なものの行き着くべき先は、1つの層・集団として社会で当たり前に認識され区別されることなのだと思う。身体障害よりもう少し流動的なものとして。それ以外に救いなんてないと思う。

こう考えた上で、しかしそれは無理だと思う。目に見えにくい違いが明確な社会通念になることなんて不可能だと思う。首にカードでも下げておくか、胸にバッチでも付けておくか、頬や手にマークでも書いておけばいいのかもしれないけれど。

救いのある話に見せかけて、救いはない、つぶやき

つぶやき

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みずから
みずから
さん
みずから
みずからさん

こんばんは

結局のところ、自分で自分を助けてあげられたり

救えるとしたら他者と方法を共有したり

まあそれでも

どのようなすべての「問題」に対して「解決」を宅配ピザのようにとはいかないわけでして

要は「時間が欲しい)の一言に尽きる

片思いで良い別れ方が出来なかった30人とどのように再会すればよいか

地域や経済圏の発展のために何を学ぶべきか

ワタシハドコカラキテドコヘカエルノカ

そんな悩みは悩みではない、煩悩だとか言われてるけど

まあ…人それぞれで良いじゃん?

問題に対しても、答えも

ストロークもアプローチも違って良いはず

質問者のコメント

メンヘラの人を一緒くたにして述べたことに対しての意見、ということですね。

本当に、視点は無限ですからね。人それぞれ考えた中に希望もあるかもしれません。

でも一歩下がって見れば、常識、世間、既存の社会構造、生まれた時点で組み込まれている。個人で考えたことなど、海から跳ねた、海になりたい水滴のようです。