相談です。仕事上というより、仕事の些細な関係性からプライ,,,

Cさん
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C
さん

相談です。仕事上というより、仕事の些細な関係性からプライベートの範囲での話です

自分できるアピールはしたくないからわざと不完全な形式で提示するのに、
後からその完全でない部分で自分が判断されているに違いないと気にし始める、というのをずっと繰り返しています

自分に自信がないからそうするんだとは思います。100%は維持できませんし、何かしら頼られる自信もありませんから

でも、不必要に全部を出して相手を萎縮させてしまうのは、純粋に避けたくなります

自分が100%と思ってもどうせ高いレベルから見たら全然至らないものなのでしょうが

ならいつも極力出していけばいいかと言えば、絶対にそんなことはない。必ず相手によっては威圧することになります

自分にもそれなりの価値はいろいろな面であるでしょうから

なら、相手によってどれだけ出すか変えようとすると

というかそうしてる人もいます。でもあまり好きじゃありません

ある人の前では100%自分を出しているのを見ていた他の1人には50%で接したら

人によってはそれは傷つくでしょう。というか、それほど自尊心をくすぐるものもそうないでしょう。恋愛や友情にヒビが入るのも大体そんなことです

だからいつからか、誰に対しても一定のダメさを含んで接するクセがついてしまっています。ダメな割合が増えていっている感もあります

なのに、その意識的に出し切ってない部分ですごく悩んでいるんだから、おかしい話です

もちろん、それでも人によって接し方はそれ相応に変えている部分もあります

でも時々かなりダメージを受けるので、何か形式を変えないといけないと思います

これは、単に自分をうまく出せない、表現できないだけの未熟な話なのでしょうか

逃げか、気にしすぎか、完璧主義か、甘いのか、偏屈な考えでしょうか

それとも、こうして悩んでる人は意外にいるでしょうか

思うことがあれば、否定でも肯定でもよろしくお願いいたします。

相談

回答一覧

リダ(元だいず)
リダ(元だいず)
さん
リダ(元だいず)
リダ(元だいず)さん

僕の言ってる話が間違ってたらすみません、と前置きさせてもらいます。

僕も最近始めたアルバイト先で、「飲み込みがはやい」と評価され、何でもかんでもやらされました。本当は少しできない風を装おうと思っていたのですが、完全に失敗しました。

でも、その中で、例えばAさんに教えて貰ってもうできるものを、Bさんが僕は知らないと思って教えようとしてくると、出来ます精神が湧いてくるんですよね。不思議です。
できるように見せたい、わかってることをアピールしたくなるんですよね。

たぶん「よく見られたい」、「完璧主義」なんだと思います。
でも僕も悩んでるひとりなのでアレですが。
まあ悩んでるのはCさんだけではないですよ、と伝えたかっただけです。
乱文失礼しました。

質問者のコメント

その気持ちすごいわかります。でもそれは自分を出したい欲だと思います。

微妙なニュアンスなのですが、自分が自分を発揮しすぎるために、相手の何かを侵害するのが怖い、という感じです。僕はなんせ他人のそれが怖いので。どちらかというとブレーキの話なんだと思います。

バイト、そのまま上手く行くといいですね。

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

「自己主張」と「謙遜さ」とのバランスで悩んでおられるのかな?と感じたので、その事に触れてみます。

感じておられるように「自己主張」は結構相手を傷つける場合が多いですよね。

「謙遜さ」なのですが、これ、ただ単に「自分を抑制する」という方向だけに使っていると、これまた「相手を信頼していない」「相手を見くびっている」などというとんでもない明後日の方向にいってしまいます。

実は「謙遜さ」は「抑制」だけではなく、「自分の能力を尊大にではなく客観的に把握させる」こと、そして「状況に合わせて利己的ではなく利他的なことに自分の能力を活かす」ということをさせてくれる人間の持つ特質のひとつです。

…相談者さんは、この「謙遜さ」という、自分と他者とのバランスを取り自分を上手に活かしていこうとする特質がキチンと備わっておられる方なんだなぁ…と文面から拝見いたしました。

お悩みではあるようですが、「相手にとって必要とされている自分の能力」をアピールなどといった「利己的な動機」でなく「利他的な動機」、つまり相手の「その時の必要度」に合わせて表現していくなら、相手に、自慢などの高ぶったところのない爽やかさを与えることができるだけでなく、信頼(その時はよく感じられないとしても)も勝ち得てゆくことができるものです。
五十年近く生きて来ましたが、結局最終的に人望を集める人ってそういう人だと感じています。

…「自己肯定感に関する自己主張」への影響ですが、自己肯定感つまり自分軸があるということは「自分の意見をしっかりと“持てている”」ことですので、この「謙遜さによって自分をコントロールすること」とは相反するどころか、「自分の能力をキチンと自分で把握して自己評価できていて尚且必要に応じて自己表現し尚且好評価を得やすい」ことになるわけですので、これを進めていくことは、より自己肯定感をupする効果がありますから、心配はないと思います。

何か具合が悪いようでしたら、「自分を圧し殺してまでしていること」が他にないか、探してみるといいかもしれません。

参考になったら幸いです。
長文失礼致しました。

質問者のコメント

ご回答ありがとうございます。能力とは利他のためにあり、その限りは自己肯定感が付随すると噛み砕きました。

謙虚が適切な能力の発揮を含むなら、自己主張アピールは邪魔なだけで、社会は謙虚に収斂され、謙虚という言葉も本当は必要ない。間違っている人が多いから謙虚を説くといえます。

肯定感がない=高望みなのかもしれません。でも適切な能力の発揮に罪がないならなぜ嫉妬は存在するんでしょう…

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

お返事ありがとうございます。
謙虚ではなく謙遜、なんですけれどもね。

それはさておき。
「適切な能力の発揮」に罪があるから「嫉妬」が起こるのでしょうか?
ちょっと違和感を覚えました。
悪いことが起こるからといって、その存在自体に罪があるわけではないですよね?

嫉妬などの「罪深い行い」(私は罪深いとまでは思っていません、人間のもつ負の自然な感情だと思っていますけれども)自体が「罪」なのであって。

…悪いことが付随してくるからといって、そのものが罪深いからではない、ということを証明するって難しいですね…

かのイエス・キリストが「憎まれた」のは、「聖書にかかれていることそのものに対して全く罪を犯していなかった」からとも言われています。
正しいことをすると、正しいことに反している人々の心を逆撫でる、彼らの良心を刺激して止まない、あるいは羨望されるので、彼らから疎まれるように、嫉妬されるようになる、ということが起こるわけで。

嫉妬が起こるのは、それを引き起こすモノの問題ではなく、「受け止める周囲の個個人」の問題なんですよね。

…こういう切り口はいかがでしょうか?

質問者のコメント

読み違い失礼いたしました。

確かにその通りです。それでも、確実に嫉妬や羨望、競争心は現象として起こります。その上でどうすればいいのか、ということが言いたかったんですが、字数制限で削りまくったのですみません。

これについては、もう少しじっくり考えてみたいと思いました。ご回答誠にありがとうございます。

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

こちらこそ分かりにくい書き方でごめんなさい。

『その上でどうすればいいのか』
を含めたつもりでした。

利他的な動機で最小限に表現するよう努めたのなら。
「周囲や相手がどのように反応するか」は「彼ら自身の問題」で。
こちら側からどうこうしようとするのは、相手をコントロールしようとすることになってしまいます。
残念ながら無理なこと、自他の境界線の越境なんですよね。
負の感情を抱くのも、その人にとっての自由の行使で。

…というふうに、「自分の守備範囲以外の問題を諦めて手放す」ことも疲れきらないためには必要だ、ということを最後の数行に凝縮してしまっていました。

質問者のコメント

察するに、まめさんも自己主張は最小、利他は最大の微妙なバランスを狙っており、それを最善と考えている、ということですね。そういう方もいると思うと救いがあります。

僕は自己主張を抑えるのはできても、利他ができていないのかもしれません。自分を抑えることを利他と思っているのかもしれない。。。