両親には物質的には感謝していますが、精神的には感謝や尊敬,,,

でくのぼうさん
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でくのぼう
さん

両親には物質的には感謝していますが、精神的には感謝や尊敬が出来ません。わがままだ、親不孝者だと言われれば返す言葉も無いのですが、それでも物心ついたことから今まで、純粋に正直に「親」として感謝し誇れたことがありませんでした。何時の頃からか「自分の家族はどこか変だな」という言葉以外に上手く表現できない漠然とした疑問と、他の家族に対しての羨ましさを抱えて生きてきました。
だからと言って今の自分が免罪されるかというとそうではないのは承知している筈なのですが、そういう思考が日に日に膨らんできていて、いつかよからぬ行動に発展しないだろうかという恐怖も時々感じています。
書きながら自分でも何を言っているのだろうと思うのですが、結局私が死ぬことが一番手っ取り早いと思います。今だグダグダと出来ていないのですが。すべて解決するんじゃないかなと思います。残された家族は知りません。
今自分の抱えている問題という荒れ地を耕すためには、「鍬とスコップ」ではなく「ダイナマイトと重機」が必要です。もう正直時間をかけたくない。かける力も気力もない。手を叩いたら目の前から消えるくらいの勢いが欲しいです。非現実的なのは分かっています。わがままなのも。でもそれしかないと思います。
お恥ずかしながら書きながら泣きそうになりましたが、出るはずの涙も出ませんでした。死にたいです。ごめんなさい。

つぶやき

回答一覧

鬱猫
鬱猫
さん
鬱猫
鬱猫さん

親に感謝なんかしなくてもいいのです。
私は親の立場ですが、産んだのはこちらだし、産んだ以上は本人が困らないようにお金をかけて育てるのは当然であり親の義務であると思うのです。
私も親に感謝なんかはしません。
ましな親に当たってラッキーと思うくらいでしょうかね。
ですが、うちの親は「今になって親の気持ちがわかっただろう?」と、言います。
「いや全然!私のほうがうちの子供よりお金かかってないし!」と言い返しますよ。
「親に感謝しろ教」ってなんでしょうね。儒教の影響でしょうか。
「死なずに大人になってくれてありがとう」というのはむしろ親のほうだと思います。
だから、無理して親のことにこだわる必要はありません。
たまたまこの世で親子になってしまった他人です。
解決にはなりませんが、私の考えです。
親から解放されていいと思いますよ。

でくのぼう
でくのぼう
さん
でくのぼう
でくのぼうさん

 
誤字と解りづらい表現がありましたので訂正させてください。
物心ついたことから→物心ついた頃から
「親」として感謝し誇れたことがありませんでした→感謝と尊敬をすることが出来ませんでした

申し訳ありません。

ダメじゃない
ダメじゃない
さん
ダメじゃない
ダメじゃないさん

共感だけのコメント失礼します。

私も「自分が死ねば全て解決する」と考え、自殺未遂を繰り返していた時期があったのを思い出しました。
「時間をかけず、今抱えている問題や現状をばっと解決したり変えたりしたい」も、恐らく同じようなことを長年思っていました。
苦しくて苦しくて、焦って焦って。
一刻も早く何とかしたくて。
楽になりたくて。
あまりにいっぱいいっぱい過ぎると、涙も出てこなくなりますよね。

ただひたすら共感でした。

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

親にたいして
「生み育ててくれた感謝の念を抱く」「年長者として敬う」
ことと、
「人物として尊敬すること」
とは、別問題、なんですよ。

前者は、人としての道ですけれども。
後者は「親が人物として本当に優れていると思う」ことができるなら、それはそれでよかったね、というレベルのことなんです。
思えないからって、こればっかりは、子供側の主観の問題ですので、我が儘もへったくれもありません。そう思うならソレガ本当なんです。

それから「敬意を払って接する」ことと「尊敬できるじんぶつである」ことは、イコールではないんですよ。
尊敬できない人物にたいしてだって敬意は示せないと社会的に面倒なことばかり起きますよね?
例えば、あんまり立派ではないお巡りさんだからといって不敬に接してよからぬいざこざを起こしてもなんの得にもなりませんよね?
敬意を示すってそういうことです。

子が成長する上では親は尊敬できる部分も兼ね備えた人物であってほしいものですが、理想と現実にはギャップが結構あるものでそうそううまくいかないもんです。

敬意を示すべき対象であることと、尊敬できる人物であること、はイコールではないんです。

親を尊敬できなくても、ある程度の敬意をもって接する(言いなりになることではない)ことをしていれば、重大な問題は回避しやすくなるでしょう。