すっごく加害者になりたくないんだよなあ、だから被害者のフ,,,

下駄さん
回答数
2
下駄
さん

すっごく加害者になりたくないんだよなあ、だから被害者のフリをしてるけど、ほんとは何にも傷ついてるわけじゃないし、傷ついてる人のふりをして仲間のふりをしてるだけで、 というか加害者になりたくなさすぎて何がしたかったのか何が好きなのかわからなくなった。
いいこと悪いことの区別がこの歳になってもついてないし、善悪の基準はひとりひとり違って個人に合わせようとすると気が狂うからツイッターもずっと鍵にしてるけど、でもどこかで他人の意見を見るたびにその人のいう通りにしないといけない気になって怖くなるし、その人が否定していることをすでにやってしまってたら死にたくなるし、見てから毎日謝りたくなるし思い出すたびに脳内で謝らないと気が済まない。人の言うこと聞いてばっかりで自分がないと言われても仕方ないなーって思う。楽だし、実際あんまり持ってていいことはないと思うけど、大して土台もととのってないのに今の世論?みんな?は多様性、多様性って自分の主張を一斉にしはじめてめ意味わかんなくてつらい、暴く姿勢だけじゃなくこっちの自分を守る姿勢も保たせてほしい、こっちはそっちに合わせてるからそもそも見せるような自分もないのに、楽しそうでいいなー。正直誰かに便乗して自分の権利を主張するのはちょっとみっともないなーって思うし、今まで苦労してそこまで追いやってきた人の半分以下ぐらいしか苦労してないのに、その上澄みの集大成をすすって我が物顔にしてる人多くて見ててよくわからなくなる。でもそれが正しいらしいから私は多様性を認めるし、認めさせられてるってのが被害妄想なんだろうな〜って思ってまたしんどくなるけど、しんどくなるのもまた被害妄想だからもうよくわかんない、そもそもどうすれば被害妄想以外ができるんだろう?愚痴って長い方が読み応えあっていいから長々と書いてる。ここでしか言えないから
権利を主張したくないし、出る釘は打たれるから出ないでおくのがいいのになぁって思うけど、それを言うとめちゃくちゃに怒ってる人がいるからどうしようもなくてどうしようもない。私より頭のいい人はたくさんいて、その人たちが論理に憎悪を包んで流してるのが怖いし無自覚なのか自覚してるのか、頭が悪いからわからないけど本当はそこに憎悪すらないのかなって思うとわからなすぎて怖い、わからないのを怖いと思わないほうがいいのかな?少なくとも他人の意見を聞くのにわたしは向いてないんだと思う。他の子が怒られるのを見て泣いた時はやっぱりわたしは気持ち悪がられたし気持ち悪かったな、今までやってきたことが大体悪いことだから報われるべきじゃない、けどそれは加害者が当然受けるべき報いであって被害者ヅラしようとしてるだけだもんなー、被害者を加害者に仕立て上げようとしてる最低の発想が加害者も苦しいんですって発想だよな、苦しむなっていうのが間違ってるのはわかるので、できるだけ長く苦しむべきだと言うしかない。かといって苦しみたくはないけど、流石にそれはお門違いで、別にこれを否定してほしいわけじゃなく、苦しめって肯定がほしい。もうどんな、批判の形でもいいから肯定してほしいけどコメ欄で肯定しないでいいからね、やっぱり他人の手を煩わせるのは嫌だしわたしはいい子になりたかった、理想の娘になればいいってわかってるしなり方もわかってるのにならないのは怠惰だよね、お母さんごめんなさい。

つぶやき

回答一覧

まめ
まめ
さん
まめ
まめさん

呟きにお邪魔します…

『他人の意見を見るたびにその人のいう通りにしないといけない気になって怖くなるし、その人が否定していることをすでにやってしまってたら死にたくなる』

こういう状態で、学校とかTwitterとか、とても辛い気持ちになるでしょうね…

「自他の境界線」って聞いたことがありますか?
自分と他の人との間にはっきりした区別を持てていないと、ご自身でも自覚なさっているように、自分がない状態、いつも誰かの基準に合わせていないとならない状態になってしまい、でも、自己はひとつだけですから、そんな不特定多数の基準に合わせて生きるなんて不可能なんですね、なので、メチャクチャひとりで勝手に振り回されてる感でくたびれきってしまうんです。
『お母さんの理想の子供にならなきゃならない』という考えもそういうところから来るんですね。

「自他の境界線」の構築の方法、ネットにもいろいろ出ているので調べて試してみられるといいと思いますよ。
私は50才で始めました。

鬱猫
鬱猫
さん
鬱猫
鬱猫さん

「人を傷つけてしまう」ことが加害者と思われているのでしたら、それは生活していく以上仕方のないことです。
お昼に少し高いカップ麺を買っただけで「あいつは金持っている」と言う人もいます。
他人の言動に振り回されないように周りを気にしないことです。
「それができれば苦労はしない」でしょうが、慣れてくると平気になります。
好かれよう、周りに合わせようとすればするほど空回りして人間不信になります。
自分を嫌っている人の本心を知るのも悪くはありません。
それでも親しくしてくれる人が本当に大事な人となります。