長くなります。 私が度々このような長文を繰り返しているの,,,

ユーザー5583さん
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ユーザー5583
さん

長くなります。
私が度々このような長文を繰り返しているのは、あとから自分で読み返したいからなのかもしれません。悩んでいるときの自分がどのような思考をしていたかを思い出すためか、はっきりした理由はわからないけれど。

Twitterでフォローもフォロワー数も少なめのこじんまりとした趣味アカを持っているのですが、数の少なさ故に誰かにリムーブされたりブロックされたりすると大体すぐわかってしまうので「あぁ、あの人が離れたんだなぁ」と名指しでも把握できてしまうのがちょっと辛いです。
今日また1人におそらくブロックされました。今のアカウントを作って明確に嫌われたか気に入らない何かを私がしてしまったのだろうと予測できるブロック(相互フォロワー)は2人目です。もともと1人目と繋がりのあった方だったのでそのころからちょっと懸念はしていました。完全にそれ関連とは限りませんが。
この時点で、こうして細かく気にしてその人のことについてあれこれ詮索するようなことを延々と考え続けてしまう自分の自動思考がとても嫌になります。気にしなけりゃいいのに、よせばいいのに。
いつだったか、TwitterなどのSNSで誰かにリムブロされることに悲しくなったり落ち込んだりすることについてのメンタルケア理論を別のウェブサイトなどで読んだことがあります。曰く、人は集団から疎外されることを本能的に恐れるように作られているので、誰かから「嫌われる」という行為をとにかく嫌がるように設計されているのだそうです。だからTwitterなどでフォロワーが多少なりとも減る現象にどれだけ前向きでいようとしても「誰かに嫌われた、飽きられた」と思って心を痛めてしまうのはしょうがないことで、反射的な生理現象なのだと。
離れてしまった人のことでぐだぐだ考え込んでしまうより、まだ残って仲良くしてくれているフォロワーのことを考えるべきだとも思えます。幸いにもまだ付き合いのあるフォロワーもいます。
ですが、何回かこういうことを繰り返していて、私にとって仲間とは、友達とは、SNS上のフォロワーとは、どうしても必ずいつか私の前からいなくなるし、今がよくてもいつかはきっと私のことを嫌いになるか、嫌うまではいかなくてももうこの人とは関わらなくていいかなと簡単に切り捨てられる程度の存在でしかないのです。
じゃあそれ以上に何を求めているのかと自分でも不思議に思うのですが、それ以上が思い浮かばない。何が私にとっての最善なのか。一生自分に寄り添ってくれて自分のことを何でも分かってくれて、肯定してくれて構ってくれたりするようなそんな存在がそこまでして必要なのか。そこまでべったりな他人なんてかえって気持ちが悪いと思えます。が、こういうことを考えている時点で私にとっての理想はつまりそれになってしまうんだと思います。
先ほどいつかはいなくなると言いましたが、どこの世界でも最終的には死別という別れは遅かれ早かれあります。いくら気の合う仲間や同志と出会えたとしたって寿命があります。それ以外の別れが圧倒的に多いだけです。
それ以外の別れがこれから先、SNS上のものも含め私自身が関わった人間の数だけあるんだとしたら、私はこれ以上誰かと関わり続ける必要があるんでしょうか。せっかく仲良くなれたと思えた人でも信じられなくなります。既に信じ切れていない。信じたくなくなってきているので、誰かをうっかり信じそうになった時はなるべく「信じるな」と自分に言い聞かせています。
ここで言う「信じる」こととは、単に相手の人すべてを信じないというわけではありません。完全に、100%の心を許すなという戒めの意味での信じるなという過去の自分からの警告です。
それでもやっぱり私の性格の根底には馬鹿正直というか、学習しないというか、元来から結構騙されやすい傾向を自覚していましたがおそらくは人を信じたいのもあるんだと思うのですが、その場の勢いで他人を信じ切って突っ走ることがあります。ここ最近の今のTwitterアカウントでこういった問題が何回か起きたことでやっとそのブレーキがかかり始めてきたような気がしますが。
誰かに勝手に期待して失望するのがどれだけ自分を疲弊させて無駄な労力を使うかもう何回も経験してわかっているはずなのに同じようなことを何回も繰り返してしまう。こんな愚痴ももう何回も繰り返している。
色々な方向に話題が飛びましたがTwitterでブロックされたのがちょっと辛かったので(ある程度の免疫はついてきてたのとちょっと疲れていたから我ながらそこそこ薄い反応で済ますことができたけれどやっぱり辛かったので)いろいろ考えていたらこうなりました。

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