自分と他人の比較は良くない、というのは常套句ですが 他,,,

Cさん
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C
さん

自分と他人の比較は良くない、というのは常套句ですが

他人と他人の比較は当たり前のようにしていると思います

AさんよりBさんが優秀とか、CさんよりDさんがキレイとか

それは1つの評価軸の上でそう思うだけで、その人の根本的な価値まで否定しない、というのはわかります

しかし、なんだかんだ優秀とかキレイとか面白いとか頼れるとかそんな部分部分の上に本当の喜びもあれば、自尊心や自信もあると思います

ブスと言われて人が怖くなる人もいれば、仕事で周りについていけなくて傷ついて鬱になる人もいます

そんな他人と他人の比較の目が自分たちの苦しみの一要因にもかかわらず、それは当たり前に、自分は人と比べないという特権を得ていいのでしょうか

人と比べない、というのはあたかも穏やかな平和的な心をイメージさせます。また、弱い繊細な人たちに必要な考え方と思います(僕自身もそれが必要です)

しかし、自分は当たり前のように人と人を比べてどっちがすごい、どっちがすごくない、Aはすごいのに謙虚だ、Bはすごくないのにしゃしゃり出てるとか判断してるのに、自分と他人となるとその比較から自由になろうとする

これって、ある意味権利意識強い、傲慢なことなんでしょうか

人と比べない、という考えが必要なのは比べたらバイアスも働き、大抵劣っていていいことなんてないから、という前提がありますが

それでも他人同士への比較はやめられないと思います。残酷な比較をする目は18歳にもなれば完全に出来上がってると思うので

もうそれなら、自分を人と比べないとかではなく

もうこの世は理不尽だ、とまるで戦いに疲れ果てた老兵のように諦めて認めたほうがずっと自然に自己肯定できる気もします

特に若い時期、比較が先にあってそこで自分は運もあるにせよ圧倒的に劣っていた

なら、それでも自分の価値を認めるとかじゃなく、全体的に価値が見つからないなら、ない。全体的に無能なら、無能。自尊心なんて求めてはいけないのかもしれません

質問としては

人と比べない、というのはまだ自分の価値にこだわっていることなのでしょうか?

それとも、上記のような、自分の価値の向上を諦める、自分という人間にいったん値段を確定して比較をやめる、ということなんでしょうか

皆さんはどう捉えているのか知りたいです

相談

回答一覧

眠りぬこ
眠りぬこ
さん
眠りぬこ
眠りぬこさん

引用の上でお話しさせてください。
『僕の感覚では、価値は相対的に決まります。AよりBがおしゃれ。でもCが現れたらBはダサく見えるような。』この辺りが他人と他人を比較している部分で、それをやめることは自分の価値にこだわっていることになるのかどうか、が質問だったと思います。
『その繰り返しで価値観や相場が形成され、その中に自分を適応した所に自己評価があり、比較することと自分の価値は地続きだと感じます。』その上で、ここで形成されているのは観察しているCさんご自身の相場と価値観であり、Cさんに対する周りの評価とはこの時点でズレが出てきます。
そして、Cさんや僕が気にする「自分自身の価値」というのは周りからの評価であり、自分自身が作った価値観や相場に適応した自分ではないものと思えます。
このため、「自分自身の価値の有無」と「他人を比較すること」は少しズレているのではないかと感じたので書きました。
上手く説明できているか怪しいのでわからなかったら気にしないでください。結局は個人の感覚の違いのような気もしますので、あまり思いつめないようにしてください

質問者のコメント

詳細に返していただけて非常に感謝です。自分の価値は自分の見方だけでなく様々な他者からの評価も含めた総合ということですね。僕は自分の価値観内で自他を捉え、眠りぬこさんは総合的に見ているからズレがある。このことを踏まえて前回答を読んでみます。それへのお礼感想はできなくなりますがすみません。とても助けになりました

鬱猫
鬱猫
さん
鬱猫
鬱猫さん

前のご質問の続きですね。
自分語りをさせてください。
私自身、すごく他人と比較しまくる母親に育てられて嫌な思いをして、「子供は比較するくせに自分はどうなんだ?」と常に母親に思い続けていました。決して毒親ではありませんでしたが、母親のそこが嫌いです。「他人と比べない」「比べることはつまらない」考えのきっかけはそこにあります。
10年ほど前に鬱になり、リハビリのためにカウンセリングや体力をつけるために体を鍛えた中でその考えが深まっていったのです。
カウンセリングを受けている時に
「他人と比べない主義」が自分の弱さか?と尋ねたことがあります。
「それは弱みではななく、強みだ」と言われ、それが揺らいでいたのが鬱になっていたのでは?と自分で答えが出たように思えました。
とはいえ世界は比較と競争で満ちているのでそれは避けて通れません。
突き詰めると比較はしているのでしょうが「できるだけ考えをフラットにする」「心をざわつかすことを手放す」「他人を気にしない(好き勝手するのとは違いますが)」
を心がけています。
こういう考え方もこだわって凝りかたまっているのかもしれません。
あくまで「個人の感想」であり「鬱から何とか復帰できた考え方の基礎」ということです。
ちなみにスポーツや趣味も勝負事は嫌いで、点数やスコアがあるスポーツは嫌い。ゲームもしません。
長々とすみません。

質問者のコメント

重ねてありがとうございます。個人的な体験は非常に参考になります。人と比べない一言でも長い経過があったんですね。それへの想像は控えるとして、後半の心がけは競争や比較に熱が入る予防ともいえ、前半も相まり「人と比べない」の位置づけが掴めた気がします。剣に対して盾を持つようなもので、やっぱ甘くないってことですよね。少し安心しました

眠りぬこ
眠りぬこ
さん
眠りぬこ
眠りぬこさん

初めまして、です。
「比較をしないようにする」こと自体は「価値観」「考え方」の問題なので、「自分の価値の有無」とは線路一本ズレているような気がします。
「自分の価値」とは別に「人と人を比較するのはやめておこう」というのはできると思うので、Cさんの言葉で強いて言うなら後者が近いです。
僕の場合は「比較などは無意識にする」上で「他者の粗探しはしない」ように気をつけています。どうしても比較自体は皆さんしてしまうと思うので、せめて人が嫌な思いをしそうな事は口に出さないといったところです。誰かに対して優れている、不得手であるといったことを口にする時に「○○さんに比べて」をなるべく言わないようにするだけで印象変わると思います。
僕はどうしても自分と他人を比較してしてしまうので、自分の無能は自覚した上で「今やらなきゃいけないことをとりあえずやる」を意識しています。今の職場で今の仕事をしているのは優秀な友人達の誰でもなく無能の僕なので、「無能なりに今できることをやる、それしかできることはない。他の奴ならもっと上手くやるのに、今ここにいるのは俺だから」と足掻いています。
だいぶ脱線しましたが、自分の価値向上に関しては少しづつできることを増やしてみてはいかがでしょうか。できることが増えれば自ずと頼られたりする事もありますし、居場所も作れると思います。
加えて人を比較しないように気をつけていく、という感じで良いかと思います。人格面で清廉さを磨けるかもしれません。

上手く答えられているかわかりませんが、参考になれば幸いです

質問者のコメント

初めまして。ご回答ありがとうがざいます。最初の一文の背景をもう少し明確にしたいです。僕の感覚では、価値は相対的に決まります。AよりBがおしゃれ。でもCが現れたらBはダサく見えるような。その繰り返しで価値観や相場が形成され、その中に自分を適応した所に自己評価があり、比較することと自分の価値は地続きだと感じます。その線路を隔てるものとは一体何なのでしょうか?

恥晒し
恥晒し
さん
恥晒し
恥晒しさん

僕の捉え方は「Cさんの言う,自身の価値向上を諦めずに”自分という人間にいったん値段を確定して比較をやめる”を行なっている人」です.一旦値段を確定して「その上でどうするか」に重きを置いている人と思います.
僕の弱い人間なので凄い人が山程いる現実に打ちのめされて「それと比較して僕はゴミ」と打ちのめされますが彼らは「凄いのが山程いるけど私は近く努力をしている」と価値向上に努める事にも意義とか価値を見出して自己肯定をできていると感じます.
質問に対して的外れなことを書いていたらすみません.

質問者のコメント

とんでもないです。すごいのが山ほどいるのに自分なんてゴミ、本当にそれです。
やはり、比べないというのは比較を前提にした中で編み出す哲学なんでしょうか。ついついそこにフリーダムを求めてしまう自分がいます。価値を諦めながら、同時に向上というのを統合できているのはすごいと感じました。僕もザワザワしながらもあがこうと思います。参考になります。